いかん。
熱くコメント打ってたらいつの間に。夜更かしさんタイム。

HOTEI VS リップスライムの歌、滅茶苦茶いいわ。新ジャンル開拓(笑)
ま、それはいいとして。

同期と軽くというか、同期が眠いといって切り上げた。2時間の会話では未消化。
話は一点でまとめると
「結果的に向いてない仕事は選択肢を狭めるよね?」

いや、それは違うぜ、旦那。
という話を展開するが、同期がダウン。次回に持ち越し。

多分遠い狙いというか、目的でもいいし、前提でもいいし、信念でもいいんだけど、
この仕事は向いてなかったといって、じゃあ何に向いているかを探す?っていうのは、
なんか違うんですね。
なんでかというと、それは「向いている仕事」がどこかにあって、
「それを見つけよう」としているので。

え、仕事ってそうやって選ぶんじゃないのって思ったら、僕とは考えが180度違うってことは言えますな。おめでとう(笑)

若僧がえらそーにいいますが、そんな仕事はねーっすよ。
それは本を読んでどこかに何か答えがあるのといって答えを求めるのと同じ。
ヒントはありますけど、ヒントといっても自分の導き出す答えのヒントであって、
ある正解へのヒントではないってことですなあ。

きっと探せば見つかるさとは思ってませんわ。残念ながら。
探すという時点でアウトで。
こういうことをしてみたいという基準、あ、これ基準ですね、それで選ぶっきゃないと。

まあそれだけじゃあないと思いますし、それが僕は重視してるだけってことですわ。

だって、もし選んだ仕事が向いてないというか、意外につまらんかったら、
「運」なんですかねえ。向いた仕事に就けるってのは。
そうじゃないでしょう。そうではないのでござる。

例えば給料が良いという仕事がいいなら、その仕事につけばいい。
手取り20万じゃダメだから、25万、次は30万・・・みたいに徐々に上げるのもよし。
でも、僕はそういう風にはやるつもりは毛頭ないっすわ。それだけは確か。

やりがいを求めるなら、やりがいを考えて選べばいいでしょう。
これは面白そうだからやるってね。まあ給料は安いかもしれませんけどね。
でも、やりがいが満たされるならいいのではないかと思うわけです。

同期が言うには、「向いてない仕事というものを経験したから、選択肢が減る」と。
なんか分かるんですけど、すでに「自分」の出来る仕事は「あらかじめ決まって」いて、
その仕事が1つ減ったみたいに聞こえるんですね。
消去法で選んでいって、最後に残った1つが向いた仕事なのかと。
そう問うと、それが「向く仕事か、合わせられる仕事か」ということになると。

うーん、ここで分からなくなりました。
向く仕事のために、向かない仕事を経験している?
合わせられる仕事か、向く仕事かって並列で並べられる事象なの?違うんじゃない?

向くか向かないかはやってみないとわからない。それは一致。
結果的に向かないものは、向かないでいい。それも一致。
向く仕事をやりたいということ?ならば、向く仕事をやれば?
まず、向く仕事って何かを考えなきゃいけないけどね。
合わせられる仕事っていうのは、受身すぎるから嫌な言葉だけど、許容範囲ってことですかねえ。

仕事というものに対する出発点が異なることをひしひしと感じました。おそらく真実でしょう。
これが人との会話で学べるものさ、ああ、やっぱ話すのは楽しいさ。

社会貢献できる仕事があって、それをやれればよくて、社会貢献の質というか内容は問わないってのは、かなりアバウトすぎて、ちっとマズいと思ったり。
向く仕事をやりたいというのは、ちょっとおかしくて、
結果的にしか「向く向かない」はいえないから、結果前に「向く向かない」をいってるのは、
論理破綻。とか破綻だからなんだって感じですが(笑)

すぱっというと、「で、何がしたいの?」で、
「で、そのために何してるの?」で、「どう生きたいのさ?」となっていくわけです。

いいじゃんいいんじゃん。人の人生だから、その人が生きたいように生きれば。
僕はそこらへんで非常に戸惑いというか、何か違和感を感じます。
自分では発生しないストレスというか、発生しえない「苛立ち」は、
やはり僕なりに解消できると思ってるんです。だって発生してないんですからね。
だから考えを伝えればオーケーちゃんだと。そういう風に多分会話してますね。
いいぞ、いいぞ。

こうしたいぞ、ああしたいぞと。
そういう人間は何か主張が強いよねーという人もいそうですが、
おそらくそれは誤解でしょうな。逆に、主張が強いよねといってる人が、
主張が強い気がします。おお、逆説決まった・・・。

黙ってやるのがカッコイイかもしれません。
不言実行ってやつです。もう、そこらへんの人間が束になっても
叶わないレベルですね。素晴らしい。

さあ、寝ます。ぐうぐう。