なんで読もうと思ったか忘れた。
まあ、いいや。

とりあえず、僕はこの方知らんです。
という意味でこの本だけで吉井女史を判断するのはかなりまずいんだろうけど、
白血病と闘うのはいいのだけど、これは成長記だと良い意味で、自己消化されている話。自分はこうやってやって乗り越えた!というような形ではないし、
ってところですかね。
自己消化と書いたけど、まあそれはいいか。

仕事、いわゆる芸能活動といえばいいのか、それに対する執念がすごいとまず思う。
ちなみに、僕は体調悪くても「仕事の面子」に迷惑かける、「お客さんに迷惑かける」からといって、体を引きずってまでも仕事をすることはない。
最近の若い人はそういう傾向あるかもしれんが、傾向はどうでもいいとして、
ここは視点の問題になるはず。長期的視点では、仕事をよりよくするには、
しっかり体調を直して望むべし。短期的では、とにかく仕事をすべしだ。
どちらがいいとはいわない。僕は長期的視点を重視しているきらいがある。
それに、仕事にもよるし、まあ要因はいろいろあるだろうね。

執念と書いたが、強迫観念のように、彼女はいじめられた経験から、
人から疎外されることをすごく嫌がる。まあ普通はやだけど。
でもそれが過剰になれば、誰からも嫌われないように振舞うことになり、
八方美人の出来上がりだ。という意味のストレスをよくバランスとってるなーと思う。

個人的に、テンションの上下が激しい人は苦手だから、僕も苦手なタイプかもしれないと勝手に推測。

最後には、吉井女史は復活をし、おそらく今は仕事をこなす毎日になっているのだろう。かなりすげー復活だと思う。

成長記として読んだり、ファンが読んだりすれば、なるほどなーと分かるかもしれない。ただ僕という人間が読んだ時、結局、彼女は何を伝えたかったかがぼやける。

もちろん、自分の闘病経験をとか、心の整理に、それこそこのブログ的にってことはあるだろう。でも、それでも何か伝わるのだと思う。
実際にこのブログは自分のために書いているが、そのパワーを開放!(宗教じゃ!)して、
それを逆テイク(つまり、ギブ。決して撮影じゃない)することを狙っていたりもする。裏の狙いはいくつでもあるのだ。創れるし。

一番の不満はなんだろう。
おそらく、彼女がそこまでアイドルとして、芸能人としてこだわる理由が、
執念なのだが、見えてこないってのがある。文章でうまく説明できないから、
そこまでだろうと、いってしまえばそれまでだろうが、
どうもそれとは違うようだ。

確かに読んでいて泣きそうになったが、泣いてはいない。舐めるなー(おぃ
目立つことが好きでそこまで出来るのかと、色々問うてみる。
僕にはほとんど理解できてない。
究めつけは、アイドルじゃない自分は自分じゃないというところだ。
結局これは、退院してから徐々に解消されていく、いわゆる若気の至りみたいなものかもしれないが・・・

そもそも、自分というものは、80くらいになっても分からないと。
それを若造が!といってもいいのだが、そこはスルー。
アイドルってものが期間限定のものってことを熟知しているからこそ、
そこでやるってのはかなり戦略的だ。

例えば、今しかできないというのは「好きな考え」だが、
ヤマンバギャルみたいな人が「今しかできない」というのは、
一周してしまった考えで「字面」は同じだがおそらく、違うと思ってる。
というか、ヤマンバと一緒にするなと、ヤマンバが僕に思うのと(思ってない、おそらく僕は視野に入らないから(笑))同じ程度に思っているだろう。

で、このヤマンバちゃんと同じレベルで、吉井女史のアイドル執念をとらえてしまった。これはどうなんだろう。まずいのではないかと。

理屈ではない。好きなものに説明はいらない。
最もだ。でも、自分の命を捨ててやるってのは、はてなだ。
自分が死ぬかもしれない恐怖と戦う以上に、自分と戦っているというか。
死ぬのが怖くないなんてのは、普通ありえないのであって、その死と闘ったのではなく、文字通り「自分」と戦っていたのだと。
これは良い意味ではない。

自分と戦う前に死と闘うのか、死と闘う前に自分と闘うか。
意味のない問いか。
明確なラインはない。でも、同時発生的説を当ててみると、
両方考えるべきだし、そうならざるをえないと僕は考える。

彼女は、自己消化として、アイドルとしての自分を考えている。
そしてまた、友人の裏切りなどともあげている(おそらく、失礼な言い方になるが、大したことではない。何が大したことではないかというと、それは彼女にとっては大きな出来事だった!かもしれないが、よくある話だ。
とくに、女性には典型的にみられる小グループ傾向がある。自分が輪に入ってないとのけものにされるあれだ。ちなみに、女としていばってリーダー格みたいな人間は一度殴ってもいいと思う(過激)。いや、なんとなくね。)が、 まあ、それらが自己消化だろう。あと家族とか、自分のこれからってのも全て含む。

次に死との戦いだ。
それは白血病は死なないというか、タチの悪い病気であるくらいの認識で
構えていたというところにあるが(ちなみに、僕も白血病がガンだとは思ってない。白血病は確か、血液に存在する白血球が不足する病気なはず。
そうすると免疫なりがなくなってやばいって形。ガンって悪性のガン細胞の転移、増幅、で健康な細胞が侵されることだろうと理解している。まあ、なんでもいいわ(おぃ))、まあそれはそれでいいのかなと。
で、自分はもう復帰できないし、ってところで、死をさまよったというよりも、
苦痛をさまよったというインパクトはこっちには伝わる。ずっとはき続けるとか、注射を打たれまくるとかね。痛々しい。
でも、それは死と向き合ったというのではない。おそらく、それが結果的に、これは重要なことだ、結果的に「マイナス」思考なり、「もうだめだ」ということを思ってないから、さらに母親との相性もあり、すごいスピードで回復したのだと思われる。
でも、これは本当にいいのか?と。

別に吉井女史を殺したいのではない(おぉ
そうではないならなんだ?深くもっと考えねばならぬということか?
いや、それもやや異なる。

自分の経験したことは、全部は消化できないかもしれない。
でも、考えるときには考えた方がいいと思う。
ということは、長期視点・・・から短期で集中・・・また長期というサイクルを繰り返すってことになりそうだ。

やはり、何にこだわっていたのかが見えないというところだろう。
自分の仕事に対する執念でそしてそのまま死んだら、「働きマン」は好きだが、
それは滑稽だ。ビジネスホリックでも健康管理はすげーやってると思うわけで。

さらにいってしまえば、何をイッチョルのかねってところになる。

と、結構言いたい放題だけど、アイドルとして好きーって人が見たら
面白いのかもしれない。僕にはどうでもいい。
と思うのと同時に、彼女からも僕はどうでもいいのだ。

やはり自分の土俵で戦うべきだろう。
つまり、芸能と文章でバトルしても意味がない。
そこで表現されるもので争うべきだ。(ほう


神様、何するの…―白血病と闘ったアイドルの手記神様、何するの…―白血病と闘ったアイドルの手記
吉井 怜

幻冬舎 2003-11
売り上げランキング : 125667

Amazonで詳しく見る
by G-Tools