ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

2010年04月

複数の壁

壁は乗り越えるべきかはおいておいて、
壁はいくつもあるというのがイメージしにくい。

ある課題という壁を乗りこえても、
次の壁があるだろう。壁がないというのは、ちょっと
コンフォートゾーンぽいので次の壁を見つけたいみたいな。

さて、やりたいことを休みの日、正確には
時間が空くと思われて、かつそこにリソースを投下することが
できるというときに、
やるというと、またそこでやっても同じように
やりたいことが出てくるだろう。

この無限の好奇心は、実は人生の有限の中で、
どれか優先順位として、形にしてやっていくしかないと思う。
有限だからこそ、優先であって、時間が空くということが、
有限の証拠だ。キリがないが、好奇心を満たすことで
怒る人はいないだろう・・・きっと。

課題という壁と、好奇心の無限は全く関係がないと
思うかもしれないが、実は密接な関係がある。

それは、壁を壊しても、好奇心がなければ
壁は表れないし、壁がなければ、好奇心が
なにか快適すぎる、居心地がいいところで、
何もできないだろう。要するに、与えられすぎた道具では
何もできない。制約が薄いということだ。壁が制約となってくれるという
良い意味での壁だ。

複数の壁は、実は課題という壁Aと、好奇心の壁Bという
AとBが並んでいるかもしれない。

とかく、世の中は楽しいと思う。

 

創るセンス 工作の思考

うーん、自由に生きるだっけ、それが良かった人は
読んだ方がいい。根底に流れるメロディーではないけど、
思考が同じだからこそ、両方チェックしたい。
こちらのほうは、作るということにかなり突っ込んでいるのがいい。

気付きをいくつか。

・ビジネスプランはデジタルではなくアナログ?
これは、何か企画をするとか、そういうことって
デジタルではないなあと。アナログだなあと。
なんでかというと、人、情報を編集しているからであって、
それ以上のことはない。企画をつくるとは、結局そういうことで、
企画作家とは、そういう企画をつくれる人だと思っている。造語ですが。

計画を練るのは自動的で出来るものではない。
もし、自動で計画されたものなら、何か味気ない、
させられている感が強いだろう。仮にそういうプログラミングをしても。


・子どもの育て方はプロダクトアウトで。
著者は教育はできないといっているが、それは本人の姿を
見せるしかないからだが、まあそうはいっても、色々やっているかもしれない(笑)
で、育て方については、子どものやりたいことをやらせるのは
望ましいかもしれないけど、それってマーケットインみたいな感じがする。
でも、実はそれが温室になることもある。
紙一重の印象があるが、そこに例えば、好奇心、自ら作るというと、
温室になりえないなーと。そこが大事かもしれない。

なんで、人の評価とか、仕事において必要なんだけど、といって、
人に評価されにくい技術の過程、または結果もあるが(この辺はぐちゃっとしてるが)、
やはり、仕事にするというところにこだわると、
参考になるかもという点が多い。

・自分でできないという白旗を立てる
これは、一言でいえば、できませんということだが、
もちろんそういうことがいえるいえないのレベルから、
言ったあとの次の一歩とか、何があるかとか、そういう話もある。
でも大事なのは、自分の必然性みたいなもので、
それが必要なら、必要性で、それをやるだろうし、
必要でないならやらないし。
ここで大事なのは全てやらないということだ。
大事なことは実は結構ゆっくり、そして自然に身についていくものではないかと。
そんな感じ。

・言葉というのはデジタル
これは、概念を表す記号という意味合いだ。
これは良い喩えだなあと。言葉ってアナログってイメージがあるのだけど、
確かにトーンとしてはデジタルだ。
これは説明が若干いるが、思考は言葉でしか考えられないという、
話が出てきて、著者はそれはない、映像でいけるぞという文脈の中での話。
自分の感覚では、どっちもいえるが、どちらかといえば、
話している時は反射なので、言っていることは常にリアルタイムで止められない。
で、何かいおうとした概念、それは一瞬でふっと出てくるもので、
どちらかといえば、イメージであって、言葉ではない印象がある。
何かを常に思い出す、刺激されている・・・という感じに近いと思う。

だから?からか、刺激的な会話というのは、
相手によって自分が刺激されている・・・文字通りだけどね。

・自動販売機の工作
これは結構しんどい話だ。
工作の楽しさでもあるが、分からないことが多い。
説明もできないし。でも、何か面白そうな気配がある。
好奇心でカバーしたい。というか、工作的な何かしたいっすね・・・。


・抽象
自在に生きる・・・でも同じ抽象化という話が気になったのだけど、
ここでも同じ。
抽象画は本質的であるとはいってないけど、抽象は、
結局、具体的にいえば、工作などで鉄を削る・・・というところで、
実際には鉄を削って、削ったカスは見えないくらい小さくなったり、
または削ったものは削られて・・・となる。
そこで、無?になって、削ったときには何も考えずにその作業ができる。
そして、工作のセンス、というのがすなわち、生きるセンスというのに
つながるという話になるのだが、とても面白い。

実際に抽象化とは、抽象画が好きな自分にとっては、
ある種余白であって、具象ではない良さがあるのではなく、
曖昧があるからではないといっていいと思った。
何を言いたいかというと、 抽象ということを、具象から考えることで、
実際に、そこにある本質が抽出される可能性が高いことに気づいた。

