誰かが言った。忘れた。というか違うかもしれん。言葉が。
幸せとは、生きるとは、働くとは。
すべて難しいことで、すなわち哲学的と一般に言われる問いだと思っている。
だからといって考えなくていいことではなく、むしろ積極的に考えるべしと
思って僕はここまで生きてきて、楽しいし面白いとすら思っている。
自分の生き方に自信がもてなくなるということが全くないぜ!といいきるつもりもないし、
というよりも、たまに「間違っているんじゃないか?」と思うときもあるので。
だけども、あえて「言い切る」必要性もあるなと思う。
もちろん、人の性格によるんだけど。
決めたらやる人は多分それがいいけど、あまり決められない人は決められずに生きる方があっているかもしれない。
別に馬鹿にしてないけど、そう聞こえるんだろうな。
だって僕自身決めずに生きるほうが堅苦しいから。
逆に決める方が堅苦しい人もいるはずだからね。オホホ。
働き方によって、例えば、正社員なのかフリーターかでかなり視点が異なる。
フリーターは大分「ニート」という言葉で「格があがった」感があるけど、
ま、それはいいとして、
そもそも、正社員とフリーターを比較することに意味がない。
土俵が違うから。
まず、正社員とは何かと問おう。
正社員とは、会社組織の存続に必要な人間だという意味合いが強い。
もちろん、中途採用だろうがなんだろうが、正社員は正社員だ。
同様に派遣社員なども、正社員ではないというのは、派遣社員は
業務を補うだけに過ぎないからだ。逆にいえば、もし派遣社員ではなく、
正社員が必要なら会社は正社員を雇う。派遣という契約的なことはしない。
ああ、期間契約ね。
正社員がもちろん、誰もが半永久的に勤めるわけじゃない。
僕みたいに勝手に卒業日を決める輩もいるが、そういう人はおそらく少ないと思う。
皆、会社で働いて生きていくというのが「デフォルト」だと思っている。
別にそれが悪いわけでもないけど、別に「それ」だけが道じゃない。つまり生き方じゃないってことだ。
もし、会社で働く以外で生きていけるなら多分そうするんじゃないかな?
と思うわけでございます。ここらへんは視野とか志とか、見えにくいものの領域の話ですな。
で、フリーターの話。
フリーターの知り合い、友人は僕の短い人生でも何人かいる。
勝手にフリーターとして十把一絡げ?にするのは申し訳ないが、
何か、フリーターという選択に自信がないようにみえる人が多い。
もちろん、そういう自分が正社員だからといって、「自信」があるかどうかと問われると、
スルーしたくなるが、ここはあえて答えてみよう(ほう
自信があるなしはおいておいて、選択に自信があるかどうかでいえば、
僕は正社員になってよかったとおもうし、その選択自体は間違っていないと思う。
やはり、会社組織で働くという経験は後からレバレッジ(最近この言葉聞かないっすね。テコの原理のことです。タコじゃないっす。)きいてくるかなとにらむ。
フリーターは、アルバイトの連続なので、多分予想というか、もう自分の中で決定しているんですけど(まて
フリーターでそこから、仕事ぶりが認められる人ってやっぱり、気合が入っているというか、
選択に迷いがなかったとか、そういう人なんだと思う。
フリーターは長くするものじゃないと思う。せいぜい若いうちでよくて、
例えば、アルバイトの仕事ってアルバイトだもの。
アルバイトを馬鹿にするわけでもなく、フリーターを馬鹿にするわけでもなく。
仕事=報酬が完全に一致しているというか、
仕事の応用・発展がしづらい。もっとも、できないとはいいきれない。
だから、発展させたら、正社員で採用とか。そういう罠っていっていいのかしらないけど、
罠があると思うんだけどね。
例えば、フリーターには、3種類あって、夢追いタイプと、モラトリアム型と、なんとなくだっけ。
たまたま大学時分のお世話になった教授がフリーターについて大分調べてて、妙に覚えているし、
今でも関心があるなあ。働き方云々を超えてね。
夢追いの人はやっぱ少ないらしい。なんだやっぱりと思う。どこまでデータが正しいかはあまり重要ではないといったら、フリーターがこのブログを攻撃してくるかもしれない。
モラトリアム型ってのは、もっと考える時間が欲しいってやつだ。
でもこれって、大学卒業して、とくに学ぶ気もないのに、大学院いくやつと
ほとんど変わらない気がする。
あと、ついでに、大卒で会社勤めとかの就職してるからといって、
別に「逃げてない」とはいいきれない。
数的にいって、フリーターよりだらしない正社員は多いと思うんですわ。え、意外?多分ね。
なんとなくってのは、多分一番悪いかな。
選択とかそういうことから逃げているからね。
え?なに?選択しない人生を選ぼうが自由だろうが?
