ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

2012年08月

やり方を変える

そのやり方出来ないならやり方を変えるまで。
本当にやりたいなら結構なやり方の変更が可能。

例えば、量。1つずつ作るのは大事だが、そもそもある程度量をこなしてないと、
全体観であったり、パターン、守破離的にいえば、守に到達できないという感じがする。
というか、守をやらないと次の学習段階に入れないというか、楽しめない感じはある。
いやいやトレーニングしている感じみたいなのが実はずっと続けばそれは続かないわけで。
ある日突然かもしれないし、もしかしてこうしたらいいかもってアイデアを入れることができたり、
その気づきのパタンは人それぞれだろうと。

量をこなすとどっかでしっくり来るか、またはしっくり来ないかなど色々見えてくる。
そういう意味で、忙しいといわれる人のほうがほぼ確実にだが、仕事量をこなしており、
仕事自体がプロ化、効率化しているので早い。どこがツボか、コツかここが出来てないなら
これは出来ないなど判断が早い。上達者っていえばいいのか、そういう感じがする。

飽きたら変えてみる。
例えばこのままいくと絶対うまくいかんなって時にそのやり方を続けるのは愚かだ。
だから変える。そして自分の気持ちに素直になって、向きなおしてそこから考える。
なかなかできないかもしれないが、実は自分の姿勢を変えるだけでつまんないかもって
ことが一気に面白くなったりする。

コンフォートゾーンの確認。
自分ららくできるのはいいけど、それは続けるというよりも続く仕組み出会って、
それ自体は何か生み出すというよりも、また違うことや新たなことをしないと、
成長ってことはないと思う。つまり、何かやってないと人は成長が止まる。
というか、止まってしまうと魅力は下がるし、過去の遺産だけって感じになるわけで。
心地良い状態はいいけれど、それはぬるま湯ではないか、単に楽してるだけではないか、
もっとできることがあるんじゃないかと自分に問い正していくことが大事かと。
楽で自分が知っている範囲でやるだけならあまりおもしろくはないという点でここらへんは消化済み。

見方。

市場があってもそこに全力投資する人がいなければそれはやりがいとすなわちなる。
メディア的な強みはそれが面白ければ読者は離れない。なるほど。

自分が自ら作るというレベルで出来るものは限られる。つまり学習の遅さというものはお金で解決できる面があるということになる。確かに一流と戦うには非常に厳しい。それを競わなくてもその土俵に上がってしまっている時点で負けとなる。

勝ちとは、そもそも戦の前に決まっているということが普通は多い。
相手より弱いと思えば何かしら補強をする、虚を突くなど色々な戦術レベルでも、
そしてどう今後戦っていくかという戦略レベルでも考えられる。

先に価値を置いて、ユーザーを満足させる、気持よくさせること。
先にお金というのは厳しいというところは非常に共感する。

同じレベルでは土俵に上がれないので、それなりの工夫があって初めて
構造的にかつ圧勝できるパタンとなり、それが勝利になる。
つまり勝利は構造的で、圧勝できている結果の一部、一シーンでしかないということになる。

ここから学べることは、自身を客観視して何でトライしていくといいか。
自分のリソースや集中したり続けられることは何か。それらを考えることである。

フローとストックを見極め、メディア的なフローなのか、それとも記事というストック、
何度も見ても飽きないストックか、最新のフローなのかを考える。

素晴らしい。

圧倒的に。

真剣に遊ぶということがシゴトであるとか、
やりたいことをやるとか、アウトプットをする(ここは形にはこだわらない)とか、
全くアグリー。

あとはどう仕組み化していくかであって、
やはり何かやっていることがまず重要だなあと。別にやりたくなくてやってないわけで。
仕組みにしていくのは面白いなあと。 

事実で語らせる。
これは非常に大事。感情を入れずに事実で語れることがある。
意識するだけでぐっと説得力が増す。

行動で語らせるって感じでもあるかなあ。
早速チャレンジしていこう。

最後の最後まで

正解がないという人は正解がないのが当たり前なので、
色々アタックできるのかもしれないというふとした疑問が。
当たり前といえば当たり前だが、正解があると思っている人はなかなか
他のアイデアに移れない、試せない。

