そういうのがあるってことで。細かい説明はなしで。

色々気づきがあったんですが、それ大分消化しちゃったので、
細かくは書きません。

とりあえず、時系列的?にまとめてしまうと。

楽しいこと・好きなことでお金を得るには、それをひたすらお金にできると
信じてやりこめばいいんだろうなということ(そういう教えを説くセミナーでは
決してございませんので(笑))

例えばカタリベカフェってところで、僕は何をしていたのかと。
別に何もしてないわけではないんですけどね。なんていうんでしょう、
好きだ、楽しいとかいってるわりに、「おいおい、それで本気かね?」という
突っ込みは常にあるわけですわ。そこらへんとの関わり合いが足りないなと。

一応、がんばらない主義と社会主義をモットーとしてるんですけど(嘘)、
「もっとがんばれ」っていう人は嫌いですね。それが単なる励ましだと
もっと言葉が宙に浮いてしまってるので、さらに嫌ですね。
だから僕は黙るわけですけどね。うはは!

岩盤浴はどうなんでしょうね。個人的にはマッサージとかは、
やるとはまりそうなんで、やる気はないですね。最近は首が痛いですけどね。


ビジネスと趣味の境界線。
多分、公私充実っていう言葉で、仕事とプライベートって意味になると思いますが、
なぜオオヤケが仕事で、プライベートが趣味なのかと。それはおかしいなと。
実際に間違ってるのですけど、そういう意識はあります。
変な話、囲碁をさして食べれればそれで生きていいわけです。
今、時代は変わってますけど、まだまだアウトサイダー的な印象はありますね。
でも、囲碁さして食おうが、会社勤めて食おうがどっちでもいいわけです。
あとは世間体とか、周りからどう思われるか、現実的に収入の問題とか、
金銭が不足してしまうのではヤダからとか、そういうのくらいですね。

そういうところで、仕事ってやっぱお金もらえれば仕事なんでしょうね。単純にいって。
趣味でもお金もらえるものはあるかもしれませんけどね。

時間の使い方も同じようなことがいえますかね。
プライベートと仕事のってところですね。
仕事だけに生きる人ってあんまり疑問視されませんけど、
僕は、仕事ってその人にとってどうなのかってところのみ常に疑ってます。
会社人間的で、会社べったりな人には、まったくダメですね。それは仕事に生きるというか、
単なる会社依存人間なので、ダメですね。少なくとも僕の参考にはならないです。だから
どーしたってのはありますけどね。

自分がやりたいことで勝負していくってのが堅苦しいってのはあるんでしょう。
でも、趣味って言葉を、村上龍なんかは、老人の行為だとぶったぎってますから(笑)、
まあ響きは良くないですね。オモムキゴトとかいうと、いいですけど、
所詮ごまかしであって。仕事はこうやってこうでといいたいし、趣味はこうでこうだと。
その境がないのがいいですね。その境をなくそうとはしてますけどね。まだまだなり。


差別化の話。
差別化ってのは、結局、A,Bといたら、Aと区別して、価値を上げるわけです。
実際に、需要と供給の話を単純にあてはめれば、少ないものは価値があるわけですが、
差別化したところで「めちゃくちゃでかい170cmくらいのお菓子」とかそんなケース入りの
お菓子って誰が買うんでしょう。そもそも運搬に無理があるし。
で、そこで携帯できるようにするだとか、そういうアイディアはいいんですが、
差別化して満足してしまえば、差別化の意味はなく。
自分で自分の落とし穴を掘るという行為ですな。


家を3回建てる話。
建て直しというところで、3回目にしっくりと満足がいくものができるそーな。
なんでかっていうと、1回目立てるときはやはり想像力とかないわけで、
建ててみて分かるところはあるわけですよ、きっとね。
会社も同様か。1年目で何やるんだーといって、さまよい、2年目でなんとなく
わかって、3年目で分かってくると。
だから一般的に石の上にも3年は分かるんですよね。
でも、逆にいったら、こういうイメージだというのがあれば、「3」って数字からは
自由にはなれるんだろうと。そういう証明はしてみたいっすね。
勝手に僕のテーマですけど、そういうこと考えた人もいるはず。