うむ、議論の余地なし。ここから立ち去られい!ですな(笑)
危機感というかスリルというか、ハングリー精神は無理か、
何かやってやろうという野望かな。それは遊びでもいいんだろうけど。
そういう遊び的な意味でいえば、高橋歩の本とか、サンクチュアリ出版の本は、
参考になると思う。多分生き方の土俵が違う人にとっては、「あこがれ」であったり、
逆に「遠い存在」になるとおもう。
だって、そもそも、自己を正確に把握している人なんていないのにも関わらず、
自己を正確に把握している人がいる!って思っている時点でアウトだから。
あ、これ説明いるね。
って、そういえば、唯野教授って筒井氏の本ってこんな口調だっけ。思い出した。
さっぱり分からなかったけど。文学部行きたい人は多分参考になる。
文学と哲学ってほぼおなじに見えるんだけど。記号論とかさ。
で、説明。
何も苦労を知らない人にみえても、実は苦労を知っているかもしれないし、
そこは分からない。多分。
だから、そういう意味で決め付けるのはあんまりよくない。
まあ、そういっても決め付けるんだけどね。
頭が良い人って実際にいるけど、別にデフォルトでそうなわけないし。
やつにとって面白く学べる行為が、例えば物理学だったら、そのやつは、
天才に見えるかもしれないって話。
結局、言いたいことはこうだ。って、別に一つのことをいいたいわけじゃないけど。
正社員だろうが、フリーターだろうが、働いていることに変わりはない。
でも、求められるものとか期待されるものがやや違うし、
比較することにあまり意味はない。そりゃ国はブツブツいうよ。収入へるわけだから。
ああ、税金のことっすよ。ただそれだけじゃないかなと思う。
まあ、一応「経済成長云々」とはいうけど、それは多分建前だろうね。多分ね。
自分が思ったようにしか人生はならないっていうけど、
多分それは当たりだと思う。
何をしようが何をしようまいが見ている人は見てるし、見ない人は見ない。
それは、自分を見る見ないの意味もあるし、見えるもの?が見えるみえないって二つの意味を含むんだけど。
結局今の環境をフルに活かすしかないなと思う。
もう先が見えない、どんづまりだったら、その先が見えないのが
1ヶ月か半年か分からないけど、やはり1年くらいが精神エネルギーの限界じゃないかと
勝手に思うわけですわ。
今の環境を活かせないと、多分、環境自体に対するレベル(経験値)は
いつまでたっても変わらないと思ったり。
さて、久しぶりの長い独り言。
全部読まないほうがベター(ニヤリ
幸せとは、生きるとは、働くとは。
すべて難しいことで、すなわち哲学的と一般に言われる問いだと思っている。
だからといって考えなくていいことではなく、むしろ積極的に考えるべしと
思って僕はここまで生きてきて、楽しいし面白いとすら思っている。
自分の生き方に自信がもてなくなるということが全くないぜ!といいきるつもりもないし、
というよりも、たまに「間違っているんじゃないか?」と思うときもあるので。
だけども、あえて「言い切る」必要性もあるなと思う。
もちろん、人の性格によるんだけど。
決めたらやる人は多分それがいいけど、あまり決められない人は決められずに生きる方があっているかもしれない。
別に馬鹿にしてないけど、そう聞こえるんだろうな。
だって僕自身決めずに生きるほうが堅苦しいから。
逆に決める方が堅苦しい人もいるはずだからね。オホホ。
働き方によって、例えば、正社員なのかフリーターかでかなり視点が異なる。
フリーターは大分「ニート」という言葉で「格があがった」感があるけど、
ま、それはいいとして、
そもそも、正社員とフリーターを比較することに意味がない。
土俵が違うから。
まず、正社員とは何かと問おう。
正社員とは、会社組織の存続に必要な人間だという意味合いが強い。
もちろん、中途採用だろうがなんだろうが、正社員は正社員だ。
同様に派遣社員なども、正社員ではないというのは、派遣社員は
業務を補うだけに過ぎないからだ。逆にいえば、もし派遣社員ではなく、
正社員が必要なら会社は正社員を雇う。派遣という契約的なことはしない。
ああ、期間契約ね。
正社員がもちろん、誰もが半永久的に勤めるわけじゃない。
僕みたいに勝手に卒業日を決める輩もいるが、そういう人はおそらく少ないと思う。
皆、会社で働いて生きていくというのが「デフォルト」だと思っている。
別にそれが悪いわけでもないけど、別に「それ」だけが道じゃない。つまり生き方じゃないってことだ。
もし、会社で働く以外で生きていけるなら多分そうするんじゃないかな?