だから、仕組みは抽象的な思考が求められる。
具体的なアクションが不要ではないのだけど、
それらを頭で実際にAという人物、Bという情報、そしてCという機会などというように、
分けて考えることができるのと、実際に行動力があるとは
結構別のセンスがいるのではないかと感じた。
これはとても大事な気づきだと思う。

・楽しさは自分でつくるもの
これは、「楽しさ」というものを「仕事」におきかえてもいいのではないかと思った。
何をいっているかというと、自分で仕事を作るという感覚がないと、
とてもじゃないが、企画はできないし、提案もできない。
また、利益やキャッシュポイント、想定されるトラブル、課題、管理・・・諸々のことは
とてもじゃないが、面倒でやりたくない人は多いだろう。
企画の水面上のものは、結構「キレイ」なものばかりだ。
しかし、水面下では水鳥が必死に足をもがいているのだ。
それが表に出てくるまでの「苦労」(苦労という言葉はかなり嫌いだが)というものになるだろう。

もし、楽しさを与えられているとか、与えてもらうものだと思ったら、
多分何かどっかで考え直したほうがいいのかもしれないなとすら思った。
幸いにも、自分はそういう考えはなく、楽しさも自分で作りたいと思っている。

そして、人生がつまらないという若者の相談を、それは君がつまらない人間だからというのは、
論理的に無茶なようにも聞こえるが、多分正解だと思った。
なぜなら、周りがバカばっかだという人は、まず自分がバカである可能性が高いという
信頼できる話があり、また、僕の経験でも、文句を言い続ける人は、
実は自分が文句の発生源、または文句をいうことによってよりも、
その別のところで、その人が文句そのものである(笑)ことが多いからだ。

一生懸命やるというのもこの類だ。
一生懸命やるのは悪くない。でも、一生懸命にやることが目標ではない。
多分、そうすることで何か伝えるのだとか、何か結果になるだとか、
過程に現れるだとか。だから一生懸命やっている人が、
一番、一生懸命やってるのに、というのはまずいパタンかなと思ったりする。

自分の人生がつまらないなら、それは自分がつまらないからであって、
多分人があなたをつまらなくしたことはないのが大きい。
とはいえ、環境もあるので、もしつまらない人ばかり周りにいることに
気づけたのならそこから脱出のチャンスと捉えることができる。
が、意外にそこから脱出のチャンスとは考えない人は多い。


・作る習慣を取り入れる
これはやりたいなーと思ったが、多分自分の中では、
電子工作や日曜大工はちょっと厳しいかもしれない。と、今更だけど。
多分、いけそうなのは、プログラミング、そして料理あたりがいけそうだ。
企画でも個人プロジェクトでわいわいやるのももっとやれると思うので、
そういう作るというのが面白そうだとも思ったりする。

総じて充実した本だった。
この本は、多分、自己啓発でも、ビジネス書でもない。
きっと、森博嗣の哲学本というのが、一番近い。
著者の感覚をなぞれば多分、一教育者風で全く教育者ではない理系の建築学者が、
小説とかマルチな感じの人で、その人の今までも生き方において、
作るってことを重要視してきたよ、という意見であり、考えの表明であるといえるかもしれない。
と、長くなったが、かなりオススメの一冊である。

創るセンス 工作の思考 (集英社新書 531C)創るセンス 工作の思考 (集英社新書 531C)
著者:森 博嗣
販売元:集英社
発売日:2010-02-17
おすすめ度:5.0
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大体見えてきた1年

いくつか人の分類というか反応があるのが面白い。

企画会社をやっているというと、
大体、どういう企画かという反応が8割だ。
企画といっても、テレビの番組企画、システム開発の企画、旅行ツアー企画、
お店のPR企画まで、結構なんでも企画だったりする。
ちなみにこれらを弊社で全てやっているわけではない。

本当にやりたいのはというと語弊があるが、
アイデアを組み合わせて、一気にビジネス化する、ビジネスプロデュースだ。
これはすぐ出来るものではないが、といってやろうとしないと出来ない類のものだ。

これは別に怪しい、儲け話の類ではなく、
単に、アイデアをマッチングさせる(というと迫力がないが)ものだ。
そういったコーディネートをするというと(友人あたりが、コーディネートするだけでは・・・?)という
突っ込みをしそうだが、多分、根本的に違っている。

簡単にいえば、我々は、手段を選べるというか選択肢がある。
そのビジネスアイデアを自分達で実行するのか、任せるのかという大きく2つ。
普通、儲かることが分かっているものを人に任せる神経が分からないという
人もいるのだが、我々は企画がなくて困っているわけではないのだ。
単に、そういう媒介するターゲット、我々を信頼するコアなファン、
そして一緒に動きたいという人のレベルが、まだ達してないというところだ。

これはうまくいってないといえばそれまでだが、そういう話ではない。
決して今が100%というわけではないし、全然力は出し切れてないし、
そういった力を出すフィールドがあるわけではないというのも事実だ。
そこを作り出すのが課題といっていい。

さて、そういう反応をもうちょっと羅列してみよう。
・儲かるのか
・収益となりえるか
・どういうことを普段しているのか
・今メインでやっていることは具体的には?
・面白いから儲からないのでは?
・それ一本でやっているのか
などで大体集約される。