モノを売るときは、その郵送費なり、流通費を加味してみるべし。
これは、結局ですね、ある商品Aを100円でうってもですね、
原価50円でも、運搬してこなきゃ物はないわけですよ。そのコストってところは、
「消費者」だと分からないですよね。
単純にモノ作って売ればいいっていうのは、物を売れる場にもってくなり、
買う人のもとに届けるなりってところで、物体AがB地点に移動するにはCのコストがかかると。
これは現実で、スターとれっくみたいな物質間移動がなきゃ、改善できませんよね。
人の移動もそうだし。だから移動ってところに目をつけている、
トラックとか、輸送とか、引越しだとか、そういうビジネスはまあ利益の良し悪しはあれど、
なくならないでしょうねえ。人が減れば絶対的な市場のパイは減るんでしょうけど。
なんとなく、うっすらと意識しときたいところですな。

プランナー、コーディネーター、コンシェルジェ・・・。ソムリエもか。
ある人に対してベスト、もしくはベターな提案を、自分の知識・経験なりを
フルに活用して、してしまう人々ってところですか。
一緒くたにするのはよくないですけど、多分そうなんでしょうね。
結局これらができるってことは、視野が狭くちゃアウトですね。
どうでしょう。ある言葉でどれくらいイメージできるか。その関連付けという作業は、
簡単にはできないはず。野菜のソムリエって聞いて、ワインのソムリエを
イメージするのは「誰でも」できそうですけど、図書館司書を思い出すことは、
それに興味があって、関連付けて、本のレファレンスとソムリエの選びは
共通するものがある!と、間違っていても言ってしまえる人間が好きですな。

収納スペースを増やしても、結局部屋は片付かないという話。
ですので、収納スペースが2畳増えると、2畳またモノを増やして詰め込むってことです。
飛躍すれば、人は永遠に不幸だとか、そういうことも言ってしまっていいですね。
でも、逆に永遠に幸せだともいえるんですね。あんまり意味がない言葉ですけどね(笑)
その視点は大事かなと。こうすりゃ良くなるってのは単純じゃないときもあるわけですな。

生き方・働き方ってところで、切り口(得意分野)が違うだけで、最終的なゴールに向かう
根底にあるものは同じなのかなと。だから、その人が好きなんでしょうね。
そこらへんはすごく感じました。気分が悪くないという程度で、居心地が悪くないというのは
非常に好きなところです。あいまいが大好きですね。といってる割に、
言葉の定義も好きですが。といえ、法律家にはなれんぞ(笑)


信念=思い込みというもので世界は成り立つ。それは自分の世界というものが。
ということは逆にいえば、猿は穴を掘って生きるといえば、それを信じてしまえば、
本当に猿は穴を掘ってしまうかもしれない。このパワーは恐ろしいけど、
使い方を間違えなければ「良い」方向に行く。絶対報復といって、誰か人を殺すというのは、
可能でしょうね。そういうのは間違ってますが、悪い例として。
それで、自分が価値があるぜと思ったものはトコトン、それこそもうダメだくらいまで
やるべきでしょうね。と、自分に言い聞かせたいんですが。
それで、自分のもてうるもの全てをぶちこんで、それで勝負。
あとはもう見る人次第っすね。だから、あとは知らない。お金を取るのも自由領域ってところですな。


知縁。
知的好奇心でつながるネットワークのこと。地縁とかけている。
言葉もうまいけど、そういうつながりはいいなあと。刺激的で面白いっす。
決してふざけて生きるって意味じゃないっすよ>面白いとか刺激的ってのは。言うまでもなきか。