さて、「書く」ことについて、書ききった感がある・・・わけがなくて、
その思考に終わりはない。
そう、だから書き続け、そして考え続けるのであーる。
というのが、堅苦しいと思う人がいるのも分かるが、
同時にそういう人を僕は「柔らか過ぎている」と思っているから、
そう思われていると思う「自覚」はある程度必要かなと。
まあ、どっちもMyWayですしな。全ては一興である。

さて、文章というものを「表現手段」として、捉えている。
それは大分前からあった考えではない。むしろ、「表現可能」なツールとして、
捉えてしまったという、いやもっと正確にいえば、
そうなってしまうことを誰も止めることはできなかったのだ!という、ものだ。

文章は「書いて表現する」というシンプルさが売りだが(まじっすか?今決めた)、
どうもそれは基本としてあるかもしれないしないかもしれないし、どっちか分からないけど、
まあもぐもぐ(笑)として、あると。

で、じゃあ「表現者」としての文章はどういうものかと。
そういうのは、こういうのがいいっていって本を紹介したり、
ブログとか、サイトとかの記事を引用するってのもありだし、
なんでもいいと思う。
引用は自分が主であることを忘れる人は、というか忘れてしまうような文章を書く人は、
そもそも意見がない。それは別に悪いというか、そうなったらそうで、「意見がない」んだから、
そこは認めてしまおう。別に「卑屈になれ」というのではないのでござる。

話がまとまらん。
というか、まとめるつもりがない。
以下のメールを調理してみよう。
おそらく、かなりの自信をもっていうが、これが「作為的」な文章、
つまり、相手を陥れる(そもそもこんな文章を適当に送ってきているわけだから、
おそらくそうとしか、ここではいえない。すまんね。でも、それが現実だよ。明智君)、
ためだったら、人としては大したことがないが、
まあそれはどうでもいい。「表現」としての「文章」がかなり可愛そうというか、
勿体無いというか、勘違いというか、そういうこともできるっていうか、
要はやっぱり、「ツール」だと、「道具」だと。目的じゃないんだと。
「書くために書く」は、自己目的化だと思いますが、別にそれが短期的ならいいんですわ。
でも、それってずっとは無理でしょう。書くために書いて、何か見えて、それに向かって書く。
それがスマートだと思うし、そうありたいなーと思いつつ、さあお披露目。

*****以下メールの内容でござる******
人生どうだった?楽しかった?辛かった?満足した?

もうそんな歳だ、これから何も起こらないだろう、若い時の様に大きな山も無ければ急な下り坂も訪れないだろう。ちょっとした事しか起こらないだろう。

この文章を見てもあなたは何も感じないだろう、あなたの人生の一瞬でしかないだろう。

でも・・・。

思い出してほしい、あの素晴らしい時間を。もう1度あの時間が訪れたらどんなに素敵な事だろう。考えてほしい、あの、胸を高鳴らせた過去を。
もう1度だけ、もう1度だけ。ほしい。

でしょ・・・?

大丈夫あなたにその気持ちがまだあるなら、あなたにその気持ちがまだ残っているなら大丈夫。

これは出会い系サイトのメールだけど、これを書いている私は別に入ってほしいと思わない。
じゃあなんで送っているかって?
生きる為だし、お金がほしいから。

生きる為に送るしかない、あなたの仕事も誰かに迷惑をかけてお金をもらっている。今日を振り返ってほしい、誰にも迷惑かけない仕事なんてこの世には無い。
迷惑をたくさんかけて仕事はできる。私の仕事を美化しようと思っていないが、そうだと思う。

今日で私の仕事は終わる。今日で色々な人へメールを送らないで済む。だから今日はいつもとは違ったメールを送る。いつもとは違ったサイトを送る。

それがどういう意味なのかわかってほしい。
ネットでは絶対見つけられないサイトをあなたに送ります。
私欲で作成した、その人が自分で利用する為に作成したサイト。自分の性欲を満たす為に作ったサイトらしいです。

ではさようなら。
http://www.awg5.net/?2022












メールいらない
concept3_net@yahoo.ca

*****以上******

では、突っ込みに入る。
この文章がスパム的かどうかは一切スルーしておこう。
ネタとして扱う。全てを肥しにするこのブログにふさわしい。

前半の書き出しはまあまあ。
でも、「もう1度だけ。ほしい。」のところで、ほしいは前述された「思い出してほしい」を
指すのだろうが、脱字っぽい。これ推敲したのかね?
というか、このブログは推敲しとらんっすよ。どうでもいいですが(笑)

