メモを少々。

そもそも、緊張せずにリラックスして働ける場所ってあるのか、というと、
おそらくない。おっと、リラックスして働いている人がいないという意味じゃない。

この問いは、
そういうものがあって、そこで勤めるとか、そこで働くという話である。

起業なんてところまでいかなくても全然良くて、というか僕は起業するから、
そういう「全然良くて」とは本当はいっちゃだめなんだけど、ここは目をつぶって(笑)、
いうんですが、

環境は作るものだと。というある人の言葉があって、それは何度もブログに書いてるんですが、
それってもっといえば「どんな境遇も状況も受け入れてそっから話が始まるべさべさ」ということになりそうです。

実際にそうだと思ってます。

仕事も適度に楽しめて、人間関係もそんなに悪くなくて、
通勤もそこそこの時間で通えて、福利厚生も悪くない。
そういうところが、「緊張しない」ところだとしましょうか。
で、それがどうしたのという突っ込み満載の話だよねーという話です(笑)

上っ面、表層、氷の海面から見える一部のさらに上の一部、それだけみたら
「氷」かすらか分からない、もしかして自分のパンツだと思うかもしれない(表現が悪い)、
そういう話ですな。

視野が狭い人に言えるのは、おっと、少なくとも僕はそういう人よりも視野が広いと
思っているから言うのは明確ですが、
「わざと」視野を狭めているようで、実は「狭めている」のを理解してないという
矛盾があります。この矛盾はあまりよろしくないもので、なんでかといえば悪循環だからです。

だからまあ、視野が狭いことに気付いてないといえば、えらそーな意見になりますけど、
そうなりますね。
だってそうなんだもん(笑)

で、何かを生産とか創りだすってのは、やっぱどんな人にもいると思うのですよ。
障碍があって、何も出来ずにベッドにいても、絵筆加えて何か表現しようという人は
確かいたはずですし、ベッドの上からビジネス興した人もいるようです。
だから、そういう意味でまず「健常者」「障害者」ってのは、区別する必要がないんですよ。
というか、僕は区別してない。
だから、自己を受け入れてない障害者は弱いですよね。最も健常者でも同じく弱いんですが。
だからこそ、あらゆる境遇を受け入れてやるしかないわけです。
これは「書く」話でも同じように、結局「書く」しかないのと同じだと思います。
過去を嘆いてもしょうがないし。

分かりますよ、そりゃ。
何かもう相手が絶対悪い事故とか、意味が分からん暴力とか、
そんなの「安全」といわれる日本でもあるわけです。
そういうのが心理的に、トラウマになってしまって、病になるのも分かりますよ。
でも、やっぱり乗り越えるとか、受け入れるってのは自分なんで。

そこで受け入れられないから自分が弱いから、どーのこーのいうのは
やっぱアウトだなあと思います。
え、それほど自分は強くないって?そんなことだれに言っても強くないのを
認めたり、他人が受け入れても、自分が弱いことは受け入れない話は進みませんでございます。

あるところで、「着地」しないと、始まらんと。
着地してないのが、無意味な「愚痴」(愚痴に意味があるのもあります。思考過程のトリガーとして役立つとか(笑)なんだこの表現は・・・)とか、
現状に対する不満、ネガティブな考えとか。まあ例外もありますけど、スルー。

覚悟といってもいいでしょう。その会社で一生働くつもりがないなら、
適当に働けばいいかというと、それは違いますね。

ユートピアみたいな環境がどっかにあって、そこで暮らせるために、
探しているってのは、僕が一番嫌いな考えです。
うそ、まさかそんなことを考えている人間がいたの?って思うんですが、
そういう人はやっぱ視野が腐るほど狭いです。
情報があるっていってますけど、フィルタリングの機能が情報収集機能より上回っているのか、届かない人には届かないんですなあ。

で、環境があって、それはそれでいいとして、
存在している環境と自分が作る、生産する環境がやっぱあってこそ、
一つの「環境」だと思うわけです。

仕事が合わないから辞めるのは問題ないんですが、
それと何をしていきたいかは別問題で。

辞めることで今の苦痛を回避したいだけなら、多分辞めるのはよくないと思われます。
何をしていきたいかなんて、まあその人の納得いくことのレベルもあるので、
なんでもありなんですが、あれやってみたいなーと思うのがあれば、
それを何が何でもやるというのがなければ、やはり少しでも「辛い」とすぐ
終わっちゃうのだろうなあと。

何をしたいかから、探すのではなくて、
あるべき環境から探す。

だから構えは常に、受身である。
受身が全て悪なわけじゃないが、この場合は主体性が感じられない。
そんなのだったら、別に「あなた」じゃなくても、マスにつんで測るほどいるわけさ。
そんな人に任せるわけがない。

やりたいことが分からないなら、分からないといえばいいし、
仮に分からないというのが「恥ずかしい」なら、それをパワーにして、
自分が分からないなりに分かるように動けばいい。

そういうのがもし「面倒」なら、
やっぱそれまでの人間さ。これは厳しさでもなんでもなく、
そういう人間として僕も含めて、そう思われるだけ。