確かWANTEDというラジオで、サンボマスターかな。
が、映画について話してて、そこで出てきた。
イージー・ライダーというと、奥田民生の曲を思い出すが、あれはイージューだっけ。ま、いいや。

主人公は最後になぜか殺される。

なんで殺されるか。そもそも彼らの旅は何だったのか。
そこから問い始めることにしたい。

他者のレビューも見つつ、同感してしまったのは、
途中加わる弁護士の台詞だ。
アメリカって国は自由を証明するために殺人もするっていう台詞。
全くだ。

日本人的感覚では、自由のために殺人はあり得ないと思ってしまう。
いや、日本人的感覚じゃないな。僕の感覚か。

だが、日本も明治前くらいだと、普通に争いごとがあり、
闘っていたわけだ。でも、それは「自由」のためだったんだろうか。
多分違う。何か違うぞ。なんだろねえ。

殺人をしてまで成り立つ自由に意味があるのか。そもそもそれは自由なのか。


途中ヒッチハイカーを乗せ、立ち寄る村は、どうもヒッピー村というものらしい。あれは、受け入れられなかったらしい。
友好的かどうかがやや分かりづらいが、最後に相棒がなぜか追い出されるようなシーンがある。十字架でここまでだと、子供たちからも出てけというような・・・。ものがね。

アメリカ美化運動というのは、弁護士が語っていたことだが、
長髪はヒッピーを象徴する。自由を謳歌する。
彼らはその自由を求めるために旅を出たとすると、
そもそもそれを求めている時点で、少数派となる。

モーテルでなぜか宿泊を断られるように、祭りにバイクでついていって、
留置所に入れられるように、ヒッピー撲滅運動の一部か。


サンボマスターの番組では、そのほかに「俺たちに明日はない」か、
「明日に向かって撃て」という名前を挙げていたが、どちらも観た。
両方とも最後に殺されるという点で、強盗がいいとは言わないが、
「金を盗んで」「自由に暮らす」という思想(笑)はイージー・ライダーも、
最初の大麻の売買で金をゲットしているから、同じかもしれない。

だから、相棒の一人は、「金もある、自由だ」といったら、
「ダメだよ」といってるのだ。ふむ・・・。そして、最後に撃たれるのにつながる。


無性に社会に反抗したくなるときがある(笑)
夏といえば、蚊と暴走族と花火と浴衣だが、二番目の人々は、
行動で示している例だろう。

一人で暴走行為をするやつは「なかなかやるな」とは思うが、
うるさいっちゅうねん。ずっとやり続けろ。ポリが来たら逃げろ。
それを繰り返せ。行動で示せ。
俺は社会に反抗してるんだと。でも、死ぬなよ。
うるさいっちゅうねんくらいの怒りで済むまではいい。
人を巻き込むなよ。完結させろよ。誰か巻き込むなよ。
そんなカッコワルイやつになるなよと、一応書いておこう。

社会に反抗したくなるときってのは、
ルールというものに納得がいかない時だ。
反抗の意味はある。でも、反抗するなら、ルールを変えるまで、
納得がいくまで、やり続けろよと。
そういう気合い(でた!)がないなら、中途半端にやらんで欲しいものだ。
最もそんな気合入ってたら、「反抗」なんていうポーズはしないっすね。
くくく。


うーん、こもれび氏にはオススメだな。
一般ピーポーにはオススメできない(笑)
だって、面白くないと言われそうな。

別に名作とはいわないが、でも69年だから、30年軽くたっても
まだあるわけで。僕より年齢上だ。