断るって何だろうと思っていて、
それはある程度を捨てることでもあり、傷みも生じる。あ、痛みか。

関係性とは、何だろうか。
痛みをどう捉えるかで、実際に価格が安ければいいという人は
やはりやすいものに価値を覚えるから、そういう人は価値の転換が
分からないとお付き合いが出来ないかもしれない。それはあるような気がする。

言えないけど書けるみたいなことがある。
それはイベント設計において、人に対する配慮だと思う。あまり深い意味はない。
書くことでまとめることと、理屈やロジカルは似てる。
例えば、発言をまとめて出来ないということは、書けないということと同義でもあったりしやすい。
言えるけど書けない人はいても、大体発言はまとまってないということが多い。

専門家、または何かに特化しないほうがいいということはある。
ひろく視えないことになるからだ。だが、見える部分を最大化しないと視えないこともある。
そこが難しいところでもある。

優等生で、真面目、社会に従順、物語として出来過ぎていることにたいして
あまり魅力を感じない。多少のひねくれはあるが、人間そんなものだと思う。
まっとうな人はおそらく大体ひねくれて見える。

褒めあうのは大事だが、悪いこととか直したことを言えないということは、
それはそれで高めあう関係にもっていけないかもしれない。
例えばそれは無自覚でも、無意識でも、ぬるま湯にならない、
そういうのがあれば別だが、なければ泥船で沈んでいくことになりがち。

今やっていないことをやるのは難しい。
決意はその証明。決意した、またはそれから決意し続けるのは難易度が高い。
そして、体が動いているようにしなければ、いきなり運動をすれば怪我をする。
体を温めるプロセスやタスクを見ていないとやれることもできない。

勉強するという形式にとらわれると多分座学と教科書みたいになる。
人に聴きこむとか、実際にやってみるとか、そういう選択肢があるかないかで
全然違ってくる。で、勉強は大事だと思う。

がしがしまとめられるものを整理してしまうー。