うーん、熱い。
で、コメントしてたら、新たな記事が。何の話かって?そりゃ、まいる空間のお話でござい。
前回エントリ「ものすごく引っかかったこと。」を通しての雑感。

というわけで、話はまだ続くのでございますが。
にしても、同じこと考えてるなーと妙に思いましたね。
嬉しいのやらどこかで差別化せねば、いかんと。負けてしまうと(えぇ
TB先は常にライバルであれと、僕はいいました(自分かい!っていつの間に!

んでは、本論に。

どうやら、言葉の定義、いやそもそも言葉の定義で片付く問題ではないんだと
まず先に言っておきながら、言葉の定義の問題だったようです。
だったようです、というのは僕の中ではスッキリしてないからです。納得というか、スッキリです。スッキリしたらどうなるかというか、単に僕がスッキリしないだけで、書くわけです。うふふ。

「書きたいように書く」という言葉の意味が、
「伝わるように書く」という意味なら、やはり全然違うと思います。まず、です。
あと、「書きたいように書く」というのが、「好きなように書く」という意味ではないなら
これもまた違います。
要は、「書きたいように書く」って一体なんなんだということです。
これは問いとして整理したいところです。

まいるさんが「自分が」以外の言葉がかかるとは思っていない、なんていわれてますが、
僕も同じで「書きたいように」なんて、自分以外の誰が書くのという話になります。
書くのは自分なので、やはり自分です。
で、多分話はこれで終わることはなく、そもそも揚げ足取りするのが狙いでもなく。

自分が思ったことを、文章にできるかどうか。
そういうことを考えて見ますかね。自分が思ったことを文章にできるかどうかは、
やはり人によると思います。すごーく無難な意見ですが。
それプラス、好き嫌いもあるんだろうなと。あと、表現したいかどうかってのもありますね。
自分の人生に興味ない人もいますからね。文章!?で、しかも自分を!?表現!?
なんて考えられない人もいると思われます。僕はそれが分かりませんから、
書けないといってるのは、書かない言い訳(=代弁装置)だとおもってます。

できるかどうか、ではなく、やるかやらないかという指標でものをみるようになりました。
それは結構前かもしれません。学生の頃はそう思ってても意外に何もしてなかったかもしれません。
書けるか書けないか?ではなくて、書くか書かないか?ということになります。
書くということでいえば。

だから、まいるさんが言っていると思いますが、
どうのこうのいっても、結局「書く」しかないのではっていうところに僕もつながっていきます。
どう考えても、僕の前のエントリでも言ってるんですが、
書かない理由、書けない理由をあげてどういう意味があるのかが分からんです。

分からないならそこで放置プレーでもいいんですが、
「書かない」のを「なんで?」って言われても、「あんたが書かないからに決まってるよ」という
ある種笑い話になる問いをしていることになります。面白いですね。皮肉でなく。

英語でいくと、 I dont write.になるんでしたか。まあ適当でいいでしょう(笑)目的語がいる?もうしらない。

で、次は「書けない」のほう。これは可能の意味で。I can't write.になりますかね。
「書くことができない」のは「なぜか」ということになると、
自然と話はできる、できないの話になりますね。
おーってことは、canで言ってたら、そーなるわねえ。あーそういうことか。
すごく納得しちゃった。

can writeだろうが、writeだろうが、書きたいのではないかと。
文章で何か表現したいのではないか。表現という言葉がやや敷居が高い!なんて
思うなら、何か示したいのではないか。自分の思ったことを書くとすげーすっきりする、
というストレス解消で書くの僕は大好きですが、そういうのではないか。
と思うわけです。

自分が思ったことを書くことができないのは、
ここらへんは誤解を恐れずに言うわけですが「問題」です。
文章が嫌いだろうと、書く事が嫌いだろうと、書くことから逃げることは現実的ではない気が。
読んで話せればいいというのは分かりますが、契約書など自分で書かねばなりません。
すごく現実的な話ですけどね。

そこらへんをつめてくと、
書く事ができない人はいないとなるわけです。
書く訓練を受けてないとかそういうのはここではスルーですけどね。
で、おそらく「can wirte」といってるそれは、「うまく表現できない」というレベルだと思います。

ここで話を脱線させると、
「分からない」というとき、何が分からないか分からないといっていては、
おそらく「分かる」ことはないでしょう。
ただし、「分からないことが分からないのだよ!」と分かったら、分かる気がします。
言葉遊びではなくて、事実だと思ってます。問題の明確化はすなわち解決であるとは良い言葉でございますな。