お客、利益、収益系は心配している人もいるが、
そういった人でこちらに仕事をくれる人はマレだ。
当たり前だが、そもそも相手に仕事のイメージが湧かない場合、
次はない。しかし、関係性でつながるご縁もあるので、ここは一概に
すぱっと切るわけではない。
ただ、企画で食うのが純粋に面白くて楽しいみたいな、純粋培養?みたいな、
延長ではないことは事実だ。自分が楽しいから人が楽しいというのは、
結構適当な話で、現実は、自分の存在が企画を出すだけであって、
人に喜んでもらえれば本望だ。
そういう感覚である。だから、裏方でありたいとか、そういうことでもないのは、
重要なポジションだろう。どっちつかずでもないわけですね。

面白いことをやると儲からないという反応もある。
社会貢献的というのもあるが・・・社会を面白くすることが
利益にしかつながらないと思っている。全く逆だ。

ここは整理する必要がある。
大きく何点かに分かれるので、今後起業する人だったり、
何か事を起こす人は結構参考になると思っている。

まず、起業とか事業を起こすとか、そういうイメージがない人、
つまりサラリーマンにとっては、全く意味がわからない世界であることだ。
よく、一国一城の主とかいったり、独立したいよねーみたいなロマン的な
反応もあるが、そういう人はまず無理な世界だ。
趣味で何かやるとか、そういうのならいいが、それで事業をするなら
適当ではいけない。これは自分が適当にやっているわけではないが、
といって、急に明日からバンバン何か売上があがって・・・という
魔法ではないことを意味する。
つまり、人のつながりにフォーカスをあてている時点で、
レバレッジは加速したときがすごいのであり、今はそこまでいってないだけだ。
そこは厳密に客観視しないと見誤るだろう。

そういうサラリーマンにとっては、意味が分からないので、
多分極端なことをいえば、自分がいくら売上をあげていて、
そのうち何%を給与という人件費として、もらっているかも
把握できてない恐れがある。
お客さんから売上をもらっているからこそ、自分が給与で雇われているという
感覚がないケースも多々ある。
これは、サラリーマンは従業員という立場であるので、
考えなくてもいいという特性でもあるが、そういった人は、
おうおうにして、ぶら下がっているので、多分まずいだろう。
リストラされず、そこで平穏で暮らせるのは感謝した方がいいとすら思う。
が、その人たちに何か起業しろとか、そういうことは言う気はないし、
やらないほうが色々な意味で身のためだ。
もちろん、やりたい人は応援する準備があるけれど。

次に経営者や会社を運営している人だ。
実は、会社の社長というのは、社長になれば
同業(職種ではなく、何かしらのポジションという意味で同種類)という意味で
広く会うことは多い。多分、それは想定しているより多いということだ。
例えば、フリーランスとして独立したら、フリーの人が結構いたみたいなことであるし、
子どもが生まれてベビーカーを転がして散歩したら、
急にベビーカーが増えたという主観的現象でもある。
もちろん、これは増えたわけではなく、意識が向いたという意味だ。

学生の時にも思ったが、社長という人は特別であるわけではない。
秀でているから社長になれるというのもあるが、何か欠如部分が多く、
それを埋めるという人もいる。僕もそうかもしれない。
で、そういった社長でも、ピンキリというのが実情だ。
経営者だから色々素晴らしいスキルがあり・・・人に温かく・・・
というのは一瞬あってもいいが、その次の瞬間に大きく変わるだろう。
そういう人ばかりではない。こんな人でも経営できるんだねーって
油断させてくれる人もいるし、そういうギャップがある人もいるし、
中には社員がいるから回っているんですよーという人もいる。

従業員の人数から、売上規模、どこに会社があるか、どういうビジネスか・・・
会社の考え方・・・理念など様々にある。
これらをまとめて、会社の社長などとするほうが怪しい。
多分そのまとめで、色々な重要な点を見失うことになるだろう。

というわけで、そういった会社経営のクラスであっても、
いや、あるからこそ、分からないという人もいる。
社長という役割の以前に、彼らは人である。そこは注意しておきたいし、
というか、人だからこそ、ビジネスなのだ。人がいるからこそ動くものがある。

まだいくつかある。
そういった構造やビジネスがわかっても、
その人の信頼性というものがある。また、ビジネスモデルみたいな話になると、
なぜかロジックだとか、MBA的なものになったりだとかがあるが、
結構、何か率いる以前に勝敗は既に決まっているというか、
なるほど、あなたのいうことは分かるけど、まったく賛同できないね、
みたいなことが普通に成り立つというか、成りたってしまうところでもある。
ビジネスがというよりも、ビジネスに関する関心が低ければ、
色々なものが盲目である。

例えば何度もいってるのだが分からない人は多いのだが、
ビジネスとは、AさんとBさんが、その価格、または価値を授受することを
了解すれば成り立つのだ。
もちろん法的に色々あるわけだが、例えば、アイスクリーム屋をやって、
今流行ってないから売れない・・・ではなくて、100名くらいのおじいちゃん向けに
いや、若い人は今夜にアイスを食べるから・・・とか、
色々な理屈があっていい。そこらへんは意外に適当だが、
リサーチは多分もっとも難しく、もっとも腰を軽くしてやってほしいが、
実際にアイスクリーム屋を開くとしよう。Aさんが。

