思考とは累積されたものというよりも、
流れのような気がする。ストックよりフロー。
なぜなら、問題Aに対する考え方が思考であって、
答えAは、おそらくストックに近いから。
オーラとかそういうスピリチュアルな話は、
なかなか処理が難しい。でも、きっと、それは正しい。
でも、その正しさは自分がそう思うだけであって、
客観的正しさなぞなかなか証明できない。
証明する必要がないのかもしれないね。
存在価値というものが、自分にあるのかどうか。
実際に考えると、ない。
しかし、ないなりに踏ん張って何か生み出す。
それでしかないのではないかと。それくらい自分の力がないのだと思う。
否定から生まれてくるものが好きだ。それは人を否定するのではなく、
自分の話、または自分の見方をぶっ壊して生まれるという意味合いである。
継続という言葉は、どこまで継続したらというよりも、
ある種「続ける」という保証というか、何か時間的に延長して、
もう一度考えてみたらという、アドバイスに近い。
いや、そういう意味でしか、継続というのはそもそも意味を持たない。
未来は分からないし、現在のものが常にあり続ける保証はない。
ありがとうがお金になるから感謝されること、人が困っていることを
シゴトにして、それが経験値にもありがとうの貯金となって、
お金にもなっていく。
黙々とやって、そして一つずつやっていって、丁寧さも大事だけど、
まず一つずつやっていくということ。
多分それは軸なのだろうと思う。絞り込みもいいし、ファインダーを広げるのもいい。
でも、もどってきたら一つであるということが大事で、
というよりも、自分の中で一つのことをやっているけど、複数のことが存在している状態、
これがもっとも理想の状態。
自分が大したことない、できないことをしって、そこから始まることが多すぎる。
というか、失敗はそのためにあるのではないかとすら思う。
できない、諦める。簡単だけど、そこで何か諦められない何かがあるからこそ、
何か燃えてきて、このままじゃ終わらせられない、終わらせない、終わるとかそういうことじゃなくて、
いや、挽回する。いや、挽回じゃないよ、攻めるんだよ、攻める、いや叩く、
アグレッシブに攻撃的に、そしてダメージすら与えるのだよみたいな。
流れのような気がする。ストックよりフロー。
なぜなら、問題Aに対する考え方が思考であって、
答えAは、おそらくストックに近いから。
オーラとかそういうスピリチュアルな話は、
なかなか処理が難しい。でも、きっと、それは正しい。
でも、その正しさは自分がそう思うだけであって、
客観的正しさなぞなかなか証明できない。
証明する必要がないのかもしれないね。
存在価値というものが、自分にあるのかどうか。
実際に考えると、ない。
しかし、ないなりに踏ん張って何か生み出す。
それでしかないのではないかと。それくらい自分の力がないのだと思う。
否定から生まれてくるものが好きだ。それは人を否定するのではなく、
自分の話、または自分の見方をぶっ壊して生まれるという意味合いである。
継続という言葉は、どこまで継続したらというよりも、
ある種「続ける」という保証というか、何か時間的に延長して、
もう一度考えてみたらという、アドバイスに近い。
いや、そういう意味でしか、継続というのはそもそも意味を持たない。
未来は分からないし、現在のものが常にあり続ける保証はない。
ありがとうがお金になるから感謝されること、人が困っていることを
シゴトにして、それが経験値にもありがとうの貯金となって、
お金にもなっていく。
黙々とやって、そして一つずつやっていって、丁寧さも大事だけど、
まず一つずつやっていくということ。
多分それは軸なのだろうと思う。絞り込みもいいし、ファインダーを広げるのもいい。
でも、もどってきたら一つであるということが大事で、
というよりも、自分の中で一つのことをやっているけど、複数のことが存在している状態、
これがもっとも理想の状態。
自分が大したことない、できないことをしって、そこから始まることが多すぎる。
というか、失敗はそのためにあるのではないかとすら思う。
できない、諦める。簡単だけど、そこで何か諦められない何かがあるからこそ、
何か燃えてきて、このままじゃ終わらせられない、終わらせない、終わるとかそういうことじゃなくて、
いや、挽回する。いや、挽回じゃないよ、攻めるんだよ、攻める、いや叩く、
アグレッシブに攻撃的に、そしてダメージすら与えるのだよみたいな。