友人と話してた。

要は、自分の伝えたいメッセージを
どんな層、人々に伝えたいのかと考えると、
興味を持つ人に伝えるというか、
「そういう世界」もあったのかというくらいの認識?の
縁がない人に届けたいということになる。

やる気がない人間にやる気を起こさせるのは
多分ムリだという論からいけば、これはムリなように思える。

しかし、これは結構大きな問題な気がする。

ターゲットを絞って、マーケティングを行うのは、
個人や規模の小さな会社にとっては当たり前の考え方かもしれない。

それでは「次につながらない」という考えも分かる。
もっと外に(ターゲットとしている特定の人々以外に)広めるという考えも分かる。

ここは我慢だと思う。
何が我慢かといえば、ターゲットを絞って核を作るまでの間は我慢して、
固めていかないと、多分壊れるぞってことになる。

振り返ると、今年は「核の大事さ」というのが分かったようだ。
それは色々なことをやっていても、自分という一本の核があれば、
決してぶれることはないというものだ。

核があるってことは、その自分というカゴから
出ないってことじゃない。むしろ、出るがための核であると。
同じ行為、行動でも、人によって全く違うことにみえる、という経験をした人は多いだろう。
それは人によって興味・関心レベルが違うからという単純な説明でも、
納得してもらえると思う。

それくらい人は違うものってことかな。

自分の考えやメッセージを届けたいなら、
核を作ってそれを基に広める。広めるにも色々あるから、
自分が違うなという方法ではやらない方がいい。
でも、自分の偏見とかもあって、一気には出来ないこともある。
またそういう判断も一種の核の一つになるので、楽しみたいところ。

ブログの可能性って話は大分前にした気がするけど、
ようやくそれが実行にうつせそう。
結果を目に見える形で、残して、次のもっともっと若い人に
少しだけ人生観に影響を与えて、後は任せたぜ!といって
いけたらいいと思ってる。(なんだこりゃ

可能性って言葉が好きなのは、
文字通りなんでも出来るわけじゃないけど、何にも出来ないわけじゃないから、
って意味でかなあ。

というわけで、迷ったら原点に戻れ!っていう話でした。