社会を面白くする。

非常に曖昧だ。

だからもっと具体的に落とし込む。
すると、「本のアジトを作って人を落としいれ(笑)、堕落生活者の巣窟とする」とか、
そういうことになる。

どうだろう。
普通、抽象と具体では、具体が分かりやすいが、
かといって、具体ではつまらんこともある。
ほう。

とはいえ、社会を面白くするというのは一体何か分からんので、
さあこの話はどう流れるか。

面白くする能力、いや面白くしようとすることか?、は
どうなんだろう、人によるのだろうけど、面白い人が基本的に好きである。
面白い人とは個性的であるとか、話自体が面白いとか、
考え方が面白いとか、まあ色々あるんだけれど、

面白くない人とはまあこちらも色々いる。
面白くない人の典型パターンは、自分の話をしない人である。
もちろん、こちらとの親密度合いによるので、こちらが探り出せないとか、
そういう原因もある。が、それはスルーしたり、含めた上で、
現象として(笑)、相手が相手の話をしないのはつまらんものである。
それは出し惜しみであるな、おぬし!とややけんか腰で望むこともできる(するなよ。

ま、それはせずとも、こちらが話して終わりとか、
こちらが話して、相手は何も話さないとは、コーチングとからへんで、
一応ある。悲しくなるやつね、話しかける方が。

自分のことを話すというとですね、なんだか自己主張が強いアメリケン(アメリカン人のこと)を
だと考え、「おれは!おれは!」といってるイメージにしちゃう人もいるようですが、
そこはアレンジを加えるべきでございまして。何に?
そうもちろん、それは思考や考え方にでございます。

そもそも日本は取り入れ方がうみゃい考えがあるわけで、
はねつけちゃいけんのですよ。これは国民アイデンテテみたいなところで、
まあ半分冗談ですけど、半分マジで(笑)
だから、攻撃を交わして終わるのではなくて、こちらの攻撃の糧とする。
合気道か柔術かなんかで、相手の攻撃をそうやって自分の攻撃に持ってくみたいなの
多分あるはずだと思われまくりだったようだ、気がします。

だから、面白くない会話も面白くする方向にもっていくための「前座」であると
考えたり、もっとドロっとしたことをいえば、
叱られようが怒られようが、いじめにあおうが、殺されかけようが、死のうが(あ、死んだらだめだった・・・アウチ!)全ては「修行」であり「前座」であるわけです。

ほう。

するってえと、なんでおみゃあさん「修行」なんかしたり「前座」があるのだね?
と思われるわけでごじゃります。
そりゃ、「目的」なり「本座」があるからわでございます。
僧の修行は悟りを開くためという目的がある(って本当?)わけで、
「前座」は、本座への軽いウォーミングアップでござります。

「前座」が「本座」より面白い時点で、多分「前座」はその役割をなしていません。
って、どーでもいいことですが。

ってことは、面白くすることの目的があるんじゃなかろうか。
となるわけです。どうなった・・?

すると、こうなります(ほう

面白くすれば面白くしようとする人が増え、さらにそれを見た人が面白くしようとして、
面白い人間が増えてくる。面白い人間だらけにしてしまえ!うはは!

だから、このブログはライフワークレベルになるわけですな。(ふーん

では、さようなり。