ぼんじゅーる。
アディオスhirohiroでございます。
虐待としつけの関係は至ってシンプルでございます。
躾(しつけ)とは、その漢字のままで、身体が美しいなんて解釈できますね。
立居振舞いなんて、一朝一夕で出来るわけがねえべさ。
虐待は、色々あるようです。
典型的なのは・・・というと、専門的にやってる人に「おらー」て言われそうですが、無視。
まず、虐待って、親が過度な暴力を精神的にも、物理的にも子に振るうこと、くらいに定義できますかね。
虐待の連続性(つまり、虐待された子は親になって子を虐待しやすい)はよく言われていますが、別に誰しもそうなっちまうわけではないんですね。ここらへん根拠ないですが。
いやね、人間はカマラちゃん(狼に育てられた話、ありますね)のように、環境に影響受けるんですよね。それを「否定」しないほうがまあ賢明ですよ、ね。事実みたいです。
遺伝子云々はまあ無視しましょう。あほにかぎって自分は「バカ」なのは遺伝子のせいだ!とかいいますから。
しつけとは、親がすべきものですが、まあ親がバカならしつけもできるわけがないと。
っと、しつけってなにか。そう。御行儀よくとか、マナーとかそういう点が強調されますけど、
言葉遣いもそうですし、いわゆる金持ちの坊っちゃん、嬢ちゃんの話ではなくて、
普通にそういうのは大事ですか。
「育ちが良いか悪いか」というのも、ありますね。しつけに大きく関係しそうです。
しつけが悪い人間が虐待をするわけではなく、虐待をする人間がしつけが悪いわけではないはず。
じゃあ、虐待ってなんで起こるのか。
ケースが悪化すると、子を殺して、親も死んで、心中してしまいますからね。
虐待に似ているのが、DVというやつで、これ大分普及しましたか。
どうなんでしょうね。
虐待やらDVも、発生源はまあ一人の人間ですが、その一人の人間の心が原因だと。
まあ心理学的に見るわけです。法学的にみるとどうなのかしらね。
赤ちゃんが泣き止まないから、ストレスが溜まる。だから、赤ちゃんをほかって置く。
ひどいもんですが、それだけの理由が親にはあるかもしれません。
まあ、理由があるとうなかろうと、子どもが親を選べない、選べるだろうと、
親が子どもを選べる選べないだと、産むつもりはなかっただろうとそうではなかろうと、
そういうのは全て「甘え」だと思います。
というか、それ以上に子育てが楽しく、子どもがかわいいと思える人が・・・
そういう人が少ないように感じる、もしくは実際にそうなのかもしれない。
命賭けて子どもを育てる!なんていうのは大袈裟かもしれませんが、
まあ真剣にという意味では決して大袈裟ではないはずー。
で、虐待でもそういった理由がなく、なんとなくーみたいな人は魔女裁判でもしますか。
でも、家庭の事情とか、警察は「民事不介入」が原則だし、福祉関係のいわゆる施設は、子どもを保護することも、かなり難しいのが現状みたいですね。
つまり、虐待をしようが何しようが、そこで「誰も助けてくれない」と、子どもが学んでしまう。
これって前言いましたけど、学習性無力感(Google検索)になってしまうかも。
すると、結局「生きる力」なんぞ最終的になくなって、どうにでもなれと・・・。
虐待があるのは事実で、虐待をどう思うのかが意見。
アディオスhirohiroでございます。
虐待としつけの関係は至ってシンプルでございます。
躾(しつけ)とは、その漢字のままで、身体が美しいなんて解釈できますね。
立居振舞いなんて、一朝一夕で出来るわけがねえべさ。
虐待は、色々あるようです。
典型的なのは・・・というと、専門的にやってる人に「おらー」て言われそうですが、無視。
まず、虐待って、親が過度な暴力を精神的にも、物理的にも子に振るうこと、くらいに定義できますかね。
虐待の連続性(つまり、虐待された子は親になって子を虐待しやすい)はよく言われていますが、別に誰しもそうなっちまうわけではないんですね。ここらへん根拠ないですが。
いやね、人間はカマラちゃん(狼に育てられた話、ありますね)のように、環境に影響受けるんですよね。それを「否定」しないほうがまあ賢明ですよ、ね。事実みたいです。
遺伝子云々はまあ無視しましょう。あほにかぎって自分は「バカ」なのは遺伝子のせいだ!とかいいますから。
しつけとは、親がすべきものですが、まあ親がバカならしつけもできるわけがないと。
っと、しつけってなにか。そう。御行儀よくとか、マナーとかそういう点が強調されますけど、
言葉遣いもそうですし、いわゆる金持ちの坊っちゃん、嬢ちゃんの話ではなくて、
普通にそういうのは大事ですか。
「育ちが良いか悪いか」というのも、ありますね。しつけに大きく関係しそうです。
しつけが悪い人間が虐待をするわけではなく、虐待をする人間がしつけが悪いわけではないはず。
じゃあ、虐待ってなんで起こるのか。
ケースが悪化すると、子を殺して、親も死んで、心中してしまいますからね。
虐待に似ているのが、DVというやつで、これ大分普及しましたか。
どうなんでしょうね。
虐待やらDVも、発生源はまあ一人の人間ですが、その一人の人間の心が原因だと。
まあ心理学的に見るわけです。法学的にみるとどうなのかしらね。
赤ちゃんが泣き止まないから、ストレスが溜まる。だから、赤ちゃんをほかって置く。
ひどいもんですが、それだけの理由が親にはあるかもしれません。
まあ、理由があるとうなかろうと、子どもが親を選べない、選べるだろうと、
親が子どもを選べる選べないだと、産むつもりはなかっただろうとそうではなかろうと、
そういうのは全て「甘え」だと思います。
というか、それ以上に子育てが楽しく、子どもがかわいいと思える人が・・・
そういう人が少ないように感じる、もしくは実際にそうなのかもしれない。
命賭けて子どもを育てる!なんていうのは大袈裟かもしれませんが、
まあ真剣にという意味では決して大袈裟ではないはずー。
で、虐待でもそういった理由がなく、なんとなくーみたいな人は魔女裁判でもしますか。
でも、家庭の事情とか、警察は「民事不介入」が原則だし、福祉関係のいわゆる施設は、子どもを保護することも、かなり難しいのが現状みたいですね。
つまり、虐待をしようが何しようが、そこで「誰も助けてくれない」と、子どもが学んでしまう。
これって前言いましたけど、学習性無力感(Google検索)になってしまうかも。
すると、結局「生きる力」なんぞ最終的になくなって、どうにでもなれと・・・。
虐待があるのは事実で、虐待をどう思うのかが意見。