ダチんとこみて。

どういうことかというと、買えるんだと。
この買えるって考えが分かりづらいのは、
経済学でよくある、機会損失って考えが多分分かりづらいと思われる。
その考えは同じだといってみる。

機会損失ってのは、多分、本来はこうあるんだけど、そうならないから、
損失ってことだ。ポイントは実際に損失があったわけじゃないけど、
ミスミス機会を・・・逃した!損だ!ってところ。「実際にはない」ってところがポイントだろう。

似た話では、チャンスな話がきた。
で、それに飛びつけばややリスクはあるが「面白い」ことができそうだ。
でも、それに飛びつかなければ自分の今のことはそのまま保てて、
崩れない。

そーだなあ。例えば儲け話とかね(ちなみに、儲け話などこの世に存在しないことをおすすめする。存在しないという信念?をおすすめするということ。
儲け話を一緒にやるという人はまず自分の力ではできないからといって、
頼ってくるケースだが、それは他の誰でも言えるパターンもある。
さらに、その時点で金に目がくらんでいる。金が悪いのではない。
目がくらむ人間がアウトってことだ。自分で自分の身を滅ぼすのはありだ。
とはいえ自殺を奨励しているのではない。話ではなく、
自分で考えたものをもってこいと。そこまでいって引っ込めるなら、
それまでの話)、ってことかな。

そういう場合、機会損失になる。
そういうチャンスに飛びつかなければ(控えめにいえば、そういうチャンスを掴まなければ)どうにもならないわけだ。
これをそういう考えを踏まえて上で「世の中結果だ」という人もいる。
それについては全く同感だ。結果とはやはり過程をも表すのだ。
中途半端にやってたらそこまでであると。そういうことなのだ。

時間を金で買う場合、問題はある。
新幹線で3時間短縮した場合、短縮した3時間を何に使うかだ。
それを自分がしたくないこと、例えば本を読みたいのに、人と話したとか、
人と会いたいのに、寝ていたでは、結局意味がにゃー。
ここでの意味があるとは、3時間をどう有効に使えたかってことだ。その人にとって。

だから、短縮とかでの意味で時間は買える。
でも、それは時間を買ったことにはならない。って意味で、時間は金では買えない。

買った時間をどう使うかまで評価に入れるというか、
見なければ買ったことにはならないと思える。

だからこうなる。
睡眠時間6時間の人と、3時間の人を比べて、
3時間の人が時間を多くもっているとは間違っても考えてはいけない。
なぜいけないのか?
単純だ。その6時間睡眠の人と、3時間の人では、
人がまず違うのだ。これを同一視して、同じと考えるのは危ない。

時間を絶対量だとは思っていけない。もちろん24時間ってのは
「分かりやすい」目安だけど、別に24時間ってのは、一日を
うまく表現しているだけで、便利な目安でしかないのだ。
時間を2時間増やしたら、じゃあ2時間快適に過ごせるかは、
その人のお金の過多ではない。金があればいいのではない。

どう時間を過ごせるかのスキル、ここでは自分の時間をうまく
使えるってことくらいの意味だが、それができるかどうかだ。
やれるかどうかっていったほうが正確かもしれない。

とにかく、結論的には、金では時間は買えにゃーっす。

残念!
買えると思って、金ためて買っても、多分時間の使い方考えた方が、
節約的かつ、現実的かつ、効率的だと思われます。
うはは!