静かに物語が頭に流れる。流れてくる。
今歩いているとは全く別の世界のような、物語がだ。

その物語はいつも流れてくるわけじゃない。
一人でほっとしたときとか、そういうときに現れやすい気がしているが、
必ずというわけではない。

現実逃避という言葉があるが、この物語に身をゆだねるということこそが
現実逃避そのものであるとも思える。
しかし、流れてくる物語はとても面白く、そうやって生きられたらいいなと思うのだ。

日々同じようなことをして、同じような人と話を、同じように飯を食べる。
そして同じような趣味をして、同じように休み、同じように生きるのだ。
そういう生活は非常に面白い!なんてわけがない。迷うわけだ。

物語はすべてに通じている気がする。
今生きている現実がつまらないなら、物語は最高に幸せではないが、
かなり幸せに苦労できる感じがしてしまうのだ。

さざ波のように物語はやってきて、そして消えていく。
この物語は一体なんだ?誰の話なんだ?僕のだろうか。それとも全く別の他人のだろうか。
分からないけれど、とにかく物語は勝手に頭に流れてくる。

今の現実、生活を否定しても、物語を否定しても、何も変わらない気がしてしまう。
結局、否定から何が生まれるのかという話になってしまうからだ。
今まで否定ばかりしてきたようにも思う。あれはだめだ、これだからだめだ。
自分が良いと思ってしたことを誰かに否定されたらすぐ辞めてしまうのだ。
だから他人のよさそうなこともすぐに否定するのだ。
単にそれは、自分が悔しいからだ。相手が良さそうにやってるのが悔しいだけだ。

なんて小さい人間かと感じても、それは自分という膜を突き破るところまでいかない。
膜を突き破れず、膜の中で自分を保護する。ぬくぬくというやつだろうか。

僕はその膜を、その殻を突き破りたかった。
そして、その先に何があるかを知りたかった。ただ知りたかっただけなんだ。

物語はまた、同じようにやってきて、現実というものを固定化してくれる。
でも、ぐちゃぐちゃにして意味のないものともしてくれる。
そして今のように、何がなんだか分からない状態になってしまう。

突き破って先を見るということを抱かなければ、
殻の中で生きることはできる。突き抜けることなんて考えなければ、
生きていけるのだ。

物語はまたやってくる。何度も何度もやってくる。
波のように永遠にやってくる・・・。