思い出したので。

昔、浪人していたとき、どうにも友達を作るのが面倒だった。
いや、高校時代の僕もデフォルトは友達作るの面倒な方に入ったのだと思う。そう自信がある。

高校1年のとき、その高校は学校用サンダル?(トイレのスリッパみたいなやつ)に
上履きと称して履きかえるのだが、ある日突然上履きが消えた。

ある種の嫌がらせだと思っていた。
心当たりがなくはなく、クラスのいわゆる不良にベクトルが向いている人々の仕業か、
まあ、どこかのヤンキーが適当に遊んだか。
まあどちらにしろ、その上履きは出てこなかった。
犯人探しをする気力もなかった。ただイラついていただけだ。

浪人時代では、とくに予備校で友達を作った覚えがない。
同じクラスの人と軽く話す仲だったというのは一人いるが、
そこで思い出されるのは「万引き」の話。中学生じゃないんだしさ・・・。
万引きを平気でするやつと友達っていうのは、それって友達じゃないんでは?っていう、
問いが浮かんだことを今思い出した。

そう、その問いをあるエッセイ集的なHPに送ってみたら、
あんたの考察は適当で深みがなくて、つまらんみたいなことを言われたことを
いまだに覚えている。確かに適当だったかもしれないが、
そこまで言われる筋合いはないな、というメールを返信した覚えもある。
なんでもそこに投稿する読者はもっとレベルが高いという趣旨があったので、
それも鼻についたけどね。

その友達?は、主体性というか、やる気というか、なんていうの、
まあ僕とは合わないわけで、半年過ぎたあたりからふと話すのを止めた気がする。
別に絶交とかそういうのではなくて、なんかね。

反社会的行動を取るのがカッコイイとは思わないが、限度によるので、
不良というものを理解しようとはやはり思えない。
ルールが違うから理解できないというのでいいんだろうけど、
不良というのは、相手にされないとすごくイラダツということを僕は理解していたりする。
まあ、不良というか人間なら誰しもそうだ。

浪人時代から、中学の時の話へ。
これは以前も幾度かしているのだけど、不良を意識的に無視していたら、
おまえうぜーということで、少々暴力をふるわれたことがある。
これはまあ、ある種洗礼みたいなもので、イラダツのだけど、まあいいとしよう。
いいといってるわりに、納得はしていない。
おそらくこういう印象に残る嫌なことは僕は一生覚えているのだと思う。
それは恨みとか、妬みとかではなくて、自分がそういうことをしないように、だ。
たまにだけど、自分が嫌なやつ(え、いつもだって?うそん)なことをしているとき、
ふっと、嫌なやつを思い出して、そいつみたいだなーとか思うときがある。
そういうときは大抵、ダメダメだ。頭を冷やさなきゃいけないときだなと。

自分の中で親友と呼べる人間は数人だ。
中学以前は残念ながら記憶が吹っ飛んでいるのと、
やはりある特定の地域で集まった群れ的な意味合いでの友達というのがあるので、
高校以降になると、
こちらから切り出した、つまり話しかけたやつで、話が合うやつは、
やはり親友だなーとか思う。

友達の定義っていうのは、あまり意味がないかもしれない。
でも、「連れ」と「友達」と「友人」は使い分けている。
連れという言葉は使わない。僕は。最も関係度が浅そうだから。
というか、連れを作るのがなんか嫌だというか。

そういわれれば、僕は大学でも友達を積極的に作るタイプではなかったな。
というか、今でもそうだ。気分というか、デフォルトで積極的ではないな。
かといって消極的でもない。多分この言葉たちは少々オーバーなんだろうとは思う。

友達と友人の違いは、くだけた感じかどうか、くらいかもしれないが、
友人というときは、やはり「語り合える」という要素が強い。
そういう意味で、友達が何人とか、そういうのは僕の中ではどうでもよくて、
「語り合える」人がいるかどうかで、人生が変わっちゃう気がする。
ああ、だから新興宗教とかいっちゃう人がいるってのは一理ありそう。
分かるが、やめといたほうがいいというお節介を。だって、語るなんて仲がよければ
自然にできるんだしさ。


んーそんなところかな。