最後の最後までチャレンジをして、諦めないということができるのであれば、
おそらく色々なことがトライ出来ると思う。
というか、大体のことは成功する。

自分探しみたいなのものは、漠然とした人格、自分のイメージを
明確にしようというような話だと思う。
でも、一生終わらないので、どこでしっくり来るか、
良い意味で納得させるであり、悪い意味では妥協みたいな言葉になる。
どちらにしても、どこか有限で切る必要がある。
諦めが悪い人は粘ってくるが、自分が自分であるというのは大体の人は
分からないことであり、また分かってもそれでどうなるかということもある。
分かったところで、次のアクションが変わるというようなことがないと、
ややこの自分探しの話は寂しいものになる。不幸になりたいために、誰もがやってないと思うからだ。

やってみせる

自分がやるということでまずやってみる。
当たり前だがこれも出来ない人は多い。そこで差がつく。

そして次に、それを継続するとか、それでやるのだからと
決めてしまっている人。これは強い。それが間違っていようが、
自分の型があるので、自分に気付けるし、修正も早い。
間違ってないならそれでガンガン進めると思う。

さらにってことではないけど、
人生は短いと思うなら、自分のやりたいことをベースにとか、
うまいところ回る仕組みを必死に考えていくのかなと思う。

それだからこそ、メリハリや緩急をつけていけるのではないかなあと
そういうことを思ったりする。



 

そもそも考えるとは

例えば、シゴトについて考えることなんかあると思う。
色々な人の色々な考えがあっていいが、
「シゴトを考えるとは、普通に適応できない人々の集まりでない。」
ということを思う。

さて、普通にできない人ってなんだろうか。
どちらかというと、普通に出来ない人は結構言葉が悪いが
「障害」であるとか「欠陥」であるとか、「欠如、欠落」とか、
欠けているものを見がち。

そして、それらを克服したとき、世界は結構違うものにみえる。
ああ、自分はこうやってやればいいのかもしれないなーっていう
自己認識であるとか、社会認識であるとか、ある意味で吹っ切れたということが
できるかもしれない。そういったことを考える。そして理解する。

考えるってそんなことだろうと。
だから特殊なことではないし、誰もが出来ることだ。
バカだからといって諦めるのはいいが、バカだから諦めないみたいな人が
粘り強いだろうし、自分の性格をよく知ってそれに対して行動している人のほうが
何か素敵な気がする。ま、色々いるけれど。

 つまらない大学生のトーク。暇人だなー。と思った瞬間に、
自分もそんなもんかとか思いつつ。でも、違うとか。
確かに大学生は暇だろう。時間ばかりある。そして時間を埋めたい。
そして埋める。そして後悔する。悲しいけれどそんなもんだ。
繰り返す。人は同じ事を繰り返す。で、反省する。また同じ事する。
人は成長しないのか、それとも成長しても治らないのか。
治すとかそういうレベルではないのか。がんばれ大学生というか、
一生そうやって生きてねと、関わりが一生ないであろうが、
優しいまなざしで彼らをみて僕は去る。それが俺流である。
 

状況が変わるから、状況を変えるへ。

そういうことでもないんだけど。

例えば、足のケガ。足をひねってしばらくたって、やっと動きが普通になりつつある。
さて、そこでケガしていた当日などのメモがあって、それはどういうものかというと、
例えば、どうでもいいことに怒りたくなる。

コンビニ前に自動車よけ的なポール=プラスチックでなくて、ゴム製のやつ。
ぐにゃぐにゃ曲がるからおもちゃみたいに、携帯でしゃべりながら曲げてるんだけど、
すげーうざくなって、ブン殴りたくなると。まあすっきりするけど状況は何も変わらない。

