ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

2011年12月

エネルギーシフト

エネルギーって色々な意味があるが、
実際に運動する力、仕事量とかでもいいけど、
電気がつくにはそれ相応のエネルギーが必要。電池といってもいい。

30W生活、100W生活。
都市部では600Wくらいいるそうで。

すぐにはエネルギーをなくして生活ができるわけではない。
でも、自給するということが大事で、トライしてみると色々できる、らしい。

電気の使い方は、発電所から得られるもので使う。
というマインドセットがある場合、または原発以外の自然エネルギーで代替する場合、
それでも経済との連動で、あまり意味はない。
結局、電力会社が供給する以上、太陽光発電の電気は増減で購買されるので、
その購買したお金は、電気を受容する人々で分かち合う、つまり負担することになる。
あまり、良い仕組みとは思えないが、ただインフラ的にいえばまあ文句を言えない感じはする。

そこからマインドセット、考え方を外してみる。
すると、自給してある一定の容量なら自給できるし、暮らせるとする。
それなら、それでよく、無駄に電気を使う必要はない。肝は電気を否定してないということ。

生活コストというものを減らせる。また同時にゆとりや余裕、世界観、
先程かいた専門性や生きていくスキル、などかなりのものができると思ったりする。 

便利さみたいなものを少し捨てると、何かをたくさん得られるという言葉は感動モノかもしれない。
ここに気づける人は、若い人か、年配の人か両極端なのかもね。

お金をかけずにシゴトをする、シゴトをつくる。そこが大事。それはできる。
一杯あるのだから、落ち着いて探せばいい。そしてトライしてみること。

合理性より文化性。結局、経済的なもののものさしでやってる限り(全てを放棄せよとはいってない)、
なかなか文化性にいけないかも。あと、実践の中でみえるアイデアや工夫が楽しい。
勘所をみつけるには、継続してやっていくしかない。例えばここではプログラミングx心理講座、
的なものができそうだからやってみるといいかなと。2日くらいでできそう。

発明家というおいしいポジションはある種のシゴトを語っているが、
職業というよりは、藤村さんを語っている。やはりフリーで動く人は、
名前で語る必要があるなあと。つまり、肩書きはあまり意味がない。ただの入口であるなと。

考える、潜る、思考する、浮上する、自分の心配をしない。

自分の心配をする・・・ことがなくなってきた。
もちろん、余裕があるわけでもなんでもないが、
結局心配をするみたいな心のベクトル?は、
常にあるし、集中しても、何かしても一瞬は消えるが、
結局消えることがない。一生付き合っていく心理状態としてのパートナーと
言えるかも知れない。

あまり先のことを考えると動けなくなるとか、
明日のことは分からないみたいな考えが好きだ。
でも、目標を立てて動くこともないと動けないというのも分かる。
そこで、折衷したアイデア。ぼちぼちの目標、たまに厳しく、たまにゆるく。

人の逆のベクトル、点を設置して、相手を弛緩する。
緩める人。というのはいいかもしれない。ガチガチに緊張していては
良いパフォーマンスもなかなか発揮できないから。

より流動的に、形があるかないか分からないぐらいで、
流れに身を任せているように、流れをコントロールしているように、
ほぼ同時にどちらか分からないぐらいで動く。のがいいかなと。

生活のちまちましたものが、とても良いのではないかと思うのと同時に、
そこでの専門性ではない、専門性を僕は得たいのではないかと思った。
そこは非常にパワフルで、温かい、そして刺激的な領域ではないかと思う。

それは、言葉であり、人であり、場であり、ロジックであり、
社会であり、アイデアであるといっていい。ここはもう確実に射程距離。
あとはこれらをしっかりとこつこつとやっていくだけで、
あまりここに苦労とか変な言葉はついてこない。好きだし、楽しいし、やる。
という肯定の言葉で語ることが素直にできる。
 
高解像度のレンズを手に入れた時、物事が区別がつく、分かるという状態になる。
これはこうでああでというように、一般的に他人が見た時に分からないことが
分かる。気づくことができる。

時間の流れが異なるか。

例えば、名古屋と東京でマクドナルドにいる時間は、
同じ1時間であるが、当然、遠方に出かけているという意味で、
東京のほうが慌ただしく感じやすい。

しかし、感覚の問題で絶対的な時間の進みなどは一緒と考えて良い。

充実していれば時間の流れは早くなる。
逆もまたしかり。

冷静に考えれば、これが逆にもなる。
つまり、東京の人が名古屋に来てということだ。

そして、ここから次のステップへ。

つまり、東京に住めばそこが日常化して、慣れる。
人も、情報も、やり方?もそんな感じで。

日常化すれば、憧れや期待は溶け込み、
例えば、ぼーと過ごすことも可能だし、そういったことをしている。
考える時間が田舎にはあって、都会にはないということもない。
時間の使い方は、環境に規定される、ならば、それを作り出せばいい。
引きこもるのもいいが、田舎で引きこもりはなくて、単に娯楽がないからだろう。
馬鹿にしているのではない。

都会の機能は情報や娯楽などの集中、蓄積、便利などがあり、
そこにいるということは、ある種社交であって、何か夢や希望、
こういうことをしたい、人とつながる、何かしたい、店をやりたい、
そういったものがあっての前提ではないかと思う。

暗にそれがあるから、東京へいきたい、都会へいきたい、
そうなるのではないかと。

だからこそ、人口比では数倍5倍はあるところでは、
5倍の単価になるか、または5倍の人件費、5倍のコストになるか。
いや、そこまではなってない。

なぜなら人口に比例した、店の数、人の数がいるので、
結局、マクドナルドの数は2倍3倍くらいあっても、働く人は2倍3倍で、
利用する人も2倍3倍であって、というだけで良い感じの数値で
キリがつくのだろうと。経済的に考えれば。

でも、心理的には、人が多いと、どこにいても、誰かがいるというような
妙な感覚に陥る。

環境が時間を規定するなら、この物理的な数値よりも、
実際に感じる主観、心理的な面、集団や他の人との兼ね合いのほうが
重要な気がしてくる。

まあ、分からないなりに考えてみた結果がこんな感じであるわけで。

色々重ねていく


何度も思うけれど整理しつつ。

企画、プロジェクト、掛け算。
ネタ、アウトプットを収集して、どんどんスパイラルのように
発展していく。

つまり、インプットを何度もアウトプットできるし、
アウトプットからインプットというような流れ。

とにかくそこらへんは楽しい。
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