とあるさんのエントリ読んでて書きたくなりました。

まず「動かないリスク」ですが、
これは普通はリスクといえば、動くことで生じるリスクのことを想定しがちですが、
しかし、「動かないことで生じるリスク」もあるということころです。

よくある(?)のが、
起業のために何か努力、行動をしているかということです。
起業に限らず、何か夢があれば、それに対しての努力は絶対無駄にならないはずです。
しかし、人間たるものそんなに簡単に動けません。

ピアニストになりたいからといって、毎日のようにピアノを弾ける人はそう多くはないはずです。
プロスポーツ選手も同様。

どこかへ旅に行きたいからといってその資金をためるために、バイトしなきゃいけない。
でもなんかメンドウ。

こんな例は探さなくても転がってます。

そこで考えたいのが「リスク」。
何もしないことでは確かにリスクは生じないでしょう。
しかし、時間は有限であり、チャンスも有限であるならば、
何もしないことはその有限なものを捨てているといっても過言ではありません。
やはり時間ですかね。時間を捨てているリスクといえば分かり易いかもしれません。

2つのリスクを比較して
「動かないリスク」>「動くリスク」となると
人は動きはじめるのだと思いました。
これは不等式で、「動かないリスク」のほうが「動くリスク」よりも大きいと感じるときを表わしています。

次に選択しない選択ですが、これも全くリスクの話と同じです。
選択する・選択しないでは、選択するほうが
「選択」なんですが、選択しないも「選択」です。

メタ言語やメタ認知じゃありませんが、考え方はその手のものだと思います。

選択しない=選択を放棄したというよりも、
もっと能動的、積極的に解釈したいということかもしれません。
普通は「選択しない」は選択放棄といった意味合いになってしまうでしょうが。


とあるさんのエントリでも書かれたいたように、
選択肢というのは何個かあるものです。
仮に2つあって、1つをえらんだとします。
その場合選ばなかった(選べなかった)方は、
捨てることになります。

いつかどこかで選択=何かを捨てることとも聞いたことがあります。
私は常に消去法で選択しているわけでは決してありませんが、確かに捨てることになっていると思います。
二兎追うものは一兎も得ずではありませんが、
「選択しない」ことを選ぶ人は、自分の責任をも放棄してしまいがちなので、
きっちり自分で判断して選択して、後悔のない生きかたをしたいものですね(笑)