三種の力というべきか、この精神論の素晴らしさ(笑)

精神論では何も解決しないというのはやや言いすぎだが、
かといって、理屈でも何も解決しない。
その解決しない比率はほぼ同等ではないかとにらむ。

ウェブ進化論にあったGoogleのネットによる淘汰的な考え、
ネットは神であるみたいな考え(これは言いすぎかもしれないが、まあいいだろう)は、
やはり一つの考えであるということを僕は勝手に肝に銘じておくことにした。

やはり、一つの流れである。小さなものが大きな流れになることはあるが、
所詮それは人の作った流れである。神などはやはり存在していないのは明確だ。
いや、信仰上の神と、ここでいう神は大分異なる。
神という言葉でしか表すことができない可能性が高い、という意味でここで神といっているが、
それは、全知全能の存在とか、もう大分胡散臭い方向に走っていくが、
全てを網羅している自然もそれに入る、宇宙!とか。
ここらへんいくと、心理学でいうトランスパーソナル心理学とか入ってくるか。
あれはかなり宗教っぽい気がする。いや、嫌いじゃないけど、科学っぽくない気がしているだけ。偏見ならスルーするがよろし。

そこで新しい提案というか、流れ上こうなる。
「努力根性気合」という神はいないのか。いや、それが最も実は神に近いんではないか。

ほう。精神論神とでもいうべきか?
それがもし、神なら、非常に面白いかなーと思う。
神様助けてというとき、常に「努力根性気合」が試される。
そして、それらが足りないと助けてくれない。

まさに、錬金術における等価交換の法則(鋼の影響受けすぎ)。

と、久しぶりに戯言。え、いつも戯言だって?
いや、いつもは独り言さ。

さあ、飯くって、本読むべ。さようなり。