ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

2011年05月

「習慣ワールド」

自動化された世界は
主観的な非科学的世界ではないのか。

自分の見ているものが主観で、
それは誰とも共有できないのか。孤独世界イズヒア。

運命の糸であり、綱であり、電波的な見えづらいもの、
アンテナ、キャッチすること。源泉や本家はどこ。

確立されないものは見えづらいから、存在してないのと同様。
確立されたものは見えるけど、存在を確立するのは難しいのも同じよう。

習慣が世界にある、世界になっていれば、
そこから逃れるのに一苦労。でも、慣れないのもさらに重労働。

ボクが見ているのは、習慣のつまらぬ世界か。
それとも、主観のつまらぬ世界か。
または、消えそうにない事実、既視感のフィルムを
何度も見直しているだけで、細部にたまたま気づくのか。

「追跡世界」

一つの言葉がつぶやかれる、
そのつぶやきは、ツイッターなんかじゃなくて、
ひとりごとでもなく、生まれた瞬間にそれが
見える形。
に、なるということで。

そこから生まれる世界は、音韻や比喩、レトリック的な、
技法や技術を超えた、何もかものはじまりであり。
かつ、

そこにあるのは、一瞬に現れ、一瞬で消えてしまう、
一瞬の世界のようでもあり。

つぶやかれる言葉の賞味期限は短そうで、短くない。
リズムにのり、言葉が生まれる瞬間、そしてそれを追跡カメラで追う。

そこにみえるのは、現象が彩りされた、主観という美味しい知覚。

抽象は具体の中にある。

抽象という中心円に具体という外部円があるイメージ。

それはどちらからもいえる。具体あっての抽象も、抽象あっての具体も。

どちらか大事ということはない。両立性、両義性、同時性がある。

具体性は分かるけども、それだけで終わる。対症療法的になる。それは悪くないこともある。
抽象性は分かりづらいけど、そこにたどり着く味わいとか、それを他に展開もできる。情報量が少ない。

ここからアイデアのメタ化とかにどうしても自分が行きやすいというか発想の癖があることに気づく。
つまり一つ上の見方から、具体的なものまでそれはここって基準があったとしても、
ここ、一つ上、一つ下で一気にパタンが3つもできる。素晴らしい。

なんてメモ。

さらに付加。
よく、抽象は具体の反対と言われるが、まあそれはそれでいいとして、
でも、実際のイメージは、反対だから同じ概念が、同じようにフラットに存在しているとか、
対等にあるとかそういうことではなくて、

抽象って小さいけど、濃厚なエキスがあって、
その周りに、具体という薄いけど大きいエリアがある。

多くの人は、具体が分かりやすいし、自分もそうだけど、
そこから入る。でも、実際にその本質、一言で言い切れるようなものは、
抽象的なもの。でも、表現においては、抽象ではダメだから、
具体+抽象みたいなものがいい。具体だけでは枝葉になる。

具体が枝葉でなくなるのは、抽象というところから、
どんどんアイデアがでる状態でなければなりようがないというか、
やりようがないという感じ。

この気づきを得たので、抽象ってやっぱ単に帰納的な結果でも、
演繹的なルールでもないかなと思ったところが収穫あり。

表現力の問題

問題というよりも、限界といったほうがしっくりくる。
例えば、何かを伝えたい時、高度ではないんだけど、
その言葉で伝えると問題になるというか、うまく伝わらないことがある。

その場合は行動をしたりして見せていくしかなく、
また誤解も含めて、その理解をフォローしていく・・・しかないという話。

表現力にも方向性がある。
例えば、1つは、それをさらに深めていくこと。
つまり、表現をさらに高めるので、表現というところがとんがってきて、
「え、それで表現するの?」みたいなところ。

もう1つは、言葉とか普遍的なもので、
その伝わり方を工夫するもの。
一般的にはこっちのほうが「表現力」と呼ばれやすいし、そう認識されている。

ただ、表現力を高めたところで、伝わらない人には伝わらないので、
表現を磨きつつも、相手の立場にたって考えることが大事かなと。

表現力が問題になるからそこで諦めることはせず、
じっくりつきあっていくことが大事かなと。

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