そうして、Bさんがおお、アイス屋いいねといえば、
北海道の寒いところでも成立するわけだ。実際に回るかどうかは別にしてだ、
Aさんの提供するアイスをBさんが食べたいという時点で成り立つ。

次に、パイの問題だ。市場とか市場規模というが、
そういうBさんが大手の社長だったら、一気に1000個くらい売れるかもしれない。
そうなれば、Bさんのような人をまた一人作れば成り立つかもしれない。
しかし、これが主婦Bさんだとすると、4個くらいしか売れないかもしれない。
それでは、もし、固定費が、店の家賃、光熱費・・・その他があれば、
当然赤字になる。これでは成り立たない。

ということがあるので、では、前提として、そもそも、
マッチングがあること、市場があること、そして、次に持続性があること。
これらをもって、ビジネスといえる。
が、さらにモデルとして、将来や今後ということを考慮すると、
どういう仕組という問題にはじめてブチ当たるのだ。

これらを経営者クラスでも理解してない人は意外に多いし、
商売やってる人間なら、計算もざくざくできそうだが、実はお金に弱い経営者とかもいるし、
また、実際に小売の経験がないと、粗利率から人件費から、色々な数値と
それらの関連付けが弱い人も結構ざらにいる。
また、理念にはしりすぎてしまって、ビジネスがぐらつく人もいる。
色々みてきたと思う。

そこで、自分の企画というビジネスを振り返ると、
やっぱ分からんなーって人はいるけど、そういう人って、
多分理解しきれてないから、見やすい形にしてあげるしかないなと。
してあげるとは上から目線なのだけど、でも、こちらがおりていかないと、
多分ついてこれないという感覚がある。これは相手をバカにしているのではなく、
相手に伝えるための手段でしかない。深く考えないほうがいいというのもある。思考停止ではなく。

逆に面白いですねーっていうと、つながれる人は、
それなりの魅力があって、一緒に何かしたいなーと思える人も、
弊社を通じて出会えてきたと思う。

そういう収穫があったりして、なんかワクワクがある人生を歩んでいる。

たまに、食えなくなるとか、妙な心配をしたりとか、なんかあるといえばある。
自分がどうなってしまうか分からないこともある。
でも、なんか、結構心配してなくて、結構いけるなーと思っているのが事実であり、本音だったりする。

とはいえ、現状で満足には程遠い感じでもある。

全く逆の反応もある。
羨ましいとか、そういうことしてみたいとか・・・。
でも、はっきりいってほとんどの人に同じことは無理だ。
実際にこういった動きをしている必要があるのと、またやっていく精神、タフネスみたいなもの。
食えなくても踏ん張れるというもの。これは同情だったり、何かをしてくれる証拠にまったくならない。

その状況下でも、腐らずに自分を自然体にして押し出せていけるか。
一日一日がそういう意味で勝負せざるをえないわけだが、
それをする覚悟というか、勇気というか、テンションというか・・・
そういう人が昔から多いとは思えない。

また吹っ飛んだ感覚も必要だ。
常識を疑い出すと、現実がペラペラになって、一体なんだこれってことにもなる。


そろそろ整理をしてまとめておこう。
1年とはいえ、まだ厳密には1年たってないが、
動きだしてからは1年は経っている。
多分僕らは成功している方ではないと客観的に言える。
また、失敗しているともいえるかもしれない。

全て甘んじて受け入れよう。別に何かいう人を批判する必要はないし、
それで、結局僕らはもっとつながって、面白く、かつビジネス的にも成功して
いきたいだけなんだってことを大きな器をもって展開してきたいだけなんだと思っている。

見聞きしたことやら、
先達の意見やら色々参考にしたけど、
今のやり方で、自分はいいと思っているし、
アイデアはあるし、仕掛けの数が足りないだけであって、
スピードでなんとかレースに参加する(深い意味はない)レベルまで
もっていくための訓練と修練、そして忍耐の時期であるともいえると思っている。

こういった綴ったものをみて
一人でも多くの人が勇気づけられるならば僕は色々書いていくことは
辞めることはないと思っている。

 

本気になる瞬間

いつになったら本気になるのか。
そんな問いが生まれた。

多分、必然性、必要性くらいだろう。
必要がなければ、何か、それをすることはない。

なんとなく、何かをして、なんとなく、生きていることは
多分楽かもしれないし、それがいいという人もいるが、
少なくとも僕はそれは全然かっこよくないと思っている。

本気になる瞬間が今、この瞬間であって、
本気になれーといわれてなっていては、
常に遅い。コンマ何秒でも遅いというのはまずい。
コンマ何秒は蓄積されて、次につながっていくわけで。

