学生なんかといったら怒られるかもしれないが、
何か青臭いというか、すぐに世界とリンクしているみたいなのは、
ちょっと結構青臭い。が、嫌いではない。
というよりも、そういうのがどこまで大人になっても、
敏感であり続けられるかって大事だと思う。

もちろん、何をもって敏感か鈍感か分かりづらいのだけど、
子どもっぽい人の方が常にわくわくしてて、
面白そうなことをわいわいやっているからそういう人と関われる気がする。

結果は出さなきゃいけないが、
結果を出そうとしてもでないことがある。
それは目標を立てればそれが出来るということと、
目標を立てることと、目標に向かってやることは、
同じようで微妙に違うってことだと一緒かもしれない。

もっとうざったくつついていけば、
目標は多分誰でも立てられる。が、目標がない人も中にはいる。
そして、立てた目標を出来るかどうかは別で、夏休みの最初に入ったときに
立てる計画みたいなこともある。計画の立て方なんていうとまたごちゃごちゃする。
でも、計画を立てないとそれをやることはないというのもあるが、
そもそも、なぜその計画をやらなきゃいけないかってのもあるから、
話がややこしい。
さて、これらの目標をやるかどうかというか、向かうかどうかは結構最終的に、
「好き嫌い」みたいなことで、人生の肯定感、人の関わり、満足度みたいなもので
どんどん決まっちゃう気がしている。多分これは正解。
なぜなら、人って認知をするものを使わずに感覚だけでやれることを
気持ちよいと思うし、なぜそれをやって・・・という説明ベースでは
コミュニケーションは取れない。説明がダメなのではなくて、
説明していること、そこに価値を置くのだろうと思ったりする。うう、眠いな。


で、世界について考えないことで、多分幸せになれるかもしれないが、
布団をかぶって、こもっていても、結構布団世界の幸せは簡単に破られるから、
すぐに不幸というか、幸せは吹っ飛んで行くかも。

そんなことで、結局考えていかなきゃいけないって話。