ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

2013年08月

モチベーションについて

良い意味ではない。むしろ、モチベーションが湧いているのでいけそうです。みたいな風に使っている人がほとんどいない、いてもいいのだろうが、いないってことで、この言葉のマイナスイメージがもったいないくらいだ。

実際は動機づけであり、ニュートラルな形で使えるはず。

問題は、モチベーションって、心理的な意味合いが言われるのに、メンタルで、がんばればやる気でるよねーみたいな話になったりするし、逆にモチベーションがうまく仕組みとして、エンジンとして動く人は、そんな言葉使わない。こういう状態は二極化って言葉とは違うんだけど、まあそれに近い。

つまり、隣の芝が青いのはそう見える心理もあるし、同じくらいの程度で、実際に芝をうまくカットする技術やそれらにかける時間やノウハウやコツ的なものや・・・まあ、要するに違いがあるのだということだ。

だからこうなる。
人がモチベーションがあるとか、やる気が色々あってすごいなーとか思ったら自分のどこと違うか。わからないなら聞いてみればいい。モチベーションについて結構教えてくれる人は多い。まあ、もちろんそれを聞いたらできるかっていったら多くの人はできない。僕もできないと思う。やっぱりそう簡単に出来たら「青く見えない」わけで「憧れる」ことすらないというか。

そう憧れが覚める?とか、追いかけないとか、気にならないってのは既にそのレベルは突破したり、違う対象になったということだと思う。繰り返して同じレベルで繰り返す人もいるけど、まあ好きでやってるんだから迷惑にならない限りOKみたいなことでもある(笑)

とりあえず、モチベーションがわかないとか、やる気が出ない。大いにそういう状態を楽しんだほうがイイような気がする。ただ病的にやりたいのに起きることができないみたいなものは、心の病かもしれません。とはいえ、別に医者いけば治るってわけでもこれまたないので、自分を見つつ色々と考えるのがいいんでしょうね。まあ、考えこんではまるひともいるので、人の話は疑っていきましょうってことで。

あと、これらモチベーションについてもどんどん疑って、しっくり来るものを選ぼうということですね(笑) 

切り替わる。

時という資源を支配下におき、そしてお金という資源も支配下においた。
コントローラブル、支配可能であるなら、まあ言葉をかえれば自由度が高い(完全な自由というのはそもそも混乱しやすい。よくそれで死ぬというかw)というところ。

この状態になる意味は、一時的にであれ何かやりたいこととか、実現したいことがあるから。
そして一時的にまた時間とお金のリソースは減る。そのやりたいことに使うから。

結果的に常に時間とお金があるのは人生は面白くないというか、ある程度いけばそうなるんだろうけど、
金持ちは金持ちなりに、時間持ちは時間持ちに悩みはありそうだ。これは想定内だ。

暇がある人は羨ましいとは思わない。暇でないからとかでなくて、暇の状態がなぜおきて、
どうしてそうなったか、そして何でその時間リソースを使うかが大事だから。暇だからどうとかはない。
暇はあるけど退屈している人ほどつまらないわけで。暇でなんかワクワクしてる人がいい。徒然草風だ。

時間がないからといって嘆くこともない。それが一時的であればいい。継続的に時間がないとき、
それが想定しているか、それとも勝手にそうなっているか。それは支配されているので見直しをおすすめする。

お金については、あっても貯金だけしている人もどうかと思う。そんないないとおもいきや、貯金が好きな人はいる。お金はお金があるところに集まってくるとしても、独り占めしていいものでもないというか、円滑油。使うとその対象者全体に、また組織にお金が流れてそこからまた消費がみたいなものがある。

多くの人は労働において一時的にストックしているので自分の財産となるし、資産なのだが、
まあひーこら働いても2億程度しか稼げない。2億ってすごそうだけど、こつこつやってお金貯めるのがダメではないし、自分も悪くないと思う。が、コツコツやっていくことと、ここぞという時に使えるのは相反しない。どうもコツコツだと、そうやってダイナミックにここぞという時の局面で使えないというか使わない。