次にチャレンジしよう。
 

勘違いのうまい着地点

僕自身も勘違いをしているが、
勘違いを客観的にコントロールすればいい。
それを人は夢を明記するとかいう。

これに異論ある人はなかなかいいないだろう。
でも、勘違いをコントロールするという発想はなかなかない。
期待を裏切るというので、 良い意味であったりするかも。

勘違いがそのまま浮いているのはもったないので、
どこかに着地させたほうがいいと思う。

悪いところに着地すると、多分、勘違いをした人が
そのまま勘違いをして、誰も加工、コントロールしないというのが
起こり得るかもというのはあったりするかも。

勘違いをしたままでいきたいなら、
うまいとこ着地点を見つけていったほうがいいかなと。

直感的な判断。

直観とかくと、考えを重視、判断を重視。
直感とかくと、感覚を重視する直観になるかも。

それはいいとして。

さて、判断が後々、ああ、そうしておいてよかったというときがある。
今というか、最近またそう思ったことがある。
自分の判断を正当化しているだけのように聞こえるが、
正当化してないから、それで完結しているし、全く自分の中でキレイに整理されている
そんなことがある。

人がどういう判断をして人に何か評価または、
どうみているかは気にしたほうがいいだろう。
人の上にたって何かをするならば・・・だけど。


一般というのは何か。抽象的な意味であって、
全体をまとめるという意味でしかない。
あまり深い意味はないだろう。
それを知った上でどう動くかは大いに意味があるが。

やれないのを待っていてもしょうがないというのがある。
待っているというのは色々な意味があるが、
やれないならやってしまうというのはある。
それは人を成長させるという意味で色々あるのだけど、
まあ、待っていればいいわけでも、全ていえばいいわけでもない。
そこらへんは全て醍醐味みたいな。


 

仕事のとり方2

長くなるが、大事なのでもう1つ。

実は、先程のAさんBさんで、Aさんがダメとか、そういうことでもない。
Aさんとは、自分には仕事がないから仕事下さいみたいな、
そういうパタン。まあ、それが困っていても無理なものは無理というか。
マッチ売りの少女がどうなるかは人次第というか。

で、何が救いというか、やれるかというと、
例えば、「自分がこれができません。これがありません」という人は、
まず、その人の課題、問題が一応把握されていることにある。

だから、気が強い人で「そんな仕事がないなんて口が裂けてもいえない」
みたいな人はいるし、プライドだって高い人は無理。
そうじゃないと出来ないことを言えるのでまず1つ強みかもしれない。皮肉ではない。
僕はどちらかといえば、プライドは高いが、そういうプライドも全部吹き飛んで、
何もかも消えたときの自分にまた新たな可能性さえ感じている。
一歩間違えるとアブナイ。しかし、そういう未知感はまだまだ面白いと思っているし、
そういう何か見えないものが面白いというのもある。

自分の弱さを出せないと、また人は弱さの共感というか、
強いだけの人に魅力はないし、また一緒に助く必要もないというのも一理ある。

ここまで読んできた人ならもう分かるだろう。
つまり、AさんだろうがBさんだろうが、何さんだろうが、
その人によって、またその人の発言によって全ての意味は異なってくるということだ。
これは、どうしようもない。常に変わる。
Aさんもまた時を経て成長するだろうし、Bさんもそうだろう。
考えが変わることもあるし、もう出会えないかもしれない。それは分からない。

だから、どうするのが正解で、これで決まりというのは実はないのだ。
これが仕事自体もそうだ。そして仕事のとり方もそうだ。
こうやってやっているとか、そういうところは参考にできるが、
やるのはあなただから、結局どういうことができるか、やれるかみたいな、
自分のアクションに置き換えていくしかない。

無理もやっていいが、無理の持続は無理だ。
だから、無理が成長をして学んでそれが次に無理にならないなら、
それは成長していて、無理の持続ではない。
が、無理をし続けても無理は無理のままだという道理もある。

そして、これが一番大事だが、
実は人は仕事をしたいというのは、何か関係性や、
食べるためにお金という手段が、仕事から得やすいという理由だけもであったりする。
高度に発達した(低レベルではないのは、お金で色々なものが買える、
前提があり、文化があり、そしてそういう認識が人々にあるということだが)ところでは、
なかなか難しい。

しかし、物々交換が多分消えないのと同レベルで、
お金に頼らない生き方もある程度あっても面白いし、
またそれを試みるのもいいと思う。とはいえ、現時点ではお金がゼロでは
厳しいというのが結論だが、時代は変わるし、また自分も変わるというところでは、
結構、村的なものは面白いと思う。作る気は今は全くないのだけど。
政治的すぎる、宗教的すぎるという理由で。

結論は結局、トライして学んでまた検証して、
トライして・・・の繰り返しだ。
それはあなたが仕事をとるとか、仕事をつくるとか、
そういうことに興味があればきっとやり続けるだろう。
そして、そうできて、成功することを心からお祈りする。

 

社会を動かす企画術

レビューを忘れてました・・・。

ホメパト、あとJ-WAVEの面白ゲストの大きく二本立てです。
SMILESHAREみたいな考えも好きなので参考になります。

簡潔に言えば、
どうすれば面白くなるかを考えている著者だからこそ、
色々な発想ができるということですね。

どんどん真似していこうと思います。
ぜひ、おすすめです。

社会を動かす企画術 (中公新書ラクレ)社会を動かす企画術 (中公新書ラクレ)
著者:小山 薫堂
販売元:中央公論新社
発売日:2010-04-10
おすすめ度:4.0
クチコミを見る
 

仕事のとり方

お世辞にも人に言えるほどではないが、
一つだけこつがあるような気がした。

例えば、自分に置き換えてもらいたい。
Aさんは「仕事ないので困ってます。仕事下さい」
といってきた。
あなたはどうする?

