あえて「就活」カテゴリで。
友人と話していた面白いと思ったネタです。
友人話していて「どこまでいえばいいのか」分からないものだろうなと思ったことです。
なんかよく分からん表現ですな。
例えばの話ですが、就職活動を支援する学生団体があります。
そこでは企画・広報・折衝などなどをやると思います。会社と変わらんですね。
さすがに人事とか総務とか法務とか経理とかないだろうけど(ああ、会計はあるでしょうね)。
で、問題は広報的なことで。(ちなみに、広報と広告は違うんですってね。奥さん)
友人と話していた面白いと思ったネタです。
友人話していて「どこまでいえばいいのか」分からないものだろうなと思ったことです。
なんかよく分からん表現ですな。
例えばの話ですが、就職活動を支援する学生団体があります。
そこでは企画・広報・折衝などなどをやると思います。会社と変わらんですね。
さすがに人事とか総務とか法務とか経理とかないだろうけど(ああ、会計はあるでしょうね)。
で、問題は広報的なことで。(ちなみに、広報と広告は違うんですってね。奥さん)
学生を集める、人を呼ぶというのは、マーケティングが非常に大きな要因をもっていそうですが、そんなのはおいておいて(キャッチコピーとか、文面とかね・・。)
どうしたら学生が来るのか?を考えるわけですな。
すると、費用対効果的な話になって「ここにいくと、こんないいところがある」と
まあそう説明するわけですね。
例えば、私の店にはこんな良い商品がこんなに安く入ってます。ぜひいかが?
(こんなコピー作ったら殴られそうですが、ベタすぎてよいかも(笑))
という感じのことを説明するんですね。
話を戻して、就活支援の話で、学生がどう書いたら来るか?ですが、
「このイベントにでると、色々な人と仲良くなれる、出会いがある」というのは、書くべきかどうか・・・。って話です。前置き長かったですが。
おそらく直接的には、就活をどうやってやればいいか、自己分析の進め方は、面接はどうすればいいか、という不安要素を補うというのがあるんでしょう。
そして、やはり「テクニック」的なものもフォローできるんでしょう。
でも、それだけ書いてくるものかどうか。
これは僕は分からないですが、書きすぎという点もあるんです。
そういうイベントに来て、仲間ができたり、友人ができたり、面白い話が聞けるというのは、
結局行ってみてはじめて分かることだと思うのです。
「あえて」書く必要があるのかもしれませんが、普通そういうのって書かないんじゃないかなと思ったわけです。
もっと過激にいえば、「小学生じゃあるまいし(小学生の方、ごめんなさいね)そんな説明はいらんのだよ、明智君!」(笑)ってことです。
つまり、20歳くらいになってそれくらいのこと分かるだろうと。つまり、人との出会いがあるってのは人が集まるわけで当たり前で、そこで学びがあるかどうかは別としてその可能性があるのは分かるっしょってことですね。
あえて書いているならいいのですが・・・。
別に学生を馬鹿にしているわけじゃないです。別にノブレスなオブリージュじゃないです。
でも・・・という感じです。
上からものを見たように聞こえたら謝ります。
ただ、主体性がない人間に何を言ってもだめなんだろうなとは思います。原理原則ですか。
だからといって、主体性のない人間をほかっておくのもどうかとは思います(責任がある立場なら・・・の話です)。
非常に難しい話です。一言で言えません。
でも、僕にとっては言葉は非常に便利な反面、危険なものだと思っています。
学生は「子ども扱いされたくない」と思うだろうし、企画側は「適切なフォローをする」必要があると思うだろうし・・・。
そのバランスがとれたところで、宣伝やキャッチコピーやらが決まるというのは、考えていくと当たり前のことになっちゃいますね。
やってみないと分からないこともありますが、シュミレーションできることはしておくのが、良いなとも思います。
難しいですな・・・。
どうしたら学生が来るのか?を考えるわけですな。
すると、費用対効果的な話になって「ここにいくと、こんないいところがある」と
まあそう説明するわけですね。
例えば、私の店にはこんな良い商品がこんなに安く入ってます。ぜひいかが?
(こんなコピー作ったら殴られそうですが、ベタすぎてよいかも(笑))
という感じのことを説明するんですね。
話を戻して、就活支援の話で、学生がどう書いたら来るか?ですが、
「このイベントにでると、色々な人と仲良くなれる、出会いがある」というのは、書くべきかどうか・・・。って話です。前置き長かったですが。
おそらく直接的には、就活をどうやってやればいいか、自己分析の進め方は、面接はどうすればいいか、という不安要素を補うというのがあるんでしょう。
そして、やはり「テクニック」的なものもフォローできるんでしょう。
でも、それだけ書いてくるものかどうか。
これは僕は分からないですが、書きすぎという点もあるんです。
そういうイベントに来て、仲間ができたり、友人ができたり、面白い話が聞けるというのは、
結局行ってみてはじめて分かることだと思うのです。
「あえて」書く必要があるのかもしれませんが、普通そういうのって書かないんじゃないかなと思ったわけです。
もっと過激にいえば、「小学生じゃあるまいし(小学生の方、ごめんなさいね)そんな説明はいらんのだよ、明智君!」(笑)ってことです。
つまり、20歳くらいになってそれくらいのこと分かるだろうと。つまり、人との出会いがあるってのは人が集まるわけで当たり前で、そこで学びがあるかどうかは別としてその可能性があるのは分かるっしょってことですね。
あえて書いているならいいのですが・・・。
別に学生を馬鹿にしているわけじゃないです。別にノブレスなオブリージュじゃないです。
でも・・・という感じです。
上からものを見たように聞こえたら謝ります。
ただ、主体性がない人間に何を言ってもだめなんだろうなとは思います。原理原則ですか。
だからといって、主体性のない人間をほかっておくのもどうかとは思います(責任がある立場なら・・・の話です)。
非常に難しい話です。一言で言えません。
でも、僕にとっては言葉は非常に便利な反面、危険なものだと思っています。
学生は「子ども扱いされたくない」と思うだろうし、企画側は「適切なフォローをする」必要があると思うだろうし・・・。
そのバランスがとれたところで、宣伝やキャッチコピーやらが決まるというのは、考えていくと当たり前のことになっちゃいますね。
やってみないと分からないこともありますが、シュミレーションできることはしておくのが、良いなとも思います。
難しいですな・・・。