色々な心配などがある中、
さて、自分のことが最も心配、または不安であるはずだが、
それを棚にあげて、人の心配をする人がいる。

不安の共有というのは基本的に好きではない。
理由は、不安を共有しようという意図が、どうもなあと。
もちろん不安です、助けて欲しいとか、そういったことはある。
でも、共有はポジティブなことをまずは共有していって、
そこから不安があればそれをってことで、不安そのものを
ある意味共有する作業はなんとも。

実際に一言でいえば、
自分のことをやってからあとはなんとでも言ってくれということになるが、
どうも順序を間違えてしまう人もいるわけで。

自己のリスク、成り行きでいくとどうなるかなどが、
見えないということもある。

チャレンジが不足しているとか、努力的なものとかフットワークが少ない中で、
得られる成果というのはやはり大したことがない。
というか、自分でそれを調整しているというのが実際にはある。
そのコントロールがどうであれ、それに応じたものが得られる。
非常にわかりやすい。だから、何も言い訳が出来ない。