ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

2012年09月

文章とかの触れ方

色々アート系講座で収集してきたので、それらをアウトプット。

添削は、命令と提案。
命令は明らかにおかしいものを修正するなど。
提案はこういうやり方もありますよというもの。
なるほど。確かに命令だけではしんどそうだ。

嘘をつかない。見てないものを見たと言わないとか。
当たり前だけどシンプルなことに戻っていく感じ。

人が集まることで、そこできちんとやることで、
人が付いてくる、そこから企画やアイデアが生まれる。
そうすることで継続されていく。。

自分のもの、添削されたもの、直したものなどアウトプットを形とすることで、
人の目が入ることでよくなったという価値を見せていく。 

分からないのだけど面白いみたいな、そういう感じのものが面白いかも。

勇気と畏怖心と覚悟

トライする挑戦する勢いと、
でも自分は間違ってたりするかも、正解ではないかもという良い意味のビビリ、
そしてやるしかないと腹をくくること。

それらを繰り返すことで、チャンスを掴む。
チャンスを活かすには来たものを臆すことなくトライすること。
連続した経験は必ず良い結果をもたらす。

客観的に観ることで考えるようになる。

客観的に観ること、無意識に観ることが出来ていると、
それはおそらく考えているということになる。

正解はないが、机上では語れない経験が大きい。

大人が真剣に話を聞くことで何か変わっていくのだろうというとき、
おそらく大人である自分もきちんと聞かないといけないんだろうと思ったり。

輝くものがなければ、輝ける場を設定するなど、
そういったやり方はたくさんありそう。

行動していない人は、チャンスを掴めない。
成功というか、形になったり広がるのは運というのは、
非常に意味が分かる。運というと、それ頼みで何もやらない印象があるが、
実はそうではなくて、そのためにやるということ。

楽しさを見つけていく才能があれば、そこで戦っていけばいいということに。

分散をすることでパワーダウンではなく、その分パワーが増すという考えもある。
それはうまく活用すれば、パワーは飽きることなく出続ける。自家発電というやり方。

時は人を裏切らない=一週間後は必ず来る。そこまでに何をやるかか。

企画で語らせる。形で語らせる。ファクトで語らせる。
そこに主観を入れるよりも、そこで語らせて主観に気づかせる。

がたがた言わない。

たまにあの人がどうとかああだとか話をする。
でも、基本的に褒めないならあまり言わないようにしている。例外はあるが。

その人が何を考えているか考えるのはいいけれど、
でも、ダメなやつをダメとか言ってるのはどうかなあと。その人の前でいうほうがいいというか。

言えないからいってるならば、それはただの愚痴で、
もし前進の見込みがない生産性や建設的な話ではないなら、
居心地が悪くなる。
例えば、ちょっと考えるとこの人は他の人のことも、例えば自分のことも
そうやっていってるんだろうかってね。そりゃ、やでしょうってね。

 

エンジニアはしゃべりたがっている。

多分。

あとあまりしゃべらない人ってしゃべらないというよりも、
しゃべるところではないってブレーキがきつめってこともある。
僕はそれを結構わかるので自分が喋りたくない時に
無理してしゃべることはないってところがある。

面白そうなことはちょっとやってみて、受けないならやめる。受けるならやると。

プライベートとシゴトの境目はない。
普段の何気ない会話というところから生まれたものとか結構良い感じになる。
ただ、これって会話自体の総量に注目すれば生まれなきゃおかしいということも感じる。

想像力しかない。

眼に見えないものがあることすら、または目に見えないのがどうなっていたか。
歴史的なこととか色々あるが、それらを楽しむというのはレベルが高いというよりも、
それをどこの対象に当てるか・・・ではないかと。

僕はそれをもっとシゴトに活かしたいと思ったので、そういうようにするし、
趣味にあてたいならそうすると。

方程式としては、
目に見えるもの+目に見えないもの=楽しさ

ということになる。つまり、目に見えるものだけで楽しむ人はいれど、
目に見えないものをより想像すればより楽しいと。

力でいえば、
観察力+想像力=楽しさ力

みたいになるのかなあと。見えるものは観察というと色々違うかもだけど、
実際に見えているのに見えないとかあるしね。
それに加えてバックボーンを考える。それが面白いか。そういうところ。


