高遠さんの講演行ってきました。
会場小さすぎるわ。おかげで入れない。予約制にしてよん。
でも参加費とられず(500円だけど)、外で聞いてました。

あえてメモとらなかったけど、やっぱり色々考えちゃう。
まず、死ぬことの意味って生きる意味と同様人間は答えられないってこと。
誤爆して死んだ人って、その人の生きる意味も死ぬ意味も分からない。
懸命に生きている人にとっても、その「意味」って結局微妙なずれがあっても、おなじだと思った。

確かに友人や知り合いがそうなれば、憎いし、そう思うんだろう。
だけど、その不平等、平和ではないこと、以外には自由なんだという、そういう感覚をなぜか思い出した・・・デジャブか。よくわからないけど。

それくらい現実ってドロドロしているんだなあって。
でも、ドロドロしているっていっても大したこともないのかもしれないなあって。

人が生まれ死ぬ。戦争は残酷、ひどい。でも、感情的、発狂、独裁。
そんな言葉があっても、そこに一体何があるかって。分からない気がする。

高遠さんの話で
「こういった話をきいて、どちらが良い悪い、正しいか間違っているかではなく、
自分が何をすればいいかを考えてください」といっていた。
つまり、自分で考えるってことなんだろう。
例えば、こういうことがいえそうだ。イラクの人は、テロをするやつらと一緒にされたり、
何か武装勢力といったものと一緒にされたり・・・そういうふうに思われるのが悲しいそうだ。
僕も勘違いしていたけど、やはり情報は恐ろしい。

悲しい話があって。
例えば、検問所で米兵がトマレって合図するんだそうです。どういうのかしらんけど。
で、止まらないから上にむけて発砲するんだそうで。
イラクでは空に向けた発砲は祝砲だそうで。まあ、祝ではなくても、悪い意味にとらない。
車が止まらないから、威嚇射撃をする。すると、誰かが死ぬ。
幸いとまっても、車から出てこない。殺されると思うから。

ある家族では、車から引っ張りだしたのが娘だった。
親が犯されるとおもって、銃で米兵を撃つ。同僚を打たれた米兵は親を撃つ。
親を打たれた息子は米兵を撃つ。
そこにあっというまに3人の死体が転がる・・・。

そういう知られない死は一杯あるそうです。むしろそれが多いのかも。

カウントされない死。それはすごく悲しいかもしれない。
だけど、それが日常的なら仕方がないと思う。別に死を軽んじているわけではなく。
イラク人が拉致され殺されてもニュースにもならないそうな。恐ろしい。

こっちがイラク人としてみるなら、向こうも日本人として見てくる。
その大局は、アメリカに協力して戦争を手助けしている。。だ。
この事実は変わらない。民主主義って多数決でもなかったはずなのに、くそくらえだと思う。

戦争って普通に考えてやっちゃいけないんだよ。
でもしたい人がいるんだ。なんでかって、したいから。
これを低レベルな欲求とみるか、自己実現欲求より高レベルの欲求とみるか。
本当にワケワカメの世界。家族が殺されて嬉しいやつなんかいないのに。

そういうものより、テロ撲滅とか、正義で通すんだろうな。
何か勘違いしているなあ。政治と経済一緒になるのがダメなのかな。

僕は本当に悲しい。