アクセス解析にてトップ。2件だけど(笑)

そうっすね。なんで生きるのかって。
本当分からんところですな。

ただこんな分からんことで、死んでしまう人もいるわけで、
それも分からんですけど。

誰かが
「何で生きるかって分からん」と
教えてくれる…わけじゃないっていつ気付いたんだろう。

まあいいや。

でも、変な話、宗教なんかに触れちまわないと
「哲学」だの学ぶ意味がないかもしれない。
だって、日常生活で全く必要ないから。本当に「生きる」だけなら。
哲学なんてそういう人からみたら、クソみたいに見えるんだろうと思う。

さて。

なんで山に上るのか。登るか、か。
そこに山があるから。

ならば、人はなぜ生きるのか。
そこに自分の人生があるから。

これでいいじゃないかと思う。そういう感覚でいいのだと思う。

村上龍が言いまくってる、アナウンスが届いてない、というのは
結局、そういうことなのだと思う。
ただ知らないだけじゃなくて、通信網、インフラからつぶされているといえばいいんだろうか。

アンテナを張る事。それでカバーできるって結構前に気付いた。
多分そいつは、自分の動きの成果だと思うけど、誰もそれは認めてくれない。
というか、認めてくれる必要がない。だって、自己評価しか今は意味がないから。
他人から誉められれば嬉しいけども。それとは違って。


なんで生きてるんだろうなんて。考えても答えがないなんて
とっくに分かってる。ってことは本当に分かっていることなのかと
ヒトヒネリくわえれば、誰もついてこれないさ。「難しい」から。
でも、日々考えている。
なんで働いているのかって。生きるために?
ならなぜ、生きているのかって。

自分は常に良い意味でこんなんじゃないと思っていきてきた。
環境によっては、「アホ」呼ばわりされ、そこで杭はもろくも打たれてしまったことも
あった気がする。だから、環境は自分で見つけるものだし、自分で構成し作るものだって、
そういうことが分かったんだ。

そういうプロセスというか、動きをせずに、
現状に対する不満、否定のみをタレ流すのはおそらく、ダメだろう。

死んだように生きるならいっそ死んでしまったほうがいいかもしれない。
明日楽しいことがあるから、生きているって。
それもなんだか違うんだろうけど、自分の人生だって、自分の人生は自分のものだから、
という1回きりの人生だというような考え方。
意外に少ない気がする。

だから、つまんなさそーな人生になるんだと思うけど、
まさか、僕がそんなことを本人の前で言うわけがない。
僕はそんなに傲慢ではないが、少しは傲慢だろう。うん、これは良いフレーズだ。