圧倒的に…というフレーズの言葉が多かった気がする。というか、言っていた。
でも、それは少し違っていたようだ。

「圧倒的に経験が足りない」のではなくて、
焦りや苛立ち、焦燥感、プレッシャー。って全部同じ事いってる・・・かしら。

そういうものが「圧倒的」と感じさせていたんじゃないかと。

別に長い、暗い、ジメジメしたトンネルを抜けたわけでもなんでもない。
単になんていうんだろう。自然治癒とでもいえばいいのか、
熱き仲間や熱き人、面白い人、可能性を感じさせる出来事、わくわくすること、
楽しいこと、うまい飯ができたこと、知らないことを知った時のあの感じ、
休みにどっか走りに行くというモチベーション、仕事がやや変わりつつあって楽しい感じ、
どう考えてもやはり恵まれていると。

恵まれている。
可能性を感じている時点で、夢を描ける時点でいいんじゃないかと。

圧倒的に何か足りないわけじゃないってことに気付いた。

つまり、ここから導き出される結論は・・・

じっくり、一歩一歩。
ミスったら次の一手を打てるように考えること。
ミスらないように考えていくことも同じようにいえる。
言語化の大切さもあるし、知識もあればあるだけ良いってこともある。

人生は楽しいと思う。
このフレーズをかみ締められるかどうかで、どうも人生の充実感は変わるんだろうな。
そして、そういうことに疎い人はおそらく「何か」どこかに「ある」のだと思っているんだろうな。

青い鳥の話は有名だけども、あの本質的な部分。
それは結局「そばにいた」のだけども、それを巡る過程だとか、
気付くまでの思考・行動とか。
近くにあるのではなく、近くにあったんだと自身の経験の中で打ち出す・・・。
それが大事なんだろうけど、おそらくそうやって感じる人は少ない。

もっと簡単に言えばこうなるかな。
「充実した人生を送りたい」という人は多いけど、実際にそのために動く人はすくない。
例えば「充実した人生は何か」ということをまず考える必要があるけど、
それを考えるのも面倒な人もいるし、
そのために「草むしり校庭全部」という試練があったら、普通はやらないから。

うーん・・・悪くない表現だ。
まだまだナマッテナイなあ・・。

思えば小学生の頃、「人間は楽する動物だ」と。
あの先生は一生覚えてるし、一生の恩師ということで。
ああ、美談だね。いいね。