考えてみよう。
とりあえず、ブログ内検索。
自分で似たようなことは書いてる。
いずれも結論的には「結果も大切だが・・・過程が大事に」落ちついている。
ちなみに「結果」は大事じゃないなんて、さらさら思ってない。
むしろ、大事だ。過程の延長線上に結果があるという表現があるけど、それ。
それに尽きる。
過程と結果は、対義語ではなく、結果は原因だっけ。過程・・・は何?
げ、分からん。
ってことは、つまり「過程」の延長線上に「結果」で良しとしよう(いい加減(笑))
そこで、先達たけし氏の話。
間違った解釈をする可能性はあるけど、ご愛嬌で。
つまり、氏が言いたいのは「つもり」であろうと、「結果」が出なければ、
あらゆるプロセス、つまり「過程」は無駄だと。そう言いたいのである。多分。
極論かもしれないけど。
僕が一番解せないのは、「結果」のみを見る主義です。
これは「結果主義!」として、非常に「カッコイイ」気がしますが、多分馬鹿です。馬鹿って言葉は悪いな。氏は違いますよ(フォロー。
ある会社説明会でのことでした。
その説明会では、営業職を募っているので、営業の若手社員が多かったです。
どの面子(といってる時点で、すでに感情が入っている(笑))も、
「営業は結果だ」といいました。
当たり前です。結果でなけりゃ、やめろーってことです。
いや、いいんです。といってる人間が、営業に興味ありますが。ふはは。
営業は結果だなんて、誰でも言えるわけですが、これを注意深く聞いている、少なくともそこに「たまたま」いた、若手の営業社員、たまたまその会社の営業職、たまたま・・・かもしれませんが・・・・。
「結果だ」「結果だ」としか言いません。つまらん。
「結果よりも過程」とかいってほしい。別に現実逃避ではなく。
さて結果主義(ここでは、結果だけを見る人間と定義)の問題点は?
それは「結果だけを見るあまり、過程が見えない」ということです。
月並みすぎですか。こんなもんですよ。
結果を重視するなら問題ないのか?どうなんでしょうね。
変な表現しますけど、許してね♪
本来の(笑)結果主義なら、「結果を考える」からこそ、その根本である「原因」を考えるんだろうなあと。そう思いました。
つまり、営業成績が良いのは、何か原因があると。と、語感悪いですか。要因なんかにしときますか。
営業成績が良い人間が全てか分からないですが、
「こうしてみた」から「こうなった」と、原因→結果で解釈しているような気がします。
冴えない営業マンが、ある日突然生まれ変わって、成約しまくり!というのでも、
ある日突然後、したことと、前やっていたことはやっぱ違うんですね。
それが原因でしょうか。
ってことは?
そうです、誘導成功。
結果を考える人間は、原因を考える。
そこで出てくるのは、フロー。つまり、流れである(横文字使うなよ)。
原因って言葉は悪いことに使われがちなんで、要因にしときませふ。
結果1:成約しまくり。受注伸びる!
(結果1の)要因1:営業マンの交渉が良かった。
結果2:全く成約できず。やばい!
(結果2の)要因2(原因):営業マンの説明がおぼつかなかった。
とか、まあこんなのがあるんでしょう。多分ね。
で、結果1から結果1の要因を考えるわけです。ごちゃごちゃになってくう。
フローとしては、
要因1→結果1となります。金持ち父さん貧乏父さんみたいですね・・・はは(!?)
誰かの口調をパクってしまった・・。
もう御分かりでしょう(話を手短にするため)。
要因1→結果1の「→」は、フロー、流れ・・・そして・・・「過程」なんです!
おおーニュートンばりの発見だああ。(あほ
話を戻しますか。えいや!(この口癖ってなんかであるんですか?結構使う人いたような)
(えいや!でやるとか・・・ね)
三論法?でいきますか。
結果を考える人間は、原因を考える。
原因を考える人間は、過程を考える。
よって、結果を考える人間は過程を考える。
って、たけし氏さん、考えないなんていってないしなあ。やべっ。
で、「つもり」の話は、
「がんばったつもり」でも、「がんばった」でも、「がんばってなく」ても、
「結果」で一まとめにできますよね。というか一まとめにできるのが結果?
いやね、氏が言ってることが、
「結果」でなきゃ「過程」は意味ないと。
そういう風にきこえたもんですからね。ええ。氏は大好きですよ。うふん。
このくらいです。
で、「営業は結果です」というのは、
「過程を考えない」ようにきこえたから、嫌なだけですな。
だから補足で、「過程も考えつつ結果をにらむ」といえばいいだけで、
それを言えないということはそこまで考えてないと見る。
それがわが人生。おっと。
とりあえず、ブログ内検索。
自分で似たようなことは書いてる。
いずれも結論的には「結果も大切だが・・・過程が大事に」落ちついている。
ちなみに「結果」は大事じゃないなんて、さらさら思ってない。
むしろ、大事だ。過程の延長線上に結果があるという表現があるけど、それ。
それに尽きる。
過程と結果は、対義語ではなく、結果は原因だっけ。過程・・・は何?