で、戻すと、
「うまく表現できない」といってるのは、何をうまく表現できないのかっていうことになってきて、
いや違うんだよ、うまく表現したいだけなんだ、というだけの話なら、
そんな「うまくいかない」ことなんて、腐るほど転がってるので、その時点でアウトかと。
またアウトかよーと思いますが、アウトなものはアウト。

自分の思ったことを文章にしたいと。そう思った人がいるとします。
じゃあその人はまず、文章を書くでしょう。で見直すと。
あら、うまくかけてないな。と思う。
それはなんで?どこが悪いのか。自分が思ったことと違う。
「書いた文章」が「自分が思った文章」ではないなんて、当たり前田のクラッカーでございまして、
そもそも完璧一致とか、100%一致していると思っていることがアウトですな。

僕がここで書いているのも、別に自分の気持ちに素直なのは当然ですが、
100%一致できているとは思ってませんわ。
人と会話して一言で100%通じるかどうかって話を考えると分かりやすいです。
ならんでしょう。何度も話すのが常でしょう。で、伝わる、分かるとなると。

100%一致はないとは思っているが、やはり「違う」からうまくかけないといっても、
結論は僕の中では同じですわ。

書きたければ書けばいいし、書きたくないなら書かなきゃいい。

で、僕が何を言いたいか。もうかなり明確になってきました。
「ブログブーム」で「やってみよう」といってやるのは自由だし、
僕は歓迎しますし、ぜひぜひ書いてもらいたいとすら思ってます。
でも、それがブームだからやるのか、本当に書きたいものが「無意識レベル」であって、
ブームはきっかけにすぎないのかと。
おそらく、ブームでやればそれだけで終わるかと思います。
それが悪いのではなくて、そういう人が「うまく書けない」からどーのこーのいう理由はないし、
そもそも僕にそんなこと言われる必要性がないし、言う必要もないわけですな。

じゃあ、何か。おみゃーさんは、文章で!表現!したくて、すごく深い思い入れがなきゃ、
そういう「うまく書けない」って言っちゃいけないのかと?そういわれるのでございますか、と。

まさか、そんなこというわけがございません。

非常にシンプルにいえば、「書きたいから書く」それだけです。
それがあれば、そもそも最初は「うまくかけなく」ても、「書こう」として、書くので
次第に「書ける」はずです。少なくともそう思う。

「うまく書ける」というのは、これまたでかい話ですが、
作家が文章表現に優れていればなれるかというとそういうものでもない、
ということから、そもそも「うまく書ける」なんて客観性はないわけですわ。
伝われば結果オーライだし、それが結果が全てといっても多分僕は嫌われないでしょうね(笑)

自分が思ったことを表現できないなんてのも、同じように突っ込めます。
何を思ったかによるし、どこまで表現したいかにもよるわけですわ。

文章が書くのが好きでも、ブログで書いてやってくのか、
メモになぐり書きするのが好きなのか、原稿用紙に書いていくのが好きか、
メモを取るのが好きか、という意味で大分違ってきますし、
表現したいのは、自分の気持ちだけなのか、他者の気持ちもか、
背景もなのか、自分についてのもっと深い理解なのか、誰か伝えたい人がいるのか、
広めたいのか、自己がスッキリするレベルでいいのか。

その前に自分が思ったことってなにか。
1つなのか、頭の中で整理できてないだけか、言語にできるレベルじゃないのか、
それも分からないレベルなのか、そもそも何か思ったのか。

僕の場合は、考えるということで、問うことで、それを細分化させ、
より明確にしようとしています。
これを感情の明文化というのかもしれませんが、
同時に感情は理屈ではないというやや違う話かもしれませんがそういうのも好きですし、
最もだと思います。

書いたものがうまく表現できてないからといって、
誰が怒る?のか、誰が文句いうのか。誹謗中傷したなら別ですが、
思ったことってそんなことじゃないでしょう。もっと軽やかな文章のはずです。多分。

たまにはタイトルの問いに答えてみますかね。
書いたものは、やはり思考であり、自分の身体!の一部であり、
身体がうまく表現できないなんてのはなくて、そのものが存在として表現されているから、
やっぱ文章は血肉であると。

だから良いもの食うと、良い文書が書ける(肉くれー(笑)
良い文章とは、自分の納得したものって程度の意味でっせ。