朝ごはんをコンビニで、パンと牛乳。
男ならこれだというメニュー。

さて、そこで感じたことをいくつか。

まだ6時台とはいえ、
歩いていく人々の足取りが重そう。
また顔も暗く見える。

朝早いからまだ出社というよりも、
余裕をもって来ているだろうと思われる人が、だ。
いわんや・・・今後出社する人はということになるかもしれない。

会社に行くことが仕事をするってことではない。
プレイスの問題ではない。別にどこだって仕事は出来る。
仕事は選ばなきゃいけないし、ある程度創る努力が必要なのだろうけど。

仕事をするって、会社に行くことではない。
そういう同じことをくどくどと脳が感じて、
実はこのトラップにはまるから、会社にいくこと、仕事をすること、
なんかかっこよさそうな企業に就職することがゴールになっちゃうのかもと。
少なくともそうやって選んでかっこよい人は今までいなかったかも。
皆、同じように後悔をするわけで。
大企業が悪いってことではないので。

同じような組織、またはやる形態みたいなのが頭で重なった。
デジャブみたいな。人の脳をジャックして、その人の感覚で見るみたいな。
別に超能力ではない。想像の想像。妄想ってやつだ。
どちらにせよ、自分には今できることを等身大でやっていくしかない。
継続していけばなんとかなる。とは思ってない。ダメなものはダメだ。
でも、無理する努力というか、苦しいことで勝負してもその道の人には勝てない。
これは勝つか負けるかの話だから、やはり勝たなきゃいけない。

試すこと。
自分に課すという行為。克己的なもの。
自分自身を試すことって、意外にやってないような気がしていて、
それって苦しいとかそういうこととを軽く否定する上の文章と真っ向から
反発しちゃうけれど、矛盾しているけれど、必要なのではないかと。

例えば、新しいこと、やってないこと、ふわーっとした興味のところ、
そういうことをしないと、全然ダメな気がしている。
もっと自分を試したいと思っている。可能性をではなく、自分をであって、
それが可能性ってやつじゃないかと。

何をするかよりも、誰とするか。
そっちのほうが重要かもしれない。何をするにしても、
一人でやるのは面白くないからね。

朝に何かやっていく習慣よりも、
企画を打って、とりあえず動くことのほうが
重要ではないかと思ったり。企画は何でもいいのではないかと。