ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

2012年07月

働くことにおけるメモ。

当たり前だけど、書いたことや経験したこと、話したことなどが
本などのVisualとして見えるもの、というか本に反映される。
これは本を書くとしたらだが、コスト的に色々計算しても、
そんなに遠くない形で出来そうだ。

私腹を肥やす(笑)という言葉がとても悪く聞こえる(言葉以上に)のだが、
そういうものとしてよりも、より大きな可能性やナリワイとかシゴトを作るという意味で、
良い形になっていくのかなと思ったりする。

やりたいことをやるというとストイックな印象。
でも、どちらかというと楽しいから続けられるというのが大きく前提としてあって、
それはそこまで語られない。利益とか食うとか、社会とか大義が鬱陶しいというか。
もちろんそれがなくてもあってもいいけど、なんだかなというのは分かる。
けれど、社会で生きる以上それにまったく関与しなければ人に必要とされるとかもないかもとか。

沸点の低さは武器にもなるし、あれもこれもとなる。
沸点の高さは集中モードでは強いが、入れないという葛藤もある。
どちらもどちらの持ち味があるという。醍醐味というか。 

シゴトの性質と自分との相性みたいなこと。
腐るほど要素がある。考えなくていいということは全くないが。
向くシゴトは分からないが、続けられるシゴトハは分かるみたいなのが正確かも。
 
自分がどう見られるかというよりも、
自分のシゴトがどう見られるかには関心がある。
というかそのシゴトの積み重ねでしか見られることは
形成できないと思う。

思い切ってやってみること。繰り返し続けていくこと。
自分ができるということで自信が持てること。

シゴトとか本気でやりましょう。

死神の精度と生き方の精度

精度が高いフリーキックとは、当然ゴールするとか、
狙ったところに蹴られるとか、そういうこと。

生き方の精度とは、自分が生きたい生き方に近づけていくもの。
それが楽しいってこと。

死神の精度はまあ、関係ないけど言いたいだけ。

緊張と友だちになることと、またはそれでいいんだって意識していくことで、
自分の中で 緊張が和らぐ。

やるべきことをやってない人の言葉は実に空虚。
それは言うまでもなく分かるもんだ。

選ぶことが出来る感覚

ちょっと前に、何かをしたいとか何かを求めているとか、何かをやっているとか。
そういうこと、自体よりも、「感覚」つまり、私はデザートを食べるのが好きというよりも、
デザートを食べている感覚に浸れたらそれでOKみたいなことを思った。

これはどういうことかというと、デザートを食べるだとそれは分解がしようがない!と
思う人もいそうだが、例えば、シゴトをするとかは、シゴトをするよりも、
シゴトをしているフリというか、実作業がなくてもそれをしていることで
「ああ、シゴトしたなあ!」って無意味な達成感が生じる(笑)
そんな話。

もちろん、これはややネガティブだが、ポジティブなこともいえる。
そうやって感覚で学習したりとかだ。

誰かがいるかどうかとは、これと似ていると思っていて、
さみしがりやの人はそんな印象がある。誰かがいるというよりも、
いる感じがあるというか。だからいても全く無言だとダメかもしれない。人によるが。


足をケガしたので、無駄な動きがなくなったというか、
それやらなくてもいいんじゃないか、みたいなことを整理できた。
整理というとまずい部分もある。
例えば、それやらなくてもいいんじゃないか、みたいなことって結構あって、
実はシゴトも、実はもっといえば生きていること自体全くポジティブに
意味あるのかなーとか、思ってしまいがち。楽しいこととか、何かワクワクがないと
やはり人間は好奇心がないと死んでしまう。死ぬとは本当に精神が死んでしまうってこと。

精査していくと、動かないなりに動くとか、ポイントポイントだけを押さえていくとか、
そういう感じが分かるようになる。ここは出る、ここは出ない。ここは行く、これはいいや。
既に全部行きたいところもいけないから、行かないし、行く時は行きたいものに
フォーカスする集中する。あと、行けなくなっても時が更新をして、またチャンスが
あるということもある。なければないで、それで終わるかもしれないけれど。

とにかく、ちょっと動き方を変える良い練習になったりする。

アイデアと社会の関係性

非常にシンプルで、
アイデアはどちらかというと個人からの発生。所有はおいておいても、
個人からだ。

社会は共有物的であり、誰のものでもない感覚が強い。

そこを企画という形となる、visibleな属性の要素といったほうがいいが、
それが橋渡しとなる。

あまり誰かを応援するということはいいたくない、結果的にそうなっていても。
それはシンプルに姿勢の問題であり、やり方の問題であり、
作法とか人生哲学の些細な違いということでもあるかなと思ったり。
 

企画マネジメント的なこととか。

企画プロジェクトをもっとやる、ということで、数を増やしていく必要がある。
また、もっとやっていこうとしているところ。

さらに一個ずつきちんと仕上げていくことも大事になってくる。
それが大事。

シゴト博的なことをやはりどんどん仕掛けるが、まだ仕込みが十分ではない。
しかし、やっていったほうがいいというところがある。確実にやるべし。


10,30,50、100くらいのプロジェクトというのがあって、
それらをどう束ねていくか、どう仕掛けていくか。
アイデアや企画を実行するメンバーとしてもそうだが、
プロデューサー的なことをしたり、オーガナイズしたりという役割もあるはず。

形にしてから話を始めろというのもあって、
それらをどう考えるかが大事になってくる。

形を整理していくことで、より圧縮した密度の濃い企画が出来上がるはず。
そこを信じてやっていく。

そこにあるのは既にイベントではない

イベントとか場とかいう言葉がそれを既に表していない。
表していないというか、表すことが出来ないといったほうがいい。
言葉がそこでは無力ということ。

場がないから困った人がいたりもするその場、
また常識という言葉を使わないというのも面白い。
常識はそれは全く意味を示さない。つまり共有をするということでしかないのだから。

何かのジャンルで負ける、またはそれが出来ないことでの悔しさ。
そこは譲れないとか、色々。人生を賭けるというか、そういうこと。
人生は有限で時間もそれに準じてしかない。そこで何をやるか。

どこまで毒を出していくか。
毒が全くないのも面白くないわけで、とはいえ毒々しいのも
やや腹に残るし不快すぎるかもしれないので。

社会人で働いてからその後で大学へいくというルートがあるということ。
これは結構普通にあるかどうかで、学校へいって卒業したら
もう学校は終わりとか、そういうことはないという意味でも。

覚悟を決めること

最近主に変わったというか、ステージが変わったなと思うことがある。
それは個別、具体的な話はとくにないというか、あるのだけど、
それはおいておいて。

例えば大きく決まったのは、というか決めたのは、
アイデアや企画ということでやっていくと、腹を決めたこと。
腹を決めたというか、もっともっとやってやろうということですね。

もっと出来るという可能性、または勘違い。
現状へのギャップ、理想の自分。当然そんなのは何度も考えてきたし、
これからもまたあるのだと思う。

でもね、やっぱりそれでやっていきたいという思いがあって、
やりたいならやろう。それだけだなあと思う。だからそうする。
シンプルなところでそうしていく。

遊びと仕事は一緒だということもしっかり噛み締めるというか、
その感覚でやっていく。分離するコストを逆に感じたりするくらいだから。

自分のリソースをどこに投下すると、面白いことが起きていくか。
ただそれを考えている。それが面白い。

そしてそのように生きていく。
それは決定であり、決断であるが、
同時にそのようになってしまうという部分もある。
意志は示したが、意志が受け入れられるか。
それはもうやってみないとわからない世界ではある。
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