おそらく、分かってる人は分かる話なので、つまらんかもしれぬ。
まあそれはそれでいいのである。

何かを学んだとは、それを別の何かで応用できることを意味すると、
僕は勝手に思っている。

状況、環境、自分の気持ち、そこにいる人、・・・まあ「環境」といえばそれまでだが、
その環境が違うときにそいつ、つまり学んだものを出せるかどうかということに尽きる。

仮にそいつが出せなかったとしよう。
それをときに人は「実力が」出せなかったとかいうかもしれないし、
「調子が」悪かったというかもしれない。
どちらにしろ、なんであれ、結果的に「学びを出し切れなかった」という解釈でいけそうである。

この状況にはこれ、その状況にはそれというのは、
実は決まっていない。おそらくそれは考え方にもよる。
が、考え方によっていても、同じものなどないというのは、僕が
学べる人、正確に言えば学ぶことのできる人にはそれが常にある。
逆に言えば、常に同じであるという人間からは学ぶことが非常に少ない。
時には反面教師で終わる場合がある。最も、反面教師ととらえている時点で学んではいるのだが。

一瞬一瞬が違うということだ。単純だ。

得たものを消化するとは、学ぶということになるが、
果たしてどこまでそいつを使えるかは、自分次第、つまり学ぶ自分次第となる。
そこで言い訳をたくさんする人が大量発生する。
「自分は力がない」とか「能力がない」とか「そもそも知らない」とか。
言い訳はダメとは思わないが、あくまで「絶対」ダメという意味ではないだけだ。
大抵の場合はダメだ。必ず自分では到達できないようなものに責任を押し付けている。
一体どこまで自分は関わって自分でどこまでやったのか。
それでもう無理だというなら自分は納得しているはずで、次へいける。
でも、そんな問いをしてないようでは、また同じ事を繰り返す。

それが、結局、仕事に「向く向かない」という話につながる。
向かないからダメだったというのは分かるが、ではその向かない理由を、
理由が明確ではないなら、「明確ではない理由」もしくは「思ったまま」を述べてみろと。
述べなくても自分で整理できて、こっそり明文化できるレベルまで落とし込んだかと。
そういう作業はしたのかと。
した上で「向かない」ならば、悔いはないだろう。

それをせずに、何かを語っても、言っても無駄である。
何が無駄か?そう、何も変わっていない。つまり得たものを消化してない。
学んでいないのだ。

学ばない人間は、次に動けない。
動けないというのは、6坪の家にいたら、50坪にいっても6坪分しか動けないということだ。
残り44坪は全く見えない。実際にはあるのにという話。
動けないから、それ以上にはならないのはいうまでもない。

仕事でいえば、別の仕事についても、前の仕事で感じていたもやもやは、
おそらくまた「出現」する。そう同じようにまた出てくる。
そしてまた葛藤なり、自問なり、苦しみなり、愚痴なり、仮病なり、「おかしいぞ」という
焦りなりで、また考えることになるだろう。
「なんでまた同じことが起きてるんだ」

そこで、学んだ人間かどうかは一発で分かる。
これはあれと同じだ。なんでこんなことになったかは・・・。
そうだ、これは乗り切れるぞと。乗り切れそうだと。今度は違うぞと。
いや、今度も同じだ。やはり、合わない。合う仕事なんてないんだと。
何を思ってもいい、ただ進めるかどうかというレベルの話。

苦労がない仕事、人生はないという。
果たしてそうなのか。それはなんでそう思うのか。
意見で明文化できないなら、ゼスチャーなり、表現をしてくれよ。
そうしなきゃ伝わらない。いや単に誤解されるだけだ。
あえて伝えたくないならそれでもいい。でも、自分にだけ伝えないのだけは、
老婆心としていっておこう。

人生における一般法則を、そして成功法則でもなんでもいいが、
それが自分で実感できて初めて「消化」できたという。
それを分からずに自分の言葉として出来ずに言う「知ったかぶり」は別に悪くないが、
非常に役に立たない。発言者にとっても、それを聞く人もだ。
そういうのを無駄な会話というが、最もこういう会話も時には必要悪であろう。皮肉だ。

現実とは厳しいというだけではない。むしろ温かい。
しかし、なぜかどこかで勘違いしてしまってそれを軌道修正できぬ時がある。
突っ走るのもいいが、そのときは思い切って。
適当に歩くのもいいが、そのときは本当に適当に。
ユートピアは決してないわけではないと思うが、
何をもってユートピアに行きたいか、そしてそれがどういうものであるかを
考えて、こういうものかもしれぬといって、こうすればいけると思わなければ、
やはり「ない」のである。

何もせず楽をして生きるのも一興。
どこかになにか自分にふさわしいものがあると思い続けて死ぬのも一興。
一興と割り切れるだけ思考したならいいが、おそらくそこまでいく人は
結構限られてしまうのか。だから意見を言うのは恐ろしく、何を言われるか分からなくて、
ときにお前はおかしいといわれるだろうから。

そこをあえて前に出るという選択はほとんどの環境において、
再現可能なスキルだと思っている。が、そう思ってない人は
おそらくこのブログは読んでない。うはは!