字あってますかね。渾身。

でも、渾身ってからだ全体って意味くらいなんだ・・。
すげー力だと思ったけど、それは響きだけか。実際は
体全体つかえば、そりゃすげー力になるってことはある。腕だけよりも、
腰と腕をつかえば、パンチは強くなる。


かなり濃いネタというか、軽いネタでも書きたいことは
結構あるのだけど、どうもタイミング的に書くほど消化されてないか、
単に書く気がしないだけか、そういう感覚だ。

やる気がでない時は、ほうっときゃ出る。やる気を無理にだそうとするから
問題なのであーるという、話はある。でも、これって
結局、嵐をおさめるとめに、生贄として人を捧げたという話は本当かねえを、
諸葛孔明が悪習だとして首の形(つまり頭ですな)をした饅頭をつくって、
そいつを川に放って、嵐をしずめた、というまあ横山光輝三国志漫画の話ですけど。

で、それみた地域の人は、饅頭でおさまったと思うわけです。
自然回復力といっておきますか。

やる気がでない時に、やる気がでるまで放っておくのは、
自然回復力だなーと、全く同じことだなといえると。
ってことは、じゃあ、その自然回復力以外でやる気を出すとか、
そもそも自然回復力をコントロールすることはできないか、すること自体がナンセンスなのかしらと。

ここらへんからどうでもよくなってきますが、
結局、無理だなと。あきらめるわけです。

さて、ここで働くことをうまく表現できない人(これは想像でよろしく)がいるとします。
それは「男は仕事で語れ」みたいな人でもいいですし、
「背中を見て盗む」というほぼ死語の世界(!)であるものでもOKですし、
もっといえば「黙ってやれ」というわけのわからないことかもしれません。

言わなきゃ分からないことというものに対する理解がいくつかあって、
言わなくても分かる、というか言ったら意味が薄れる、もしくはなくなるいようなものに対する理解がいくつかありますかね。

考え方ってのは、いわなきゃ分からんところですな。
だから、興味なき人には、しゃべらないのが一番ですな。
それ以上考えを言ったりしないので、考えそのものは理解できんでしょう。
ああ、だから僕はよく「あんたは謎である」「よくわからんね」といわれたんだろう(笑)
それは、考え方を展開して説明してない人に、つまり言いたくない人に、
言われた傾向強し。うむ。

言わなくても分かるってのは、コモンセンス的なもんですかね。常識的なものとか。
でも、どうなんすかね。自分が言わなくても分かるさ、伝わるさって
思ってたものが、実は言わなきゃダメダメちゃんだったりとか。
逆もあるでしょう。言って伝わるものだと思ってたら、
それは言葉にすると薄くなってしまう、伝わらないものだったりとかね。


さて、表現者とはどうあるべきか。仕事とはどういうものであるべきか。
べき論は好きじゃないんですけど、ここでいう「べき」は僕の中で
完結しているので、実害はないでしょう。というか、他人にお節介は
焼くけど、おそらくそのお節介はおそらく一般的な「お節介」ではないという自信があったりします。言葉でいえば「お節介するけど」という枕詞(笑)なだけでしょう。意味があんまりないってくらいの意味で。

表現者とは、シンプルで、自分の表現したいものを何か表現したいもので
表現するという、説明になってなさそうな感じがしますが、まあそういうものですな。
自分が絵で表現したいというなら、絵を描くわけです。
ところで、絵で表現というとき、これはあらゆる言動?を省略していますが、
例えば、絵で表現するために、色々お勉強するだとか、実際にどこかにいってみるだとか、本を読むだとか、まあ腐るほど色々な行為をその「絵で表現する」に含めているわけです。
これは、表現者であるとか、表現しているとか、そういう感覚が無意識っぽく?でも、なきゃ分からんところですな。
というか、そこを理解されたらダメかもしれませんけど。

ロックンロールというものが何をいいたいかは僕は分かってませんけど、
田口ランディのエッセイかなんかにあった、ヒデ(XJAPANのね)の理解は、
hide自身にとっては無駄であったとか。
まあ、大分違うかもしれませんが、
社会に反抗する、反骨心溢れる人間が理解されるってのは、
それもまたどうなんですかね。天邪鬼的なものが一杯ということですよ。

自分は今ある社会ってものに、反抗したいんだと。
でもそれを理解しちまったら、終わってしまうような。受け入れるからね。

受け入れられたら、もう主張する必要はないわけですよ。
それこそロックすることもない。俺の主張を聞けと。
そんなことをもしロックってものがやってたら、(多分やってるんだろうけど)、
「人は結局しゃべりたいんだよね」っていうものは「姿、形」をかえているだけで、変わらないんね。ということを一発で証明してくれますね。いいっすね。

仕事とは何かですか、これもシンプルで、創れるかどうかです。
創れないなら、どうでしょう。死んだ方がマシです。
と、別に創ってない人を殺すわけでもないですから(笑)

イメージできるかは不明ですが、参考までにいうと、
クレヨンと白い紙を与えられとします。年齢関係なし。
それで何か描いてくださいねって、何もお題はないっす。

そのときに、3歳くらいの子と、高校生くらいの子、
あと、20代、あとは50代くらいの先達。
まあばらばらに人がいるとしますよ。

で、皆一斉に何か描くわけです。なんでもいいから。

で、一時間くらいたって、はい終わりました。
皆さん何描きましたかーっていうところで、
自分が周りもそうですし、自分がこれは面白いぞってものを
描きたいわけです。
ってことを言いたいだけのための、想像ですが(笑)

なんでこんなことをいってるかというと、
仕事って結局、「ほぼ」一生やるんすよ。お金を別に得るならいいけど、
ある種の行為をお金に変換してもらうほうが現実的ですね。
そりゃ、物々交換とかありですが、それでは不便すぎなので。
それに対する思考、考えってのは、もっとしてもいいはずだなと。
だから「ナンタメ」なんてものもやりたいしやってるわけですけどね。

その仕事観でまあ大分その人の価値観が分かってしまうから、
面白いし、どこまで仕事を考えているかで、面白いねえ、この人というのも
分かるわけですけどね。


仕事と表現は僕の中では一致しつつあります。
さらにそこに「好きなもの」という言葉も浸透しつつあります。
さらに、面白さというものもやっぱりふんだんにあります。
野菜をですね、畑でひっこぬく感じで、「面白い」ものはやはり
育てて、引っこ抜くってのはありますあkらね。
育てるってのは自分の成長で、引っこ抜くには力いりますからね。
アンテナとか、好奇心とかでもなんでもいいですけどね。

妙な理由付けは嫌いですけど、結局現状がこうです。
大切なものは目に見えない傾向が強いので、どうでしょう。
仕事とか、表現なんて、普通目に見えないものなので、
仕事は職業欄にある「会社員」であったり、
表現は「芸術家っすか」であったりと。

その程度の構えなら、軽くはじかれてしまうし、
というか僕ははじきますが、さらに考えをしない人間は、
現状を楽しむのに、考えは必要ないぜとまあ色々なことをいえど、
考えることをせず生きれる人はいないわけで。
思考停止が心地良いなら、人間やめてしまえと(笑)
言いたい放題であり、自己満足であり、そして自己完結している。

で。雨被害多いっすね。水は怖いっすねえ。