セミナーで気づいたことなどをば。
技術者や技術の定義はもちろんされていないが、
技術って何かはっきりいって分からない。
ただ技術者とそうではない人と考えたとき、
やはり技術者は何かにこだわっているのかもね。これも適当だけど。
一つのビジネスのもち具合が短くなっているせいで、
昔のように数十年も一つのビジネスでやっていくことは難しいようで。
だから、技術でもなんでも、ある程度経ったら次へいかないとおいていかれる。
ここで、別においていかれるとはどういうことかという考察はスルー。
昔は一つのビジネスを長くだが、今は多くのビジネスを短くという
形に変わってきているということかな。
まあ、ビジネスによるんだろうけど。全体的にそういう傾向にあるのは否めないっすね。
スピードが違うという表現もできるわけですな。
今はスピードが速い。それがいいかどうかはちらっと話題になったかな。
まあ、どちらも一理ありけり。
技術者的視点が僕には身につきそうにもないけど、
技術者は技術に打ち込める・集中できる環境が必要で、
だから会社は雇用を保障するのがいいかもーという話があり。
それって、技術者だけにいえない気がしたんだけど、やっぱりそうかな。
誰だって、土台があったほうが、保障があったほうが「精神的ゆとり」があると思うので。
あと、技術者と事業家と経営者の進化?があって、
技術者が誰もが事業家に、経営者になれるわけではなく、という話もあり。
というか、そもそも経営とかしたい人って少ないからこそ面白いと僕は思っていたり。
え、聞いてないって?すいません。
変化というところで、常に変わるものと、そうではないものがあるそうな。
例えば、核となるところ。これって、コアコンピタンスとかコアビジネスだっけ。
いや意味分からんっすけどね。そういうので騒がれたときもあったような。
そういや、横文字やアルファベットの略称もあんま意味ないしね。いらね。
核となるものが変わって、変わるべきものが変わらないとやばいそうな。
人間でも同じかなあ。やっぱ仏教とか教えはいいなあ。おっと、脱線。
今の若い人は粘りとか、元気とかがないーという話もあったけど、そこはスルー。
で、技術者は今は技術とか会社とかにこだわるよりも、キャリアとか自分にこだわるという
のが主張したいことかな。ああ、ゲストと司会者のね。
今の若い人というのは関係なく、今の時代に生きるなら、さまざまな形態があるってことですわな。
現場で鍛えられる云々は、
それは仕事において、達成感とか失敗のNOT満足感とか、そういうところだとにらむ。
とりあえず、仕事をしてみるっていう選択肢は僕の中では、かなり良い選択なのでオススメ。
ああ、これから働こうとしている人に向けてね。
ここらで持論を展開。突っ込みいれながらメモったやつ。
もっとも近いところが最も遠いという、まさに格言を吐く。
こいつは、例で2つ挙げてみる。
経営コンサルになって経営を学ぼうとする人は、実際に経営を学べるかは不明だと思う。
なぜなら、経営とは1つではなく、いや、仕事といったほうがいいか、
仕事は未知との遭遇だからだ。経営といったほうがやっぱよかったかな。
経営コンサルは、あくまでも経営のコンサルタントであって、そういう仕事だ。
だから、経営コンサルやって経営を学ぶってのは、ソトッツラはきれいだからこそ、
罠があるような気がする。
だから、自分を動かす核があれば、大丈夫なんだよと逆説的に言えるわけ。
って、もちろん経営コンサルやってる人とか批判してないし、してるって?
これからコンサルとかやろうとしている人を批判しているわけでもないけど。
ただ、なんか、経営とか起業とかっていうと、「普通のことではない」心構えみたいな、
ノウハウとか、やり方が必要だと思っている人がいるようで、
確かに、そういうのも一部はあるんだけど、そんなの100あるうちの1つくらいでしょうと。
そういうことを吐き捨ててみたいわけです(えー
で、もう一つ。
転職をして、別の視点をえて、学んでいくのも自分を磨く一つの方法だなと思ったり。
まあ、それはおいおい考えていけばいいこつぁ。
技術的なことと、ビジネス的なことは相反することととらえるのではなく、
どちらも必要というのが現代の技術者に必要なこと。
って、これってなるほどねーと思うんだけど、でも単に相対的にそうなっただけのようにも思える。
そう、つまり技術者が技術だけで生きていけない理由は、
相対的に技術者の価値が低くなったということ。おっと、これは別に事実ではなく意見。
技術者が多くなったのか、技術の進歩で技術人自体がいらなくなっているかもしれないし。
そこらへんはよく考えなきゃいけんですけどね。
まあ、でも、ビジネスと技術を両方学んでいくという感覚は分かるというか、
しないとだめな気がする。というか、それやったらすげー。とか勝手に思って、
そうすることにしたり。まずオベンキョしないとね。
MITだかなんだかしらないけど、ビジネススクールかな。詳細忘れた。
ともかく卒業生の声として、2つあって、
1つが、ビジネスの知識を知ることで、その知識自体よりも、知識によって