常に一定ほどの哲学的な何かがあればいいが、どうもそういう話でもなくなんとなく怖いから、このままがいいとかいう安住、従順の道に思える。別にそれでもいいのだが、自分はヤってことで。

あとはやるだけである。どこまでいけるかは常に挑戦だと思うが、暑苦しい感じの挑戦ほどうざいものもないので、必死に水面下でモガクとしますよ、ホントに。
 

飽きない程度の集中

バランスだよね、ほどほどだよね、というのが、近視眼的にというか、
スコープする範囲をある程度共有しておかないと全然咬み合わない。

たとえば、人生苦もあれば楽ありということで、
1日でジェットコースターのようにそうあったら、それは大変だし疲れる。
1年とか、3年とか、ある程度の期間において、調子悪い時もあればとかーなら分かるというか。

時間感覚も人によって違うし、何か罪悪感というか、そもそも生きていることを
主体的に出来ない人もいるんだろうと。まあ色々であると。 

仕事ではないけれど日常の思考スピードとそのボトルネック

たまにだけど最近多い表現として、
「メモリかハードディスクかの違いがある」みたいなことを言ったりする。

要は、メモリは速い。でも記憶量少ない。
ハードディスクは遅い。でも記憶量多い。

だから、貯めてワートやりたいデータベースなんてものはメモリではなく、ハードディスク。
もちろんシステムなんて、ハードディスクにあるものをいかに早く見つけるかみたいなことで
最適化され、メモリとうまく結合してきたんだろうけど、それはおいておいて。

ひらめきはハードディスクとかではない。広告表現のクリエティブは一瞬の判断。
だからそれに応えるべきかも含めて(じわじわくるものもあるので)、メモリなのかハードディスクなのか、
使う部分とアクセスしたいところによる。

そして思いついたからそれをやってこれをやるときにどうだろう。
文字化するほうが圧倒的に遅い。そして考えを話す方が早い。
だから会話のほうが幾分というか大分、思考は早い。
ただ、そればかりだと「自分での思考トレーニング」がないので遅い。

でも、問題は頭の回転が早いと呼ばれる人とわりと話す機会が少ないと、
そういう人は頭がよくていいねーみたいになってしまうんだけど、
その人に自分を、つまりあなたなんだけど、あなたvs頭良い人で話して、
あなたの話をその人に向けて話して処理したほうが早いなんてことがざらにある。
これは書いていると人を馬鹿にしているかもしれないが、実際に周回遅れなんてざらにある。

切り替えが早いのもあるが、切り替えのトレーニングをどれだけ積んだかである。
そして、それらが社会秩序?的にGOであれば、挨拶も抜きに本題にいって、
最後に挨拶をして終わるなんていう芸当もできるわけだ。伝わるかな。つまり、挨拶→本題みたいなパタンなんてのも壊せる。

これをやろうと思いついた瞬間にそれらがメモされるのはどうやらそう簡単に出来ない。
また、それらが可能だとしても、ストックがないと思考の強さは出来ない。
個別の論破されるテストチェックがあって構築されるのはメモリとかではきつい。
ハードディスクで貯めていくのが向いている。

だからこそ、書いたものが一日寝かせて、明日見直す違うのは、
メモリ処理からハードディスク処理で扱いが異なるからではないかと、という仮説。

ボトルネックとは、そう書くとか話すとか、思考スピードがメモリだとすれば、
圧倒的に遅いのだ。そこがボトルネックだからこそ、スピードで勝つのは無理。
よって、スピードではない構築手法とか客観的に引いたものの見方とか、
そういう話になってくるかなと。

 

教室的なアイデアからの可能性

実際に、とあるビジネス、例えばネイル教室とか、パソコン教室とか、色々なものがあっていいのだけど、それがどう開花するか、別に教室的アイデアではなくてもいいのだけど、市場が小さいとか大きいとか。

