自分の心配をする・・・ことがなくなってきた。
もちろん、余裕があるわけでもなんでもないが、
結局心配をするみたいな心のベクトル?は、
常にあるし、集中しても、何かしても一瞬は消えるが、
結局消えることがない。一生付き合っていく心理状態としてのパートナーと
言えるかも知れない。

あまり先のことを考えると動けなくなるとか、
明日のことは分からないみたいな考えが好きだ。
でも、目標を立てて動くこともないと動けないというのも分かる。
そこで、折衷したアイデア。ぼちぼちの目標、たまに厳しく、たまにゆるく。

人の逆のベクトル、点を設置して、相手を弛緩する。
緩める人。というのはいいかもしれない。ガチガチに緊張していては
良いパフォーマンスもなかなか発揮できないから。

より流動的に、形があるかないか分からないぐらいで、
流れに身を任せているように、流れをコントロールしているように、
ほぼ同時にどちらか分からないぐらいで動く。のがいいかなと。

生活のちまちましたものが、とても良いのではないかと思うのと同時に、
そこでの専門性ではない、専門性を僕は得たいのではないかと思った。
そこは非常にパワフルで、温かい、そして刺激的な領域ではないかと思う。

それは、言葉であり、人であり、場であり、ロジックであり、
社会であり、アイデアであるといっていい。ここはもう確実に射程距離。
あとはこれらをしっかりとこつこつとやっていくだけで、
あまりここに苦労とか変な言葉はついてこない。好きだし、楽しいし、やる。
という肯定の言葉で語ることが素直にできる。
 
高解像度のレンズを手に入れた時、物事が区別がつく、分かるという状態になる。
これはこうでああでというように、一般的に他人が見た時に分からないことが
分かる。気づくことができる。