見る、ことは誰でも出来る。
日本人の多くは日本語が使える、と思っている。
でも、出来ると使えるは違っていて、
ここでいえば、見ているけど見えてない場合、それは見てないとなる。
紛らわしいが、物理的に見ていても、全体をぼやっとみていれば
細かなことは見えないし、本当に情報として視野に入っていても
見えないものが多い。
日本語も知っていて、ある程度会話が出来たとしても、
それで出来るという感覚で一般的にOKだが、
そもそも、使えるという意味では、もっとマニアックなものというか、
大きな挑戦だったり、そこに表現だったり、解説が出てきてもいいのかなと
思ったりしている。
つまり、簡単にいえば、
人が表現する言葉はその表現したかったことを100%表現してないことが多い。
むしろ、全く別のことを言いたいこともあるし、
または補足を強く望んでいたりすることも多い。
だからこそ、日本語が使える人は意外に少ないのだ。なんてね。
でも、これは大きなヒントだと思っている。