教室アイデアを実行に移す場合、アイデア自体は大したものでなくても、
・ローカル性(例えば東京のネイルサロンにわざわざいかない)とか、
・価格帯(主婦でも手頃、ターゲットによるが)
・サービス(すごく良いわけでもないが、他に選べない=排他性とか少なさとかのほうがしっくりくるけど)
とか少し考えただけでも色々ある。

実際に、一つのアイデアを実施するだけで、またそこから広がってくる。
アイデアが少ない場合、どこかで行動が足りないか、アイデアを出してないか、
あらゆる打ち手を終えたかとか色々。

とにかく観察してない限りは何も出てこないし、
行動ばかりで思考分がないと厳しい。

とりあえず、動け動けよ動けば分かるさみたいなことはある。

 

想像力とは

想像力に関する記事ではないが読んでいてなるほどと。

ということと議題は違うのだが、簡単にいえば、
・想像できるとは、現状にないものを考える。ことであって、創造っぽい。
イメージ力とは、「なにか与えられた」ものをどれだけ見えるかということかもしれない。

例えば、「水」といったら、
登山でおいしい水を飲んだことがあればその水が、
いつも水を沸かして飲んでいるならその水、
打ち水とか、水というのは抽象的な情報であって、コンテキスト、つまり文脈から依存して、
「そういえば最近水がおいしくないよね」という会話があったら、
水といえば「水道水」のことかなとか、「まずい水」でも飲んだかなとなる。

決してここで、「打ち水」を思い浮かべることはない。
しかし、ここで打ち水を思い浮かべることは想像力があるということではないだろう。
単にそれは、イメージしすぎであるかもしれない。


さて、会話のリズムやコミュニケーションという点でいえば、これらは断片化され、重要なことが一つまたはいくつかあって、それらを汲むことが、会話の理解を、コミュニケーションを促進する。

水くださいといったら、水が欲しいのであって、水ではないコーラが出てきたらそれは「水ではないです」となるし、「コーラしかないんです」ということであれば「コーラで我慢する」ことになる。
水くださいで「どんな水が欲しいか」を考えてそれにリソースを奪われる人を想像力があるかというと一般的には言いづらい。単にコミュニケーションが取りづらいとなるし、そこで話が出てこないのであれば、おそらく「会話が止まる」ことになる。会話が止まると何を話していいか分からないので悪循環となる。

言葉を解釈して想像するのは大事だが、それをコミュニケーションの前に出されてしまうと、会話が成立しづらい。それはイメージ力を使い切れていないとなる。仕事においても、これやっておいてといわれて、違うオーダーがきたら、「これをやっているので後になります」となりやすいが、その時どうするか。「これ」をいつまでも保持しているのはおそらく微妙だ。

頭の切り替えができるか出来ないかというのはあるが、想像力があるから頭の切り替えが遅いというのはちょっと違う気がする。テレビのチャンネルを切り替えるごとく、イメージ領域である深さとそれらの範疇とエリアはおそらく比例する。つまり、それらを保持し続けていたらすぐに容量がいっぱいになるわけで、会話ということをおそらく違う行為になる。なんだろう、ひとりごとを言い合うのが会話ではないわけであるとか。

 

楽しい瞬間

昔わりと話していた人で、ビジネスとしてそれをやるときの楽しい瞬間ってどんな時ですかなんてことを聞かれたことがある。今でも困る質問だけど、そもそもこの質問ってそういう状況にあったりする人が聞きそうというか。
そもそも、想像出来ない人は聞かないし、あと逆に「それ面白いんですか」的な場合もあるので。

後者はスルーだとして、前者だとすると、わりと真面目に答えたい。
実際には形になる瞬間であったり、思わぬ展開であったり、アイデアを形にしていく編集部分、ニヤニヤというところだけどそこが楽しい。実際に客としてはものすごい価値を提供しているわけでも、客は気づかない。

