放火の事件というか、それを写真にとって公開した人が
実は実行者でしたという話。

日経のトップ下にあるなんとか人語にあったんだけど。

まあ、確かに、誰もが発信者ってのはそういうことやっちゃう人もいるね。

というか、誰か見てくれるという淡い期待なんだろうか、
ネットだからかもしれない。自分が注目されたいか、まあそんなに
素敵な感覚からやるとは思えないっすね。

放火を奨励はしないけど、火で遊ぶのは楽しい。
キャンプファイヤーとかはいいと思われる。
そういうところで満足できなかった・・わけじゃないだろうな。

やはり、何か人が騒ぐ。いわゆるセンセーショナルってやつですかね。
そういうのを自分が起こせる、起こしたというところからくる、
自分の効能感。社会に対して自分はこういうことができるんだぜ、と。

分からないでもないが、ベクトルが間違ったね。
法律ってものやルールがあるのはなんでかってことを少し考えたら
分かるようなことだったかも。

あと、犯罪って多分ばれますよ。たとえ逃げ切れてもさあ自分で満足に
浸る人間でしか、やはりね。
あと、やった瞬間から逃げ切るなら、ずーと例えば70歳まで生きる人間が
35歳でやったら、35年その犯罪行為は忘れらないだろう。
そういう覚悟なんぞ普通せず、ついやっちまうからこそ・・・ってのが
犯罪なんだろうなあとは思うものの・・・

さあここで重要なのは客観視かな。ま、そんなことできたら・・っていう
話はスルーの方向で。