とか。どうでもよくないんだけど。そういうことになる。

色々な刺激、または普段見ていることに対しても全然違うように感じてしまう。
この感覚は色々覚えておいた方がいい。というか、人間なんてそんなもんさってことで。

そして、状況が不可抗力でどうしても変わってしまうならいいが、
そうではないなら、状況はやはりコントロールしていくというか、
状況が変わったからというのよりも、状況を変えていったというほうが、
なんか人生に対してしっかりと取り組んでいる感じがする。
もちろん、全部それにしろってことではなくてね。



広め続ける、やり続ける

手段が目的になってはいけないだとか、
目的が手段になってはいけないだとか。
そんなことはとても小さなことで、そこは拘るところではないなと感じる。

大局観とは難しいが、些細なことに捕らわれることで、
大きな流れが見えなくなるということがある。
とはいえ、小さなことを疎かにしては出来ないことばかりにもなってしまう(経験が蓄積されない)

何かをやり続けるということで、大事なことは、
もしかしたら「やり続けたい」と思えるかどうか。
もしすぐに冷めてしまっても、実はまたやりたくなるだとかそういうことになれば
実はやめることはないわけで、継続していく流れになっていくのかなと思う。

逆に考えるといい。
うまくいくことはもしかしたら、うまくいかないのではないかと思うこと。
うまくいかないことはもしかしたら、うまくいくのではないかと思うこと。
これは天邪鬼ではなく、逆転の発想、または別方向の見方だろうと思っている。

ひたらすやり続けるって構えるとなかなかできないけれど、
少しずつたまにやめてもいいや^ー^って思うと結構楽にできたりするのが不思議。
だけど、不思議だけどそれでできならそれでやっておいたほうがいいのではないかって考え方。

ロールモデルを明確にするとか

確かに親しい人、別に物理的ではなくてもいいが、
何かこんな人いるんだー的なモデルってのは欲しいものだ。
それが尊敬ってやつだったり、または自分には出来ないけれどそれをやるってことかも。

一人見つけたらその人のことは研究したほうがいいかなーと思ったりしますねえ。

予定調和をずらす。
これは意識しつつ、あえてずらすってことは予定調和も出来るって考える。

らしさの壁。
それをらしさといってそのままにするか、あえて壊していくかはその人次第。

運命共同体ってフレーズを思い浮かべるとは。
まあ、そんなもんかなと思ったりする。冷めてる人は結構熱くなれないわけで。

スタイルとか色々。

自分に合わないやり方を無理に取り入れるということはやめよう。
というか、それで無理してなんだろうってことになる。

でも、これは逆からいえば、合うことがあるからそれを
ガンガンやっていったほうがいいよねっていうことでもある。
それがないと、単なる何もしたくない宙ぶらりん状態になってしまうかなと思う。

資本主義は多様性をある程度保障する。例えば、数字を出せばその人の属性は関係ないと
いうことにはなるので。でも、多様性ってそこでいえば、現象にすぎなくて、
資本主義が多様性に興味があるとは思えない。あるのは資本である。
 
成功した要因が邪魔をするってのはある。
環境変化に対して、行動変化をするのが怖いってこともある。

社員同士の競争、ライバルの設定、争い。
それは非常に楽しい。高め合うってことかな。

成長が楽である。楽というか楽しいかもしれない。
パイが増えないとこの先は終わる。
が、小さくなると見えやすくなるので、ここのバランス難しい。

短期的な対症療法的でいいのであれば、インセンティブを入れておいて
やる気を出させる。が、しかしそれは短期はいいが、慣れると普通になって
ダメになってしまうかも。

夏休み

子供たちは夏休みだ。
大人は違う・・・というか、アジアの人はあまり休まないのだそうだ。
とはいえ、それが誠実かどうかはまた別の話(泥棒もシゴトであるわけで)