たまに見せ方がうまいっていう表現を「揶揄」または「否定的」に使う人はいるけど、それって本質が良ければみたいな話になりがちで、大体そういう人は見せ方が下手だ。そして下手だけならいいのだが、他の人のうまさを認めないことでもある。揶揄というのは「本質的にはこちらが上。見せ方さえ上手ければいける」みたいなことをいいたいのだが、まてまて。そもそも、見せ方がどうもビジネスであったり、パフォーマンスであったり、アウトプットであるので、それ単にお金ないだけじゃないのとか、策や考慮、戦略不足だよねで終わりのような。

ただそこに事実があるのみ。またはそこに現象があるのみであって、どう解釈して次に結びつけるかは意外に人それぞれ。であるし、またはそういう揶揄的な人は伸びない。ここだけで揶揄ではないだろうということが容易に想像できる。また同じ事があれば揶揄かと。それでは厳しいだろう。

楽しさについて、または私がやりたいことまで他の人に見つけてもらうことはしなくてもいいだろう。いや、他力本願の本来の意味的な良い解釈はできないなら、まあ、すっこんでろ!みたいなことになりそう。

というわけで、寝ましょう寝ましょうw。
 

凄まじき前進。

引くべきところはないが、最悪のエスケープルートはあるというか・・・
どちらかというと、そうなったらまたやり直せばイイというか。

問題は「センス無いね」っていわれて怒れるかどうか。
怒れるならそこにやはり執着があるってこと。そこをやってみるのがいいし、
そういうのって結構修正できない。つまり、好きやこだわり続けるということでもある。

そういった継続できる、やり続けられるものを見つけられたらそいつをどうやって使っていくかを考えればいいだけであると。実際には結構色々な方法がある。例えば、花屋をやりたいなんて漠然としなくて花に興味があるとか、花言葉って面白そうですよねとか。そして花言葉調べたらもっと興味湧いたりその話は飽きないと。もっと知っている人がいてすごいとか。花鑑定とか。登山して花みるのがすごい面白いとか。花、花、花。花に関することをやりたいみたいなアンテナが立った時、つぎに仕事にするとかってことを考える。考えなくてもいいかもしれないが、そうなったとしたら、色々な花でできる仕事を考えるわけだろう。

できること、やりたいこと、やっていること。まあ3者はいろいろあっていいが、求められることと、やりたいこと、できることがあればビジネスだ。その基本を冷静にあてていくことが大事。

現状に対して何をするか、そしてどうしたら何ができるか。あらゆる手段を使ってリソースを使って実現に向かわせる。はっきりいって無茶苦茶楽しい。結果が出なくてもいいやなんてことはもちろんない。とはいえ、結果を残さなくてはというプレッシャーみたいなものもない。そこはシンプルにお客さんに喜んでもらうために、ということである。それが商売なんだろうということにやはり辿り着くし、商売でなくてもただただ人に喜んでもらうということでいいのだと思った。

もちろん、人に喜んでもらえれば何してもいいとかそういうことでもないし。お客は嘘をつくというのもあるから、そういうことではないんだけど、基本方針が固まるととてもラクである。ほら、サラリーマン長年やってると、お客さんのためなんて多分ピンとこないだろうし、何かお金もらえるためには会社の指示に従うみたいなのが前提になっちゃうから。それがダメではない。ただそういう環境でのやり方、ビジネス構築はやっぱそのやり方であって、そうではないお客さんのためであるとかは「どっかで甘い」とか思ってたりするんだろうと。逆にこちらからすれば「そういう概念が甘い」わけでそのスピード感のなさは徹底的に甘いってことになる。お互いに甘いと想い合うみたいなこと(笑)になる。ただ、どちらも一長一短。いいからこっちとかはない。やり方としてどうとかだ。

