コミュニケーションとかいう以前に、そもそも礼儀みたいなものがない人は一定数いる。
ネットであれば尚更だが、よく掲示板で荒れるというまでいかないが、
質問者と回答者でもめるというか・・・。前提の何かについての話は大体ちぐはぐになりやすい。

無料というのはそういうものがつきものだ。だからお金を取るという考え方もある。
そして、無料でないと出来ない人もいる。無料=礼儀足りない=馬鹿=困った人、
みたいなことはないのだが、とはいえ、大体問合せやコミュニケーションで分かったりする。

くそではないが、これは怪しいなという人はスルーするのもありだなと最近は思っている。
対応コストがかかることが本当に分からない(つまり、自分が全てであり、相手は対応してくれるのでありと)
人もいる。契約とか、お金、仕事とか難しいことは言わなくてもそれらを理解したとしても、
自分の欲望を満たさないとダメだという人がいる。

信じてもらう必要はない。実際にいたのだから。ということでいい。
率は低いがいる。そしてそういった人は自分が問題であると思ってないケースが多い。
だから繰り返すのだ。どこかで学ぼう。気づく必要がある。
えらそうだが、それに気付けないと一生そのままパタンはどうやらネタでもなく、
本当にそんな感じになりそうだ。謙虚とか素直とかで良かったとかマジで自分に思う瞬間がある。

とはいえ、それでおごって終わり、ということでもない。
そういう人や話しは定期的にあら?という感じでやってくる。なんだろうなーこれ。
スピリチュアルでもなんでもなく、きちっと雨がフルみたいにやってくる。
ヤツラは常にやってくる(笑)もうそれは諦めたよ。

馬鹿はどこにでもいるとかいってた頃が懐かしい。
そう。どこにいっても馬鹿がいる。何か悟り通りで、そしてその通りで、
発言や読み通り。そういう世界に生きていたらどう見えるか?
そうゲームがつまんない、想定通りでベリーイージーモードってやつだ。
それでは面白くないから負荷をかけて、後ろ向きでプレイしたりするわけ。

純粋な感じで、おもくそやるのも、
理屈でがっちり考えてやっても、結果的に形になる頃には、
上流のごっつい石が丸くなるのと同様に、感覚は理屈に、
理屈は感覚に近づくんじゃないかってのが生きてきた印象でもある。
事実、理屈っぽい人は感情がないことを短所と思い、
感覚的な人はロジカルのなさを不安に思う。それを観るのが楽しい(笑)

最悪なのは自分で迷い、自分の中で終わるということ。
苦しい状態でも、ニカっと笑うやつが最高に好きだ。
最高の時でも、全然嬉しくないとかいって笑っているやつが好きだ。
あまのじゃくであるがために、天邪鬼が好きだ。
うまくできないのが好きだ。うまくできた時にニカっとするのも好きだ。
白鳥式でなくても、不器用であってもいい。純粋に自分に酔うこともなく、
ただ自分はこうでありたいと追求する人が好きだ。
それはこだわりとかでかいものじゃなくてもいい。
こちらが自分っぽい、こちらが面白いと思った。あなたは違うかもしれないけどね。
と笑う人が好きだ。 

今まで迷った時とか、全て選ぶ基準が決まっていた。
今も変わらないんだ。そう、面白い方をやる。ただそれだけだ。