仕事があれば振るかもしれない。
でも、仕事というのは、色々あるわけで、
何をAさんが出来るか、そして実際に出来るかは本人の言うことと、
実際のそれは雲泥の差があることがある。
つまりは、信頼関係であり、またその人がどういう人かを知らないと
頼めないのではないかと思う。

もちろん、難易度低で、誰でもできるような仕事なら、
そういうところで適当にやっちゃえるかもしれない。
が、そういう仕事は価値が低いので、当然あまり報酬は高くないかもしれない。
どちらにせよ、Aさんがどういう人かが分からないと振れないだろう。

もし、逆に誰でもいいからうまい仕事があるという儲かる話みたいなのだと、
これは注意する必要がある。大抵はネットワークビジネスだったり、
何か怪しいものが多い。もちろん、代理店として何かを売るのも同様のケースが多い。
自分がうまくいっているのを人に振る人がいるとしよう。
その場合、なぜ自分なのかは疑ってかかっても疑いすぎなことはない。
なぜなら、本当にあなたのことを考えいるなら、その仕事をきちっと説明して、
具体的でかつ、分かりやすくいってくれるだろう。
で、なければ、怪しさがある。気を付けた方がいいだろう。

さて、Bさんは
「今こういうことをしています。またこういうことができますが、こういったものが足りません。
もし、何かあればご紹介下さい」
といってきた。

信頼レベルはどちらも変わらないという条件で、
そして、色々話を聞いていくと・・というのも変わらない。
要するに時間はかかるだろう。
でも、「私は仕事がないから、下さい」というのは、
直球だが、その人に「仕事」を与える理由、意味、意義、何かがいるのだと思う。

義理や人情だけで仕事が回るわけではない。
そのために、実績やこういう期待やできそうだという何か(極端なところでいえば、
挨拶ができるか、何を考えているか、情報があるか、アンテナの感度は、
人とうまくコミュニケーション撮れるか・・など)がある。
そこはその人が何をみているか分からないが、
まともな人なら、仕事をするときに色々な確認と、また手続き、そして
どういう絵をイメージするかを探るだろう。まともならばの話だ。

それらが出来ない人、またはしない人は疑ってもいい。
それは仕事があるからどうということではないのだ。
ここらへん、卑屈になっても仕方がないところだ、心したいところだ。

AさんもBさんも、ほとんど能力が同じかもしれない。
スキルや実績、年齢や生まれも似ているかもしれない。

でも、極論は、多分こうだと思う。
自分が相手を知っていること、その人=仕事、だと考えるなら、
何かそこから生み出せるかが、その人に感じられるかどうかということ。
多分、相手が何も失わずに相手に何か求めるだとか、
あまりフェアでないもの、正確にいえばフェア感がないものはすぐうまくいかなくなるだろう。

相手を知らないから仕事ができないというより、
仕事そのものを相手をしってやるかどうかというスタンスの有無だと思う。
もっと極論すれば、相手を知らずしてやっているところで、良い仕事は出来ない。
ここでいう良い仕事は、長くお付き合いができて、かつ色々な人に価値を与えるような、
仕事のことだ。これは、とても大きな話では決して無い。

小さなことで、小さな仕事でそれができなければ、
大きな仕事でもできない。小さな仕事でそれができれば、
実は大きな仕事でもそれをできる可能性が高いといっていいだろう。

ホームレスのおっちゃんがいて、その人が家がないから、
家に来いという人はマレだろう。僕もそうだ。
同様に仕事がないから仕事を与える人もマレだろう。
その人が信頼出来る人ならばそうだが。
とはいえ、仕事は待っていて降ってくるものではない。雨ではないのだ。
気候が変われば何かが起きるわけではないのだ。
そこを知らずして仕事が出来るなどといえる人はまずいないだろう。
逆にいえば、待っていれば仕事が来るレベルになった人がそういうのはホンモノだ。
でも、そうではない人がそれをみて自分が出来ると判断するのは、
少々判断をまったほうがいい。自分に圧倒的に自信があればそれをすればいいが、
大抵は失敗する。もし、失敗したときに、きちっとそこに戻って考えること、
つまり、左にいったが、実は袋小路だったら、そこでまた戻ればいいのだが、
人は迷路に入ると冷静に戻って・・・という思考が鈍くなる。
鈍いというよりも、元々なければそれができないといったほうがいいだろう。

人が困っているのを助けるのも疑ったほうがいい。
逆に自分ならどうするかを考えてもいい。
中には全く自分と違う動きをする人もいるが、それはそれで例外として、
うまい話だとか、何か怪しいなとか、違和感(何かずれている)を大事にして、
そして、自分が関われるレベルでやってしまえばいい。

怪しさがあるものに、突っ込んでも多分それが怪しくないものだったとしても、
怪しさは残るのだ。それは何でも一緒である。グレーだからどうだということではない。

仕事は恵んでもらうものではないかもしれないが、
時には頂くという謙虚に構えることも大事だ。
全て謙虚とはキレイすぎて、聖人君子ではないと思うならそういうのは
スルーして、きちっと仕事をとり、きちんと誰かに回せばいいのだ。

