ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

2013年07月

いわゆる人間関係のそれ

色々動きがあって面白いことは先日書いた、はず。

さて、人間関係、つまり私が誰かについてどう関わるから含めて、
もうそこから始まっている。まれに自分ひとりで生きられるみたいな人がいるけれど、
それって自分しか見てないのだし、人をみたくないという証明でしかない。
それだけで終わってるけど、詰んだ戦略を取ろうと思えば取れるっていう皮肉でもある。

将棋がうまい人と下手な人がいるように、人生は色々な上手さ、下手さがある。
人間関係も同じだ。うまい人も下手な人も、色々あるから面白いのにね。

人を悪くいうのも、良くいうのも、
色々器が見えて面白いね。ちなみに、器が小さい人ほどやはり悩みは小さく怒りも小刻み。
人生どっしりと構えていきたいもんですな。
 

突破せよ。

自由にやるということは何もやれてないことが多い。
もちろんそうではない人もいる。

サブタイトルにある、キャッチコピー。
飛翔するといった後に起業をして、会社員を辞めた。
その後に待っていたのはバラ色の楽しい生活ではなかった。

もちろん後悔はしてない。そして楽しいが、
いわゆる想定通りではなかった。これは事実を述べているだけだ。淡々と。

3年がたち、そして4年。今後5年になる。まだ1年あるが、もう1年しかないともいえる。

具体的な損きりゾーンや撤退ゾーンを決めていたわけではないが、
無理なものは無理だし、できることはできる。
そして、自分の力や成長みたいなこと、どうしても譲れないこと、
諦めきれないこと。

好きなことをやっているといわれるが、
そうやって言うほどのコストや犠牲をきっちり支払っていると思う。
選択したからうまくいったんじゃないと思う。もちろん選択して突破するのだけど、
それは結果論でしかない。そして結果を残さないと結果論も言えない。
なぜなら結果論として露出されるようなことが許されないか、または見られないから(笑)

 サブタイトルは、
「面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。」
だ。

ここ4年のアウトプットをこんなところでさらりとまとめておこう。
・面白いことは常に仕掛けないとアイデアは試さないことは分かった。
これはもうわかりすぎた。そして面白いことはやはり面白いと思う人がやるし、だから面白いことになる。これは自信がついた。

・仕事を作るは、そこまで出来なかった。
だからもっとやりたいし、うまくやるというか形にしたい。
そのために色々切り捨ててでも、トカゲの尻尾みたいに切り離しても本体は生き残るみたいな、
なんていうか集中が必要だなと感じた。そこが出来てなかったのでそうやってまたチャレンジする。
絶対に仕事作るよ。

・ビジネスを作るは、仕事を作るって意味で規模の問題で出来てない。
仕事を作ればその次の仕組み化。それがビジネスだと思う。それは多分出来ると思う。
まだ練習不足かなと。

・アウトプット蓄積は、Twitterとかが多い。でもここのブログもわりと書いてるので、
継続は力ってことでいいと思う。
そして書くことはやはり好きだし、何か無性に書きたくなるときがある。
そして話したいこともあるし、考えたことってどうかというのが常に問われると思う。

もっと試したいし、世に問いたい。
そしてチャレンジしたいし、形にしたい。
もっともっとやっていこうと思う。

 

それをやっちゃダメな人という話。

たまにある。
それをやっちゃダメというの。

例えば、責任がない人は消防士など人を助ける活動はできないだとか、公務員ってわりとそういうことが多いけど、皆が皆そうではない。一部の例外の人が事件を起こしてニュースになる。ニュースになる=事件は同一なので、意味は大きくはないけど、そういうことで人はニヤつくというか、「へー」とか思っちゃう。

さて、「責任がない人はこの仕事はできません」とどや顔であってもなくても、
誰かが言ったとする。でも、それって結構、発言者によるというか。
その人が責任感があると思われる人なら「やっぱその人だから」となるし、逆にない人だと「出た出た。本人はないのにね」などと皮肉になるやも。

そして、前者でも、「責任がないと」という話は、責任感ってことなんだけど、
それって、そもそも「失敗であったり、うまくいかなかったことがあった」だから、責任とかそういうことが大事となるわけで、ある程度のその人の話がないとなかなか浮いたお話になる。

やっちゃだめとかって、そもそも「やっちゃだめ」とか思った人はやらないし、また「やっちゃだめ」っていうのは立場的なことにフォーカスがあてられがち。

だからでもないが、何か意見があるときは、その人が何を今まで考えてきたかが大事となる。
ごくごく当たり前の話。 

わりと簡単に成功できる。

成功するためには色々な・・・そう、技術、心構え、経験、お金・・・が必要だというが、
果たしてそうだろうか。

わりと、ベンチャーで出資してもらって成功なんてパタンは、
ほとんどない。というかある人は多分そういうための色々やっているだけであって、
小規模事業を批判することもできない。というか、最初誰でも小規模だし。

ある程度の認知、つまり社会的認知、あのサービスが有るよ、使えるよ、使えないよでもいいのだけど、
それがあれば人は放っておくかどうかを選べる。というか、お節介でもあるし、
そういう思いってなんだろうとか思う。自分が届けたいことが皆のメリットになるのなんて、
結構運レベルというか。

そして、もっと知られてない、細かいところとか、そういう話をすると、
わりとトップなんとか、上位とか、あと数を叩きだすことをしなくても、
わりと色々成功できるというか、ポジションとかの作り方なんじゃねーのと。

そういうことを思ったのでトライしていきます。

そう、発言したことはシンプル。
仕事ってわりと簡単に作れることを証明したい。そして証明すると同時に、
仕事が生まれ、またそのやり方を話せる。

間違ってないというか、わりと真っ当なことをいっていて、
多くの人は、作るだけで終わり、または分析するだけで終わりなんだけど、
両方やりたい。あと、遠い成功例とか、規模とかでなくて、
小さなものを確実に作れる方がいいかと。ダメなわけじゃなくて大きいものが。

そう、びっくりしたのは自分が手がけたものを成功例として話す時、
全くそれでも通じないし、大きくてもあれだなあと。
そしてできる人はゴロゴロいるし、こら形にしていって問うたほうが早いんじゃないかと。
そんな感じがしまうまなわけで。
 

誰かがやってくれる=何も起きない

自分がやらなくても誰かがやってくれる。
もちろん自分の飯を誰かが用意してくれるみたいな話ではなくて、
例えば自殺率減らすために何かやるとか・・・そういった広く社会的なテーマ。

結論としては、残念ながら「自分の視覚するものが変わらない」わけで、
何もやらず願うとは結果的にやらないことと同義、
またはやらない以上に知っている以上たちが悪い。ってことでいいかなと。

何も起きないからやらないからダメとはいわないが、
何もやらないことをばかりで埋め尽くして言った場合、何も起きずに終わって、
結構簡単に終わりというか。いやだなそんな人生っていう人生を、
積極的に選ぶという皮肉。そのマゾ的なものが好きな人もまれにいるけど、
そういう人ってマゾ的な感じで楽しんでいるからOKだし、結構レベル高い。

でも、いやだなこんな人生、ダメだなといっていつつ、まさしく何もやってない!
それで口だけであーだこーだいうってこと・・・くそったれだな。

さて、何かをやらないために何かをやるために集中すること。それはOK。
そして時には何かを失う、またはどれか選ぶ必要があるんだろうと。
世界は美しくなんかない。けど、美しいと思いたい。これが正しいところなんだろうなあ。

 
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

プロフィール

researcher

記事検索
最新コメント
月別アーカイブ
  • ライブドアブログ