なんでもやれてしまうなら。

逆の発想ということで、
「なんでもやれてしまうことで可能性を狭めるパタン」として、誰かに振ることができないってのが
あるんじゃないかと。これは自分の話。

であるならば、というか誰かに振りたいんだけど、
キャパシティがある程度あるので一人でできてしまうってことになる。

キャパがあるとは思ってないのだが、多分学習してしまうというか、
慣れてしまうというか。人間は恐ろしいものでもあると。
 
なので、さらにキャパオーバーをぶっこんで、
やれないこと、やらない状態を作らないと結局誰かに振れないことになる。
学習も一緒かもしれないけど。そういう状態かなあと思っている。

つまり、もっとやれということだ。
そして自分でやらずに振ってやるということもそろそろ試していくことにした。

色々なことはできそうだ。
 

時間軸が異なる

プロジェクトや企画ごとで明らかに時間軸、それは標準の単位、
例えば、この議事録をいつまでに取るかとかでも、次までとか、色々な範囲がある。

MTG頻度が月1なら月1のペースになるし、
そうではないならそうではなくなる。

なかなか難しいなあと思うのはこれらは最適な時間軸があって、
どれも均一でマニュアル的なものさしがないというか。
もちろん、一日24時間というのは素晴らしいモノサシになるが、
でも、人は生産性がそもそも1時間単位で違うし、またそれで測れば万事解決でもないし、
またそもそも可処分時間というものが取れるかどうかでも異なってくる。

職場いわゆる会社員として拘束時間があるというのは非常に計画を立てやすい。
というか、そういう発想自体が非常に密接に結びついてしまったこそ、
仕事ってなんぞやみたいなことがどんどん出てきてしまったかもしれないなあと。

とりあえず、高速ですすむものは高速で、低速であるものは低速で。
ギアを変えていくイメージでやっている。これがなかなかおもしろい。
時間軸が異なるというのは、人が会話のスピードを調整しているかのごとくなので
あまり意識的に行うことではないかもしれない。


可能性に投資できる体質みたいな言葉を思いついた。
それはどういうことかというと、結果も明確ではないがやると面白いとか、
おそらく良い結果が出るだろうということは未来でしか分からない。
つまり先が分かっていることなんてないのだが、誰一人分からないはずだが、
現在ベクトルでしか見えない体質がある。それが行政だ。悪いとはいってない。そういう視点だ。

未来志向ができるとそれはかなりの逸材だが、それが果たして行政向きかというと
また難しい。とりあえずは、可能性に投資できないならとっとと自分は死んでしまったほうがいいくらいだ、
とか思っている口なのであまり参考にはしないほうがいいだろう。

取り入れたアイデアを実践する

ってこれはアイデアネタになりそうな。ま、いいや。

WEBテキスト講座を受けてメモ。
いくつか、取り入れる。

例えば、マークダウン方式でのCSSというかHTMLというか記述法は、
なかなか分かりやすく良い。HTML書くより楽だ。そしてHTML対応してれば、
すぐに見える。色々ツールはある。これでHTMLに落としこんで企画書というのも悪くない。
またそれをすぐ展開することも可能。

これを機にブログや出しているものを少し見直す。
こういうのは機会を自分で作って見直すということを愚直にやっていくことが
一番いいのではないかなあと思っている。

紙とWEBの見えるもの、見方、アクセス、ユーザビリティっていってもいいけど、
それらは全然違うってことを意識。やはりそうでなくっちゃね。

デザインは取り入れてトライしてもいいけれど、うまく自分に編集して取り入れる方がいいかなと。
ここから色々楽しんでいくのがよいっと。

やる気の源泉

そのやる気はどこから来るか・・・
たまに聞かれるのですが、よく分かってないというか。

一つは面白いことをやってやろうという考え方見方。
つまんないって言うけど本当なのかって疑っていることと同義、ですが。

そして、なんでもネタになるというか、笑い話だけが笑いじゃないよねって
ことを理解していれば分かることですが。
もし分からないなら、その経験がないのなら、教えることはできるかも。
いや、教えていくということが大事かもしれませんな。

自身をコントロールできるのはその自身を信頼していないからって
発想が好きだ。つまり、だからこそよりコントロールできるのだと。
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