例えば、「今は仕事観が多様だ」なんていったりするけど、
そもそも、そこまで変わったか?という疑問が出てくる。

人間が矛盾する生き物だが、その矛盾を指摘されて
オドオドしてしまってはしょうがない。二枚舌。ダブルスタンダード。
それこそが人間かもしれない。これは開き直っている方だが、
実は開き直れない人もゴマンといる。

人生についても同様だ。多様だというほど、選択肢はないような気がする。
哲学的にいって、生まれて死ぬ、間に何をしようがあまり変わりはない。
僕はどちらかというとそういう考えが好きだ。
だから、適当に生きればいいなんて微塵も思わないが、
そういうように思えるか思えないか。つまり、適当に生きても死ぬんだし、
と思うか、やるだけやって死にたいね、と思えるかは、
プロセス=人生というものを楽しむ姿勢でしかない、と思っているが、どうだろうか。

さて、そういった多様とか、色々というのは、
自分が自分の人生(当たり前だ)において、色々経験しているからであって、
それらが分からない人がほとんどだ。という意味で経験が豊富というのは、
多分間違っている。誰も自分の人生しか生きれないという森博嗣の指摘は正解だ。
とはいえ、アドバイスとか、色々見たくなる、話したくなるなど出会いは色々だ。

結論的には、結構やってみるもんだというのと、
結構ダメかもねーみたいな繰り返しになると思う。
人はやる気がでないときにやる気になりたいと思い、
やる気があるときには、やる気については考察しない。
そんな、というか、かなりわがままで、とても賢い存在とは思えないから。