観念的、論理的。

観念だと、頭を使っている気がするが、実はそれは知的な遊戯のレベルであって、
頭を使っている錯覚のような気がする、といってるのも錯覚かもしれない。

2つ道があって、どちらがいいかを比較するために、いくつか、例えば5つくらい比較する要素を取り出したとしよう。
A道は、ここがいい、B道はここがいい。というように。
そして、良い悪いとか、合う合わないとか、面白そうとかつまらんとか、
そういう感覚も含めて、A道がB道より勝っているとする。
だから、Aにしたとしよう。

さてここからが問題だ。
選択とは常に誤りが含んでいる。誤差と思うかどうかは悲しいことにその人次第のようだ。
A道を選んだからといって何も保障されていない。
B道にすればよかったと後悔しても、後のお祭りちゃんである。

じゃあどうすればいいのか。
A道を選んだならそれなりにその道を進む方が多分良い。

さて、こういった選択時に僕が最大に重要視するのは、「納得」である。
納得できないものとか、1mmでも怪しいと思ったものは、なぜかその1mmが
ずるずるずるずると後までついて回るものだ。といいつつも、1mもの疑問が
意外にすんなり解決することもある。
だから、自分の直観というのは、その質であり、量は関係ないということになる。
つまり、気になるものは気になるであり、気にならないものは気にならないというわけだ。

納得をもって、A道を選べば、おそらくB道が良かったかも、A道で大丈夫かと思っても、
これでいいんだと決めたし、それで納得したから、後悔はなくなる。
不思議なことに、こういう納得とか、まあ人によるだろうけど、
何かしら感覚的に自分を肯定しつつ、これでいい!といって選ばない人に限って、
ブツブツいうものだ。けしからぬが、まあスルーしとこう。


話を飛ばそう。
リズムに乗ればいいと思う。波ではなくてリズムだ。
波はあまりにも自然任せすぎる。波を起こすことが出来るから問題ないって?
そりゃそれでいいけどさ。
リズムなら口ずさむこともできる。気分が乗らんときは、大抵頭の中を流れるリズムは
ほとんどない気がする。と、勝手に決めつけておこう。

さあ、明日も働いちゃうかな。