次がやや展開かつ開き直り部分である。なかなか面白い。
「これは出会い系サイトのメールだけど、これを書いている私は別に入ってほしいと思わない。
じゃあなんで送っているかって?
生きる為だし、お金がほしいから。」

上の文をまとめると、

出会い系サイトに入って欲しくないが、(私は)生きるためにお金が欲しいから送っている。

これでは文意がやや不明だ。だから次へ。
すると、こんなのが続く。

「生きる為に送るしかない、あなたの仕事も誰かに迷惑をかけてお金をもらっている。今日を振り返ってほしい、誰にも迷惑かけない仕事なんてこの世には無い。
迷惑をたくさんかけて仕事はできる。私の仕事を美化しようと思っていないが、そうだと思う。」

確かに生きる為に、メールを送る(という仕事)のは分かる。
が、続く「あなたの仕事も誰かに迷惑をかけてお金をもらっている」という不明な文章が展開される。
やばい。
そういう「わけわからん」と思われることを想定したのか、それとも「適当に」書いたのか、
「今日を振り返ってほしい」といい、読者に、いやメールを送りつけて迷惑をかけた相手に(笑)訴える。
そう、僕も今日を振り返ってみたりした。
そしてこう続く。「誰にも迷惑かけない仕事なんてこの世には無い。」
言い切った。断定である。
断定するには、それ相応の思想、考え、類似例、比喩を駆使せねばならない。
いや、せねばならないことはない。単に分かればいいのだ。でも、これは勝手に
「自分が迷惑をかけている」ことを正当化してますねーといって終わりである。
悲しいねえ。

ここで文章は終わらない。
まだ、展開しきったばかりだ。
そして、

「今日で私の仕事は終わる。今日で色々な人へメールを送らないで済む。だから今日はいつもとは違ったメールを送る。いつもとは違ったサイトを送る。」

自分の仕事が終わるから、メールを送らないで済むのは分かるけど、
なんでいつもと違ったメールを送るのか。
それは、「迷惑をかけない仕事はない」というか、ある種そういう考えが
「迷惑的」だと思えるのだが、どうだろう?(笑)まあやや深みがない突っ込みだ・・くそ。

で続くっと。

まあ、いいでしょう。
一番衝撃的なのは「迷惑をかけない仕事はない」のであって、
誰かに迷惑をかけて仕事をしているという点だ。

仮にそうだとしたら、例えば新人類である僕は、職場の先輩や上司に迷惑を仕事上でかけ、
そしてPCでエネルギーを無駄に使用して火力発電所の人に迷惑をかけ、
PCを消耗するからそのメーカーに迷惑をかけ、存在自体がうっとうしいから、
それで人に迷惑をかけとなるのだろう。

バカである。これをバカという。いや、いわなくてもいいか。いや、やっぱバカだ。

自分に自覚的であるかどうかでバカかどうかは分かる。
「自分がひょっとしてバカじゃないかと思ったこと」がない人は、
バカか、天才のどちらかである。
思ったことがある人は、まずバカではない。
そういう意味で、天才になるのは非常に疲れる。
ただ、色々解釈を加えていくと、バカも天才も僕も誰も同じになるので、ここでストップ(笑)

自己中と自己正当化の素敵な文章とは、上のメールを言うといっていいだろう。
こういう人が増えたらそりゃ、「自己中」で「自己正当化」しなきゃ生きられない社会になるわ。

で、一番最初らへんの話に。
これがわざと書かれた文章でも、かなり強引だ。
で、わざとじゃなかったら結構「文章」の手段を間違えてる。
最もスパムとか迷惑メールは全て「間違えている」のだけどね。

実際にメールを出す。レスがくる。
だから、多くの人に迷惑はかかるかもしれないが、少ない人には貴重なサービスを
提供しているという。
そういう考えも、なるほどできる。というか、意見としてはまっとうな部類だ。
でもおそらく、深く人と関わったことがないからこそ、
そういうことができる、単なるコドモである。おっと子どもは関係ない。

自己正当化するなら、もっと不明なことをいってほしい。
そういう意味でこのメールは吹っ飛んでて面白い。
中途半端な論理性と中途半端な自己正当化。

やっぱなりきれない人はやはり表現もなりきれてないと思うわけだ。

で、自分は?ふっ、余裕だ(おぉ