さて、週4時間働くという自己啓発本みたいなものがあって、
それを読もうかと思ったが思想的にはもうOKであると。
どちらかというと、それを読みたい、読まなきゃいけない人っていうのは、
かつそれらの多くの人は、そういった感覚やコントロールする、時間をね、ということに対して
なかなか出来てない人なんだろうと思う。

ここらへんは珍しくしっかり解説していきたいかも。
そもそも、自分が今週4時間しか働いてない、またはそれに近いような
コントロールをしている(タイトルはやや誇張的であるのでスルーしておいて)ならば、
そもそもそのような出来ていることを自覚する以外の用途は考えにくい。
誰かにプレゼントとか、暇だから・・・くらいだろうか。

だから逆にそうではない人。
つまり、日本のサラリーマンで、残業多くてもうなんでシゴトしてるんだろうとか、
でも家族とか自分が生きていくために必要だし・・・でも、自由業とかやってる人は
非常に楽しげだったり、楽しく見えるし。

自分の状態がどうか、それも加味しつつ、考えていくと、
自己啓発本もそうだが、何かヒントがあるか、というところに対して、
どう形にしてトライしていくかのほうが重要になりやすい。
つまり、ノウハウとか、こうすれば成功する的なものに大体の人は弱いのだが、
そもそも「成功」するとか、ノウハウを入れてどうするか、
その行動イメージが弱ければ何も出来ない。本当に何も出来ない。

だから、本を読もうが何をしようが、考えるとか何でもいいのだけど、
違うことが起きないとそれはなかったことになりやすい(例外として後で思い出す、特定のケースとしてその情報を補完強化するということもあるので。時差が5年とかあると結構これは大きい。ま色々みておけってくらいの意味合いで)

何にせよ、結局、全力で遊べってことを考えてないと、
やっぱ遊べないし、つまんないなあと。別にシゴトをするために生まれてきたわけではないし、
でも、人に役立つことは面白いよね、そして自分も成長して、お金みたいなものも落ちてくる。
それって最高だなあと思う。同時にそれは、自分のことだけとか人のことだけとか、
限定した対象で思考しているわけでもないのだと思う。

どうやったらそれが面白くなるか。
友人がつまらないことを面白くするということを言ってたりするのだが、
つまらないことはつまらないことですよねーっていう人も多いわけで、
そのアプローチは悪くないが、良いアイデアかは分からない。少なくともやろうとは思わない。

つまらないことって勝手にインストールされるイメージなので、
インストールされたことを面白くするってのはきついなあと。
だから、インストールされる前後、環境を考えたり、1個しかインストされてないなら、
面白いことを9個入れれば、つまらない割合、確率?は10%になる。
もし、面白いことをいれてないなら、その人間OSは100%つまらない(笑)

同時にやるのは結構むずい。つまり、守りつつ攻めるってできないので、
つまらないことはある程度放置するなら、仕組み化などをうまくつかって、
こうなるとつまらないと思えるのでそうならないようにするとか。
つまり、守りを意識しない守りとか、攻めを意識しない攻めをするようにすると、
勝手にそれができるので楽だ。これは仕組み化をうまくやらないと全然イメージ出来ない話。

例えば具体的にいえば、何かシゴトをするときに、このシゴトは大変だとか、
苦労ばっかりだなあという経験から分かる時がチャンス。
その時にどうすればいいかをとりあえず前と違うやり方を試すことが重要。
その瞬間は結構一杯ある。それが上でいうOSインストールは必須だが、
その前後、また面白いものを入れることで防ぐという感じかなと考えている。

キーワードとしては、
時間をコントロールする、自分に使う、時間やお金でいくと時間資源が貴重(お金に惑わされることも多いが、そこは信念で(笑))、考える思考する、とはいえ思考の枠にはめてそこで止まらないように、
というところかなあと思う。

ひたすら工夫を仕掛けていくこと、あえてフェイントをかけること、自分を最大化するようにすること。
それらを繰り返すことで、面白いことが多くなるし、また面白いものが生まれることも出てくる。
そうなったらチャンス。


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