僕はやはり、ある程度の自由度とフットワークからの形になることから作り上げる方がやりやすいと思う。ただそれだけだ。

前進はそういうシンプルな方針と、めちゃくちゃ面白い、寝ずにやれる、なんかずっとやりたいみたいなことに現れる。それだけだろう。
 

これ以上撤退はない。

昔、アルバイトしていた時にヘビロテしてた、某ドラマの某音楽を、
ひょんなきっかけからDL。時代は変わりタップで音楽が入る時代となった。お金はもちろんかかるけどね(笑)

さて、そんな曲はおいておいて、
色々なことを一瞬で思い出した。

そして、そこであったのは、簡単にいえば、
・同じマンネリ的なことが続くだったので、そこで撤退というか辞めることだった
が、絵に描いたというのは表現が違うのだけど、我慢というかわりと普通にとめられて、
なんとか弱音を吐きながらもやりきった。

その翌年そのせいだとは思ってないけど、わりと色々出来ることをしった。
自分の中の達成欲みたいなのがあって、それが露出してきた感じといえばいいだろうか。

だから、翌年というのは、大学3年だったと思うけど、無事自転車で日本を縦断した。
わりとこれは今でも良い成功体験になっている。
つまり、「目標設定をする」「それをある程度ブレークダウンして細かくする」「それらをやれる範囲で練習する」
ということで、これで大体できる。

実際に今の事業化の動きは全くその通りだ。
自分が出来ないこともあるけれど、出来ないことより、できることにフォーカスをあてていって
突破していく。

あの時に、絶対もうこんなところ来ないって思ったし、そしてその時に
「僕また来ると思いますか?」っていったら、多分来るんじゃないかなって。
そう言ってくれたオーナーの奥さんに感謝をしたい。面と向かってはいないけれど、
僕もわりと年をとってあの時のことに感謝できるようになったんだろうと。

人生は時間がかかる。物事の理解というか、自分とむきあったり、考えを出したり、なんというかあの時のことはあれだったんだろうとかね。そういうのが色々と理解出来て、社会地図みたいなのが構築されていくととても面白い。もちろん嫌なこともあるんだと思うけれど、腐ってる人は人を腐らすし。わりと機嫌が良い人のほうが、なんだろ周りも機嫌が良くなっていいと思う。

 

働き方の検討

ある企画が終盤、というか終了、完了する。
それがいいとか悪いとかはないが、現時点では、ベストな選択肢だ。

それに関連しているかもしれないが、
働き方について考えていて、わりと「働き方」は満足だ。
というか、現時点ではベストだろうとすら思う。

次は、やはり仕事だ。それ自体を作ることでの成果やアウトプットは
まだまだ出来てないことが多すぎるので、そちらにシフトしていく。
そのおかげなのか、今までやってきたことをわりと良い形で
アウトプットできるんじゃないかという期待。

教育コストが格段に下がれば、教育自体は誰でも受けられるとなると、
働くにも良い影響になるかと思ったり。学費払えずとかも普通にあるので。

人材のグローバル化ということに関していえば、 外注できたりするには、
ある程度の英語、またはそれら海外の人とのコミュニケーション、
例えば、「違う前提」で付き合えるかどうかとか。そんなところが大事になっていくんじゃないかと思う。

今後の仕事としては、コミュニティ活性とかコミュニティマネージャーみたいなのを
わりと真面目にやりたい人はそういう仕事もできてくるだろうと予測。
例えばロボが出てくると無人化されるが、メンテ等の仕事も出てくるし、
また「人との関わり」というのが大分変わってくるかなと。 

数値目標

1000という数字がわりと好きだ。
ある程度やって、かつ継続して、かつ好きだみたいな証明になるから。

実際に1000くらいやったものはやっぱ何か続く。
そして、ツイートは6万、ブログ数はこれは8000近く、最近やってるブログがやっと1000。
なんか企画したいと思うけど、まあありがちだけどアイデア相談とかかなー。

余白を作ることで円滑的時間が増えて、余裕が出てきている今日このごろ。
おそらく戦術としては成功。あとは形にしていくところ。集中はわりとできているっすね。
 
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