と思うわけでございます。ここらへんは視野とか志とか、見えにくいものの領域の話ですな。
で、フリーターの話。
フリーターの知り合い、友人は僕の短い人生でも何人かいる。
勝手にフリーターとして十把一絡げ?にするのは申し訳ないが、
何か、フリーターという選択に自信がないようにみえる人が多い。
もちろん、そういう自分が正社員だからといって、「自信」があるかどうかと問われると、
スルーしたくなるが、ここはあえて答えてみよう(ほう
自信があるなしはおいておいて、選択に自信があるかどうかでいえば、
僕は正社員になってよかったとおもうし、その選択自体は間違っていないと思う。
やはり、会社組織で働くという経験は後からレバレッジ(最近この言葉聞かないっすね。テコの原理のことです。タコじゃないっす。)きいてくるかなとにらむ。
フリーターは、アルバイトの連続なので、多分予想というか、もう自分の中で決定しているんですけど(まて
フリーターでそこから、仕事ぶりが認められる人ってやっぱり、気合が入っているというか、
選択に迷いがなかったとか、そういう人なんだと思う。
フリーターは長くするものじゃないと思う。せいぜい若いうちでよくて、
例えば、アルバイトの仕事ってアルバイトだもの。
アルバイトを馬鹿にするわけでもなく、フリーターを馬鹿にするわけでもなく。
仕事=報酬が完全に一致しているというか、
仕事の応用・発展がしづらい。もっとも、できないとはいいきれない。
だから、発展させたら、正社員で採用とか。そういう罠っていっていいのかしらないけど、
罠があると思うんだけどね。
例えば、フリーターには、3種類あって、夢追いタイプと、モラトリアム型と、なんとなくだっけ。
たまたま大学時分のお世話になった教授がフリーターについて大分調べてて、妙に覚えているし、
今でも関心があるなあ。働き方云々を超えてね。
夢追いの人はやっぱ少ないらしい。なんだやっぱりと思う。どこまでデータが正しいかはあまり重要ではないといったら、フリーターがこのブログを攻撃してくるかもしれない。
モラトリアム型ってのは、もっと考える時間が欲しいってやつだ。
でもこれって、大学卒業して、とくに学ぶ気もないのに、大学院いくやつと
ほとんど変わらない気がする。
あと、ついでに、大卒で会社勤めとかの就職してるからといって、
別に「逃げてない」とはいいきれない。
数的にいって、フリーターよりだらしない正社員は多いと思うんですわ。え、意外?多分ね。
なんとなくってのは、多分一番悪いかな。
選択とかそういうことから逃げているからね。
え?なに?選択しない人生を選ぼうが自由だろうが?
うむ、議論の余地なし。ここから立ち去られい!ですな(笑)
危機感というかスリルというか、ハングリー精神は無理か、
何かやってやろうという野望かな。それは遊びでもいいんだろうけど。
そういう遊び的な意味でいえば、高橋歩の本とか、サンクチュアリ出版の本は、
参考になると思う。多分生き方の土俵が違う人にとっては、「あこがれ」であったり、
逆に「遠い存在」になるとおもう。
だって、そもそも、自己を正確に把握している人なんていないのにも関わらず、
自己を正確に把握している人がいる!って思っている時点でアウトだから。
あ、これ説明いるね。
って、そういえば、唯野教授って筒井氏の本ってこんな口調だっけ。思い出した。
さっぱり分からなかったけど。文学部行きたい人は多分参考になる。
文学と哲学ってほぼおなじに見えるんだけど。記号論とかさ。
で、説明。
何も苦労を知らない人にみえても、実は苦労を知っているかもしれないし、
そこは分からない。多分。
だから、そういう意味で決め付けるのはあんまりよくない。
まあ、そういっても決め付けるんだけどね。
頭が良い人って実際にいるけど、別にデフォルトでそうなわけないし。
やつにとって面白く学べる行為が、例えば物理学だったら、そのやつは、
天才に見えるかもしれないって話。
結局、言いたいことはこうだ。って、別に一つのことをいいたいわけじゃないけど。
正社員だろうが、フリーターだろうが、働いていることに変わりはない。
でも、求められるものとか期待されるものがやや違うし、
比較することにあまり意味はない。そりゃ国はブツブツいうよ。収入へるわけだから。
ああ、税金のことっすよ。ただそれだけじゃないかなと思う。
まあ、一応「経済成長云々」とはいうけど、それは多分建前だろうね。多分ね。
自分が思ったようにしか人生はならないっていうけど、
多分それは当たりだと思う。
何をしようが何をしようまいが見ている人は見てるし、見ない人は見ない。
それは、自分を見る見ないの意味もあるし、見えるもの?が見えるみえないって二つの意味を含むんだけど。
結局今の環境をフルに活かすしかないなと思う。
もう先が見えない、どんづまりだったら、その先が見えないのが
1ヶ月か半年か分からないけど、やはり1年くらいが精神エネルギーの限界じゃないかと
勝手に思うわけですわ。
今の環境を活かせないと、多分、環境自体に対するレベル(経験値)は
いつまでたっても変わらないと思ったり。
さて、久しぶりの長い独り言。
全部読まないほうがベター(ニヤリ