信頼関係が全てというよりも、それが土台になってしか回ることはないかもしれない。

長々と書いてきたが、
こつとしては、貧乏だからその貧乏を助ける人はまずいないということだ。
それは当たり前かもしれないが、貧乏ではなくても、
自分が旅先で困ったらどうするかみたいなことを考えてくれればいい。海外だとなお良いだろう。

そこで、あなたは旅人から助けてくれと言って助けるかどうかだ。
お金なのか、飯なのか。分からないが相手がこまったから助けるだろうか。
助けるとはあなたが助けられるだけのものがあって、
かつ助ける意志がある場合だ。相手が脅迫するケースは除く。

そこで、あなたは助けたいから助けるのだ。
そういう意志はなぜ起こるか?同情か、それとも自分がもしかして
困ったときに助けてくれた時、あの感じ?かもしれない。
理由はなんでもいい。あなたはその人を助けるかどうか選ぶことができる、大抵の場合は。

貧乏に戻そう。
そういう貧乏であるときに、人は優しく手を差し伸べてくれるかもしれないし、
全然スルーされてしまうかもしれない。

それはあなたが相手に、社会に、他人にしてきたことであるかもしれない。
簡単にいえば、あなたが今まで、あなたが他人にしたことは
宗教ではないが、多分戻ってくると思う。多分常に、あなたが想定した以上のことを
それは優しさか、面白さか、何か分からないけれど、
そうやっている人がいつもいるからそこで証明できる。

あなたが人を助く時があったのか、あるのか分からない。
でも、あなたが人に助けられることがあれば、
きっと、あなたは人を助ける人になるだろう。ならざるをえない。

世の中そんなシンプルさで回っていると思える。

そして、仕事の話。
仕事も、色々な人との関係でしか生まれない。
営業とは関係先を増やすということである。
相手が相当ケチ?でない限り、またコミュニケーションが不成立でない限り、
相手はあなたことを考え、あなたは相手のことを考えることになる。
それがビジネスであり、商売であり、また人に対して仕事をしていくというものになる。

僕の話に戻そう。
僕はだから、困った人があれば見過ごすことはないけど、
誰でも助けることはないし、その人の希望というか、何か考えというか、
そういうものがOK!と思えるなら、あまりお金が返ってこない心配だとか、
何か問題がとか、そういうのは気にしない。思い切って任せる。
こう考えられるのは、実はそうやってしてくれた人がいたからであって、
そうじゃなきゃこういう考えはできない。これも連鎖であり、教えてもらって、
学んだ自分がいるということになる。

だから、ありがとうといいたい。
そして、僕もまた別の人にありがとうといっていくのだと思う。

まとめると、仕事でありがとうと言われて、そしてありがとうといっていくと
良い仕事になっていくし、そういう人に成長していくだろう。
 

人生は楽しもんだ勝ち

というと、勝ち負けの話になるんだけど、
そういうことではなくて、自分の中での勝負みたいな(笑)

そこで勝っちゃうほうがやはり、自分との勝負って
他人のそれよりしんどいというか、包含しているような気がするんだけど、
どうでしょうか。

自分の人生の有限性については
結構真面目に考えた方がいいと思っている。

そうじゃないと、結局何も考えていたことがやれずに
終わってしまうということで。

昔、学生の頃、
自分のシュミをやりたいから仕事はこういうものを選んで
別口という人がいた。
分からないわけではない。
でも、それって全力っぽくないから、俺は違うなーで終わった話。

さて、また同じ問いをしてみる。
そういう人の方が多いかも知れない。
でも、一見賢い選択をして満足しているようで、
その上、充実しているかもしれない。
文句はない。でも、そういう生き方を自分が取ることはない。
なんか、それって「俺」らしくないよね。終了。他に理由がない。


 

かっこいい生き方

非常にシンプルだ。

自分の核を持ち、焦らず、とはいえワクワクではテンションがあがり、
うまい話などに左右されない自然体があり、形をつくりあげていく生き方。

理想ではないのだ。そういう生き方でいきたいから、
今が少しまたズレているところがあるから、そこをやっていくのだ。
そこが楽しいのだ。

正直、一般の人というのが何を指すか分からないが、
とはいえ、自分と同じレベルで話せない人(これは下に見ているのではない、
あなたが自分を違う次元という人にとってだ)にとっては、
おすすめする生き方ではない。こういうのがかっこいいと自分が思っているだけなのだ。

それが正解でもない。当たり前だ。

それをどう思うか、どうしたいかを僕はいう事はできる。
しかし、あなたが何をしていどう思っているか、そしてどうしたいかは
あなたが決めることだ。決めればいいというか、あなたしか決めれないことだ。

多分、ストレスというか、色々な不安とか、何か多分相当色々なものを
一般レベル?ではすっ飛ばしているので、とっくにへばっていたかもしれないのは、
事実だと思う。とはいえ、仲間がいたからここまでこれたよみたいな
セリフをはくまでまだ形になってないのが事実だ。自分一人で何でもやっては、
ダメだしやる気はないが、でも自分がやらなきゃいけないことは多い。

その絶妙なバランスがある自信はそこまでない。
が、試してみてから色々いいたいという年頃なのだ。

何かチャレンジしていく生き方。それをするってだけですが、
シンプルでいいと思いませんか?