自信がついたということ。ビジネスにおいて分かるから、分からずにへこむことはないから。
2つ目に、OpenEyesで、視野が広がったということ。
で、これって別に手段であって、例えばですけど、
MBAとったら起業できるだのってのは、ミミタコでお聞きの方もいると思うので、
スルーしといて、それなら、どこでも学べるじゃーんって勝手に思う。
現に僕も大学で、ビジネス!とは縁遠い!ところで、良いこと学んだと思っているわけで。
例えば、選択したものに納得があれば迷わないし、力にならないことはないとか、
そういう志的なものが必須だと後から発展してくんだけど。
そういう意味で、ビジネススクールは無機質ですね。中は多分ホットなんだろうけど。
ここらへんはあいまいにぼかしとこう。
技術を磨いて、経営などをしたいとかそういう人は、
一つの会社でそれらをやっていくか、つまりはサラリーマンから出世する道か、
会社を転職したり、起業したりでやっていくかという方法がある。
どちらにしろ、いきなりジャンプできるわけじゃないのがポイント。
それぞれにそれぞれの方法がある。
例えば、1つの会社でやりたいなら、そういう方法があるわけ。
転職や起業でというなら、そういう方法があるわけ。
さあ考えよう。
で、技術者はってもうここらへんで技術者の意味がほとんどないんだけど、
志が大事で、志があってこそ、技術者、知識やビジネスが活きるって話。
その通りだなと思いつつ、逆に言うとなんで、技術とか、知識から入る人が多いか、
分からないっすわ。
だって、いくらすごい技術でも、ビジネスにしてすごく売れてもさ、
結局何をしたいかっていう志がなきゃ、意味がないというか。
こういう人の意見とか聞いたり、考えたりすることによって、
簡単に動じない訓練というか、そういうのは大事だなーとかふと今思った。
だって、簡単にひょろひょろ動くってのは、やっぱCloseEyesなわけで、
視野が狭く、明るきゃそっちの方向いっちゃうんじゃないかなーって。
で、ここらから脱線。
思ったのは、まず「やりきる」ことが大事だということ。
?しきるというやつ。仕事でもなんでも、趣味でも、なんでも。
中途半端が悪いわけじゃないけど、熱とか志とか想いがあるなら、
そいつをとにかくやり遂げるというか、小粒でもやりきるってことが大事かなと。
それは飽きるほど何かをするとかそういう感覚と同じでもあり。
そこでいえるのは「表現しきる」ってこと。
僕のブログで表現できることは限られているかもしれないけど、
このブログ、ネット、文章、己のアウトプットはまさに無限大。
表現を中途半端にするんじゃなくて、言い切るとか。アウトプットしきるとか。
そういうところ。うーん、いいね。
自分が正しいってことをあえて主張することはないけど、
自分が正しいという思いは大切にしたほうがいいし、そうしている。
自分が正しいといってもいいし、言わなくてもいいしというのは、
それらを踏まえた上でのお話でございます。
こうであるといったら、そうであっていいというのは、
決め付けはゴーマンでもなくて、思い上がりでも、自己中でもない。
だって、そうなんだからそうじゃないと。
もちろんこれは、自分に関することで。人にとやかくいってたら、
多分友達できない。あ、僕友達いないよ。ごめんなさい。
結果的に、ゴーマンなら、そいつは友達がいないという結果で、
自分がさびしくなるから、その考えは淘汰されるわけ。
これぞ自然の摂理だと思うんですわ。いかが。
人が集まるところに、人が集まる。
志が集まるところに、志が集まる。
同様にいえば、何か、感じるものがあるからこそ集まる。
人を集めるのではなく、情報を集めるのではなく、
人が集まるように、情報が集まるように、
同様にいえば、何か感じるところがある人になろうと思った。
これって、マーケの話と同じだと思う。
それは、「売る」のではなく「売れる」という仕組みを作るというところかな。
まあ、どちらにしろ、売り続ければ仕組みが出来ているわけで。
最初に「売りたい」か、「売れるようにしたい」のかの違いかなあ。
結局仕組みがなきゃ、組織なら利益の継続はできませんよってことですな。
自分が人が集められる人間というか、集まってくる人間になれば、
強力なアンテナとなり、プライベートブランドも遠くないなあと思う。
個人メディア確立も可能だし、色々できそう。あんま思想的なこというと、
狙われるかもしれん。まさか。
最後に微妙に気になる話あり。
それは、会社で異質な人が例外とされ、変わりものとされているから、
伸びない会社があるーという話。
その例外こそが、モデルなんだよと、気づかない。
という話は、非常に興味深い。
というか、そこで気づかないのではなく、例外と思って扱うからこそ、
その会社が継続できている気がしたりする。
これって末期かもね。その会社はもう変わらないだろうね。
まあ、いいっすよ。会社なんて自分の人生を捧げる場所にあらず。
捧げるのは漫画喫茶のみ(えー
お後がよろしくないところで、さようなら。