うーん、いつもとはまた違って良かったです。いや、ホントに。
とりあえず、Iさんに車で送って頂いて本当助かりました。ありがとうございます。
この恩は必ず・・・。

ある日突然くっきりはっきりぱっしり見えるものがあるとか、ないとか。
自分の今やっていることは意味がないのかもしれないけれど・・・。とか。

起業への妙な焦りは抜けていて、D51さんの話によれば(って書くと、D51で検索する人がいるんだろうな・・・うひ)、人間って自己表現したいものだ・・・ということなんで、
やっぱり、起業で、ビジネスでこう社会の枠組を利益としてうまーくやっていく。経営センスを活かすってことですね。
それも自己表現だし。

詩や文章で表現したり、絵で表現したり、色々な表現があるなあっと。
んだんだ、いいながら聞いておりました。

今「孫子」なんて読んでますけど、面白いですね。
多分普通に意外だと思う人は多いはず・・・なのは、
兵法書なのに、「兵を用いずに兵を降すのが良い」とあるんですな。つまり投降させろってことですよね。
そこには、一貫した「平和主義」があると思うんです。
おっと、米国のやり方はやっぱ僕は好きじゃないですが。チョムスキーLOVE(笑)


弱いものこそが価値があると僕も思います。
ハーバードちゃん(笑)にもありましたけど、完璧なんてないって。
不完全だからこそ素敵だって。そう捉えました。

かのパスカルの「人間は一本の弱い葦である」でしたっけ。
そんなこととっくの昔に発見しちょるわい、なんて野暮なこといいませんが、
現代なら現代の発見法があり、また自分で受け入れるんだろうなあと。

前にも書きましたけど「強い人間」いないけど、「強そうな人間」はいる。
強そうに見える人間であればあるほど、「実は弱いんだ」って面があると、
妙に人間味を感じますね。別に悪魔じゃないですしね。
でも同時に、ヘレン・ケラーじゃないですけど、悪魔の心もあるわけですな。人間に。

どうあがいてもこれは拭い去れない。だからこそ、不完全。
完全を求めるのはまあ人間的な欲求だとしても、不完全を楽しむところで
うまーく着地しないと、発狂はしないにしても、おかしくなるカモ。

色々考えちゃいました。いやん。

Iさんと帰りに話してたのですが、あれですね。
感覚的に行動する傾向がある(むー表現が難しい)人間と、僕はあまり付合ってないようです。
気まぐれ的要素、突発的行動というものでしょうが、そんなことないかもと思いつつ、
Iさんの話からイメージできる人間像は僕の周りにいなくて、貴重でした(?ー?)

僕は慎重かつ大胆な人間でありたいと。
お金をけちけちするんじゃなくて、使うときには使い、使わないときはきっちり使わない。
そういう緩急が好きですね。感覚的とはちょっと違うと思いますし、
むしろ逆かもしれませんが、ここらへんはわかんないですね。んぎゃ。


とりあえず、やりたいことをやるのと、求められていることをやるのと、
うまくバランスとれたところをやるのが良いなと、月並みなことしかいえないのが
アレですが、こんなところです。

皆さんお疲れ様でした♪