店頭で見た気がする。2年くらいは経ってる。後、古本で御買い上げ(笑)

非常に面白かった。

とりあえず、自分の解釈では、著者は歴史という事実をしっかり学べと。
他にも色々あるんですが、まあ「バカ」とか「インテリ」とか「専門バカ」という色々なバカが結構出てくるので面白いですね。

さて・・・

たまには紹介しますかね。
まず、p.29でこないだ読んだM・ウェーバーのことが。ラッキーですね。
つまり、ウェーバーは、教師たるものは、事実を教えるだけで、考えや意見を教えていけないというわけです。ちょっと違いますが。

例えば、1945年に戦争が終わった。という事実は教えるべきだが、
1945年の戦争はこういう意味に違いないと、まあ過激?な主張をするべきじゃないと、
まあ当たり前ですが。多分こんなことです。大きく外してないはず。

そこで、先生と呼ばれる職業は、今ではだいぶ「社会的地位」が低下した気がします。先生をバカにしているわけじゃないですよ。
それは相対的に先生が増えたわけで、同時に相対的にバカ先生も増えると。
よく、先生なのに・・・事件を起こした!というのがありますけど、あれはもう大分オカシクなってきましたね。先生でも・・・というよりも、先生だからという変なイメージを与えてしまっている(笑)
だから、僕にとっては、ほとんどの先生が「反面教師」であるので、その意味で「私は教師だ」といっても良いと、すごい皮肉ですが、思ってます。

あとは・・・そうですね。
フロイトとか、ユングは学問ではないとか、宗教「学」はおかしいとか、色々な視点があって、「本」のタイトルはめちゃくちゃ多いです(ブックガイドでもあるからかな)が、飽きなかったです。

p.129にあの「戦艦大和の最期」が出てきていますけど、笑ってしまいましたね。
著者は最期の方に、この本は、インテリ向けだとぼそっていってますね。
あ、この本面白いと思った僕は、インテリなんですかね。まさかね。

p.164に龍ちゃんの「愛幻ファ」も紹介されてたり。むは。

p.185はもう後書きなんですけど、「今、ここ」という話が面白い。
結局それは、ある偉い人(かどうか知らないですが)、政治学を学ぶのに「アリストテレス」ばっかやってるから、そんな浮世離れ(いや、しらんですけどね・・・)したものじゃなくて
もっと、「今、ここ」を見ろと。

そういう流れが、いわゆる若者(コンビニの前に溜まっている人とか、って最近見ないな・・)に来た・・すると?「今、ここ」のことを考えてればいい・・・
ということが書いてあります。面白いですね。

ちなみに、常識とかバカとか、個人的定義は良いですけど、相対的な要素が強いので、
「あいつはバカだ」なんて直接言ってはいけません。というか、それがポリシー
じゃあどうするかというと、間接的な表現で言う。そして「何それ?私バカってこと?」といったら、「うん」という。それが我流。

ちなみに、この手法で友達は少なくなり、減りますが、意外にもそれで残る人間は、すまさじい人間ばかりだと言っておきましょう。

これは僕の世界で完結してるからいいものも、真似するとか(そんな人いないっしょ)、あと組織レベルの教育で、こういうことされると、たまらんですよね。うはは。

おっと、僕は学者になるつもりは微塵もありません。
あと、自分は「バカじゃない」と思っていますが、やはり「バカ」だと思いました。
バカだから出来る!という開き直りのパワーが好きですね。

もっといえば、頭の良い人は、おそらく自分に「出切る」というパワーがないから、自信がない人が多いのではないかと、という変な仮説を立てて・・・・
中途半端は悪なんですが、かといってバランスをとったところが「中途半端」ではないという罠が明確に存在するので、まあ、気をつけましょうと。

変な終わり方になってしまった・・・が、この本いいね・・・

あと、最期に、最期に。
この本、活字嫌いの人が読めるほどのレベルじゃないっす。
僕は知らない本だらけだったりしましたが(出てくる本)、慣れで読めました。正確には「ふーん」という程度で読んだということ。
それを真っ向から行くと、おそらく「バカ」ではない人も、「バカ」だと錯覚するので、非常に危険な本かもしれません。

アマゾンレビューは色々な意見あって面白いかなと思います。低・高評価、それぞれよく分る気がしましたよ。

と、エラそうにしめる。

バカのための読書術
小谷野 敦
筑摩書房 2001-01


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