げ、分からん。
ってことは、つまり「過程」の延長線上に「結果」で良しとしよう(いい加減(笑))
そこで、先達たけし氏の話。
間違った解釈をする可能性はあるけど、ご愛嬌で。
つまり、氏が言いたいのは「つもり」であろうと、「結果」が出なければ、
あらゆるプロセス、つまり「過程」は無駄だと。そう言いたいのである。多分。
極論かもしれないけど。
僕が一番解せないのは、「結果」のみを見る主義です。
これは「結果主義!」として、非常に「カッコイイ」気がしますが、多分馬鹿です。馬鹿って言葉は悪いな。氏は違いますよ(フォロー。
ある会社説明会でのことでした。
その説明会では、営業職を募っているので、営業の若手社員が多かったです。
どの面子(といってる時点で、すでに感情が入っている(笑))も、
「営業は結果だ」といいました。
当たり前です。結果でなけりゃ、やめろーってことです。
いや、いいんです。といってる人間が、営業に興味ありますが。ふはは。
営業は結果だなんて、誰でも言えるわけですが、これを注意深く聞いている、少なくともそこに「たまたま」いた、若手の営業社員、たまたまその会社の営業職、たまたま・・・かもしれませんが・・・・。
「結果だ」「結果だ」としか言いません。つまらん。
「結果よりも過程」とかいってほしい。別に現実逃避ではなく。
さて結果主義(ここでは、結果だけを見る人間と定義)の問題点は?
それは「結果だけを見るあまり、過程が見えない」ということです。
月並みすぎですか。こんなもんですよ。
結果を重視するなら問題ないのか?どうなんでしょうね。
変な表現しますけど、許してね♪
本来の(笑)結果主義なら、「結果を考える」からこそ、その根本である「原因」を考えるんだろうなあと。そう思いました。
つまり、営業成績が良いのは、何か原因があると。と、語感悪いですか。要因なんかにしときますか。
営業成績が良い人間が全てか分からないですが、
「こうしてみた」から「こうなった」と、原因→結果で解釈しているような気がします。
冴えない営業マンが、ある日突然生まれ変わって、成約しまくり!というのでも、
ある日突然後、したことと、前やっていたことはやっぱ違うんですね。
それが原因でしょうか。
ってことは?
そうです、誘導成功。
結果を考える人間は、原因を考える。
そこで出てくるのは、フロー。つまり、流れである(横文字使うなよ)。
原因って言葉は悪いことに使われがちなんで、要因にしときませふ。
結果1:成約しまくり。受注伸びる!
(結果1の)要因1:営業マンの交渉が良かった。
結果2:全く成約できず。やばい!
(結果2の)要因2(原因):営業マンの説明がおぼつかなかった。
とか、まあこんなのがあるんでしょう。多分ね。
で、結果1から結果1の要因を考えるわけです。ごちゃごちゃになってくう。
フローとしては、
要因1→結果1となります。金持ち父さん貧乏父さんみたいですね・・・はは(!?)
誰かの口調をパクってしまった・・。
もう御分かりでしょう(話を手短にするため)。
要因1→結果1の「→」は、フロー、流れ・・・そして・・・「過程」なんです!
おおーニュートンばりの発見だああ。(あほ
話を戻しますか。えいや!(この口癖ってなんかであるんですか?結構使う人いたような)
(えいや!でやるとか・・・ね)
三論法?でいきますか。
結果を考える人間は、原因を考える。
原因を考える人間は、過程を考える。
よって、結果を考える人間は過程を考える。
って、たけし氏さん、考えないなんていってないしなあ。やべっ。
で、「つもり」の話は、
「がんばったつもり」でも、「がんばった」でも、「がんばってなく」ても、
「結果」で一まとめにできますよね。というか一まとめにできるのが結果?
いやね、氏が言ってることが、
「結果」でなきゃ「過程」は意味ないと。
そういう風にきこえたもんですからね。ええ。氏は大好きですよ。うふん。
このくらいです。
で、「営業は結果です」というのは、
「過程を考えない」ようにきこえたから、嫌なだけですな。
だから補足で、「過程も考えつつ結果をにらむ」といえばいいだけで、
それを言えないということはそこまで考えてないと見る。
それがわが人生。おっと。