これ何度目だろう。検索ワード1件あったからまた書いておく。

簡単にいえば、「生きているか、生きるか」の違い。
学生は生きているのだけど、社会人は生きるということ。

まあ、適当なんだけど(笑)

生きているというのは、悪くいえば「生かされている」ということになる。
確かに「生きる」の連続という意味で、「生きている」という言葉は、
自分の生きるという感覚を再確認して「ああ、僕は生きているんだ!」とか使えると思う。
けど、学生は「生きている」のであって、「生きる」とは思えない。自分の学生と今を照らし合わせての話。

社会人は、「生きる」のであって、単に「生きている」わけじゃない。
まあ、ピンきりなんだけど、社会人であろうとなんだろうと、「え?まじで?」という人がいるわけで。
「生きる」ために、働き、食い、寝る。シンプルだ。
「生きている」状態は、「生きる」を連続して行わなきゃいけない。

学生でも確かにバイトしたりして、自炊生活で苦学生ーなんていう人もいるだろうし、
時には片親で、仕送りを逆にしている人もいるだろう・・・。
そういう人は除いての話かな。

なんで生きているかって、青臭い質問かね。若い証拠かね。
なんでもいいけど、そういう問いすら出来ない人間は、やはり真剣に生きてないだけじゃないかって、
そういう答えというか、問いかけもできる気がする。

社会人と学生の違いなんぞないと言ってしまえる。矛盾しているが実際は本当だったりする。
学生でバカなやつは社会人になってもバカだし、逆もまた然り。
もちろん、学習能力とか、運命論とか、才能とか、そういう話じゃなくて。

社会人になるのは、学生であって、じゃあ学生って何さ?
社会人になるまえの過程であって、前過程か、ただそれだけだ。
ある日、卵からかえったヒナはいきなり飛べるようになりますか?なりませんじゃありませんかー(笑)

って、いきなり馬って立てたような気がするけど。どんまい。

社会人と学生に違いはあるんだろうけど、そういう差異はホントに微々たるものだ。
本質的な違いはない。だって人間だもんね。
常に人との差異は紙一重…。うーん、アフォリズムっぽい(笑)