ネットでコミュニケーションできるのが
とても便利な一方、とても重要なものが失われているとか
そういうこともある。
といって、ネットをやめろということはないし、というか止められない。

人は便利になると、道具を手に入れるとそれで
慣れてしまう。事実、すでに色々なものを失ったかもしれない。
それを退化というのか、進化というのかは結構見方次第だ。

リアルという場へのこだわりみたいなものって、
やっぱちょっとうっとうしいくらいにある方が
コミュニケーションは深堀できるような気がしてくる。
とはいえ、コストはめっぽうかかるのだけど、でも、それ以上の価値がある。

今更だが、イベント云々の企画運営の価値または、それらについては、
規模感があればお金が動くというのはある種興行的な、つまり
映画ロケで田舎町が潤うみたいな発想であるといっていい。
そういうのが悪いとかでなく、発想の種類がそれであるということだ。
事実見えてない、可視化できない、つながりとか、信頼というのは
そこからしか生まれてこない。イベントをやれってことでなく、仕事として
成果がないとできていないということだ。

そして、もう一つ気づいていなかったんだろうと思うのだけど、
そうやって何かを創ること、企画すること、そして形にすることが
常に出来る人ってなかなかいないし、自分の「好きな」ところで、
やれても、人の手伝いをやっていくみたいな立場というか、
スタンス、前提でやりたいって人も結構少なく。
例えば、1つの企画を立ててそれを実行するパワーってのは、
裏方だからとか、役割がどうこうでなく、きちっと、
仕組み化できてないといけない。いけないというのは継続していく、
ここではイベントの2回目以降をやるのでなく、
自分の糧にしていくのでもいいけど、そういうところだろう。

で、そういった仕組みだとか、継続だとか、人のフォローだとか、
そういうことを考えていくと、やはりビジネスというものが出てくる。
純粋に何かとか、そういうピュアさみたいなものが、
邪魔をするのかわからないけど、どうやって稼ぐか、儲けるかって、
金にがめついみたいなことでなく、金儲けって言葉を
どこまで落とし込めるかにかかってくる。

ビジネスが嫌いな人って、それによってかなり失うものが
大きいとすら思っている。そもそも、ビジネスというところで、
ネットワークビジネスだとか、変な情報ビジネスとか、詐欺ビジネスを
想起するくらいしか、容量や知識、経験やストック、または近辺にそういう感性
豊かな人がいないといっていいだろう。後天的なものなんだから。

幸か不幸か、僕にとっては、とてもそういったものが自然にある環境で、
といっても、親がビジネス実業家であったとかはないはずだが(笑)
もろもろの説明、前提を話せば話すほど通じていかない感覚ってのも
嫌というほど知っている。

だから結局、人は変わるし、学ぶんだろうけど、
根っこのところは、色々いじくっても変わらないかもね。
変わることもあるかも。どっちやねん!