根拠がいらない発言は多い。
というか、根拠がなければ発言できないなら、
未来の言葉というのは発達しようがない。
根拠がないことをいってはいけない、そんなルールはないが、
マナーとしてはあってもいい話。
おそらくとか、多分、きっと、的な推量を示す言葉は、
確定という1の基準を満たさない。
だから、きっと大丈夫じゃないかと思うは、推量レベルが高いが、
しかし、事実ではないということよりも、それによって、
推量する興味レベルにより関心を促すことになる。
何を言いたいかというと、事実そのものより、関心を促すことに
推量は役立つのではないかという話だ。当たり前かもしれないが、
一つの気づき。
オープンになっていくことで世界はフラットになりそうだが、
振り返れば、町内会はあるし、役員のなり手不足という課題はある。
と、同時にFacebookで革命が起きている、ようにみえる。
これは、なかなか一本でまとめてこれだといいきれることではない。
色々な情報があるがために、または統一できないがために、
混乱をしたり、または判断が逆に促されることかもしれない。
大事なこととしては、情報が多くなっても大した情報が増えてない可能性もあって、
それは冷静に見ていく必要がありそうだと言える。
自分に対して興味をもつ人は決して多くないが、
興味をもって何か取り組んでいる人に興味をもつことのほうが圧倒的に多い。
そういった中で、自分がどうその人を引き出せるか。そこだけに集中したい。
お金はあとから付いてくる。きっと、お金を求める人はそれくらいのレベルにしかなれないという
パラドックスが常にある。
所属を創る、コントロールする。たくさんの場を自分が創り、自分が所属する。
そして同時に人も所属する。そういう場を確実に創る。時代は後から付いてくる。