絶対このまま終わりたくないと。
もちろん会社員で。

始まったばかりといえばそれまでだけど、
贔屓目(ひいきめ)にみて、このままじゃあヤバイなあと。
あくまで贔屓目で、ですよ。

自分よりはるかに能力ある人が、その地位かと思うと、
なんかうんざりする。うんざりってのは、その人ではなく、
会社にかな。会社が悪いとは思わないから、リーマン精神はバッチリだね(笑)

なんていうのだろう。
組織の中で働くとは、結局自分をある一定のポジションにおいて、
一定の役割と一定の責任(最も平社員にはないのだが)を持つことであって、
何かそれはとても「演劇」しているようにさえみえる。

調子はどうですか。まあまあですね。って台詞が用意されててさ。
そこで仕事云々も演技の一つだったりして。
まあ、妄想だけども、なくはない・・・。こわ。

無常観でもなく、焦燥感でもなく、先走り感でもなく、
等身大の自分と今の会社が向き合いつつある。ややどうでもよくなっている。
仕事がつまらないわけでもないけど、いや正確には、仕事を続けていって、
人生ワンチャンス思想をぶつけていくと、多分僕には小さ過ぎる。
いや、別に自分がすごい人間だとは少しくらいしか思ってない。謙虚だ(おぃ

いいんじゃないでしょうか。どのように生きても。勘違い人間でも。
そういう意味で空気を読めない人間よりも、空気を読めという人間が嫌いだったりする。

いいと思います。やりたいようにやれば。

さて、2、3年は最低いる覚悟で働くと偉く短く感じつつある。もう0.5年も経つ。
想定していた成長スピードと全く違う。もっとガンガン成長しているはずだったが。
残業にも色々あって、仕事にも色々あるから、ただ働けば良いとは思ってない。

がむしゃらに、目の前の仕事のことだけ考えろというのも分かる。
でも、それは3年くらいやって、4年目以降のことを想定した言葉かな。
そうじゃなくても、3年の経験にしっかりなる。あんたのためだ。
それこそ、会社員スキルはきっちりつくような気がする。それは狙いではなくてもね。

でも、それは違うんだな。
青い鳥を追いかけている方が人間らしいか、
現実に、会社員として収まってしまうのが人間らしいか。

いや、、人間らしいじゃないな。自分が思う自分らしさかどうか。
自分はそう「あって」欲しかったか、自分に対して。
それを問うた時に、決してそうじゃないと。そんな風な否定だけはしたくない。

がむしゃらにやるのも1つのやり方だろう。
がむしゃら以外にどうやってやるのさ?

さあねえ。

プチリタという言葉があるけど、その人の書いた本があった。
表紙が南の島の海みたいで、なんかうんざりした。おっと、別に著者の考えとか
嫌いじゃないけど、ハーフリタイヤだの、プチリタイヤだのって言葉に
最近嫌悪を感じ始めているだけ。

一生働く(といっても色々あるから説明が面倒なのだけど)ことが悪くもないし、
その人にとって良ければいい。
リタイヤして暮らして行くというのも良いって人はそれでいい。

ただそれだけのことなんだろうな。

いやね、南の島で別荘とかさ。で、余生を過ごすとか。リタイヤ以後の人生=余生。
それって、すごーくありふれていて、すごーく以前からあった考えで、
それこそ、日本社会のネッコにある古臭いモデルなんじゃないかなって思ってしまったわけ。
おっと、別に悪いとは思わないけど。

それよりも、目の前の好きな人を大切にして生きたいとかっていうほうが、
なんかカッコイイし、そっちがいいと思う。

分かりやすく言えば、枠組みにはまる必要はないってこと。
そういう意味で、僕は組織の中にいる以上、この枠にはまっている気がする。
「らしくない」。そう、今の自分はらしくないと思う。

が、自分はこんなんじゃないといっても、出したいものを出せなきゃ終わりである。
スポーツの世界はそれが顕著だ。

人生の厳しさとはそれかもしれない。そうじゃないかもしれない。