見た目とはらしさである。
これは外見という見えるという意味だけではなく、
?のように感じるというのも含む。
これは正確には外見がいかようでも、感じ方が違うから、
見た目は?だといっても、それはその人の感じ方でしかない。

最近思うのは、
実は、楽しい人が楽しいのではなく、
楽しそうにみえる人が楽しいのではないかと思った。

これと同様なことは多くのことにいえる。
ランチがうまい店ではなく、
ランチがうまく感じる店の方がその店に魅力を感じる。

仕事ができる人ではなく、
仕事ができるように見える人がいいと思うようになる。

つまり、それはハッタリであるのだが、
ハッタリはハッタリをかまさないよりも、
かましたほうがアグレッシブな印象を与える。
だからこそ、ハッタリそのものではなく、
ハッタリをするというようなところに魅力を感じる。


面白い人ではなく、面白そうに見える人が大事だ。

つまり、?のように思える、みえる、感じるというところが
大事なのであって、実際はどうかはあまり関係ない。

例えば、実際に面白くないのに、面白そうに見えるのは、
ややコミュニケーションが難しくなるかもしれないが、
実際は、面白くなかろうが面白かろうが、
面白そうにみえるかどうかが大事になる。

それは、何度もいっているように、人でもモノでも一緒である。

つまり、雰囲気、オーラ、姿勢、ハッタリ、感覚、殺気、笑い気、
色気、可愛さ、優しさ、などであるが、
これらは全て実体ではない。

例えば、女性で胸元があいていても、AさんとBさんでは全く異なる。
それは、Aさんは色気があり、Bさんは色気がないからである。
ただ、ここでの問題はスタイルがいいとか、顔がいいとか、
好みであるとか、セクシー!だとか、そういうことではなく、
色気があるかどうかはそれを見る人の問題だというのが問題なのだ。

つまり、Aさんは色気があるのではなく、あるようにみえるのであって、
実際の色気とは関係がない。
Bさんは色気がないのではなく、ないようにみえるのであって、
実はBさんは色気と水分で構成されているかもしれないのだ。

かっこいい人間というのも同じようなことがいえる。
かっこいいかどうかは関係なく、かっこいいようにみえるかどうかだけである。
最も、ここらへんで、読者は気づいて、
かっこいいようにみえる人を、かっこいいというのだから、
かっこいいかどうかは関係ないことはない。と、反論をする可能性もある。
しかし、かっこいいのと、かっこいいようにみえるでは、大違いである。

かっこいいのはRMであり、かっこよくみえるのは、RM以外の男性でしかない。

これで、アクセス数が少し減ることを期待する。