自分が困った時に助けてくれた人は、一生忘れることはない。
僕自身は、その人に恩返しできるならするべきだと思うが、
別の形で別の人に返すのもカッコいいと思っている。
それが社会で生きる人の生き方ってもんだみたいなものがある。

大丈夫だ。君ならいけると思う。
 

デザインが奇跡を起こす

大分前に読み終わってたのをうっかり忘れてました。

デザイナーである著者のMERRYという活動を
メインに。著者の商業デザイナー時代から結構な苦労が
書かれています。

参考になるというと、あっさりしすぎですが、
デザイナーはもちろん、ソーシャルってキーワードにフックがある人、
アンテナがある人はMERRY自体が参考になるかもしれません。

デザインが奇跡を起こすデザインが奇跡を起こす
著者:水谷 孝次
販売元:PHP研究所
発売日:2010-01-09
おすすめ度:5.0
クチコミを見る
 

最後の朋友

友人。

物足りなかったと思われる時代は、
あ、時代ってのは、時期とかそういうレベルです、
おそらく全力で何かやった感が薄かっただけかもしれない。

学生時代は、色々やったと思っているが、
個人的には限られる感じがあった。
早く社会に出て色々やりたいなーってのがあった。

今はやっと、一つステージを終えて、
次のステージで踏ん張っているところだが、
これが俺の選んだ人生だと胸をはっていえる。人にオススメはしないけれど。

自分の人生は自分の人生。
そう言い切れたら次が待っている。わっしょい。

 

その人スキル

当事者という言葉が好きな人がいる。 
要するにそこに関係している、属している、やっている、関わっているとうものだ。

当たり前といえば当たり前なのだが、
当事者意識云々といったりする。

人は、何もかも「意識」をもってたら、1日で混乱してしまうし、
疲れてしまう。意識が無意識になるという省略、または学習により、
人は生活できると思ったりする。

さて、当事者意識とかどうでもいいのだが、
自分意識みたいなもののほうが、つまり主観意識っていえばいいのか、
そっちのほうが大事な気がする。少なくともその人にとってはだが。

あなたは何をしたいのかというときに、
それを言ってすぐに理解されるとは多分思わない。
自分はそう思っている。

例えばそういうことを何度か繰り返して、そしてやっと?
信頼関係ができてきて、最終的に、なるほどねーとなる。
時間がかかると思う。でも、時間がかかるからこそ、できることのほうが
多分大きい。それ以外で出来た速攻の関係は速攻消えやすいのだから。

経験は年数ではない。これは断言していい。
同じように1年を人は過ごせないように、1年という経験で何かを
測ることはできないのだ。だから、面接でもこんなことを聞くだろう。
「あなたは何を持って仕事に取り組みましたか」とか。
そう。あなたが何を考えてどう取り組んだかを話せばいいのだ。
その場合に、適当にやっていればやはり適当な人間にしかならないのだ。
それをごまかしてもばれてしまう。ばれなければそれまでの会社で、
あなたもまた成長することはないだろう。負の連鎖というよりも、
当事者同士の連携といったら皮肉すぎるだろうか?

当事者という言葉は、関係していない人、または当事者になりたくてもなれないとか、
当事者という意識がないと・・・という暗黙の省略があって、
それが非常に高圧的な印象があるので好きではない。だから使うことはないが、
人が使っているのを止めさせることもできない(笑)

人に関心があるとは、無関心があるということだ。
全てに興味をもてなんて、聖人がいたら、一発殴ってやりたいが、
厳密には「色々興味を持つ」とは、興味を持てないものを見つける作業でもあるし、
またそのXは常に代わる(代替していくのだ)から、適切な作業といっても皮肉ではないだろう。

で、その人のスキルだ。
その人の力とかは、その人がどういう人かを
判断して始めてわかってくる。当たり前だが、それができなければ、
次へ進むことは出来ない。 
次へ進むのが怖いなら、次にいかなければいい。
そしてそうやって足を止めていればいいだけだと思う。
 

秩序を保つ

決してきれい好きではないのだが、
ある程度秩序を保つ・・・つまり、整理整頓されてないと、
思考が乱れることに気づいた。

気持ちよくやって、気持ちよく片付けて、
また気持ちよくできるようにする。
気持ちいいというのは大変重要なことだ。

本やら色々処分したいというか、スッキリして
血肉と化したもので戦いたいものだ。

人がいる証拠でもあるんだけどね。良い意味で、汚れるとかってね。 

感謝状的なものを書くとか

人をどう判断するかは結構ポイント。
この人はやばいと思ったら、どういう意味でかは重要だが、
マークしたほうがいい。相手がその気があれば、お互いに何か出来る。
そうでなければ、そうならない。ビジネスは常に相思相愛である。

さて、感謝というとアレだが、
人に何かを伝えるというのはとても大事なことだ。
そうでないと、生きている意味はなくても、価値が低くなる。価値を高める努力は
色々な工夫であってもいいと思っているわけで。

そういうところでいくと、
この人はこうであるという決め付けではなく、
この人の器をハカル必要が出てくる。
そうこの人とは自分もそうだし、相手もそうなのだ。
こういった作業がつらい人はやはり、さっさと退いた方がいい。
なぜなら、人がどうでという判断は、びしびしと自分に全て降りかかってくる。
責任といってもいいし、判断ミスから自分が何か被害をこうむることもある。
そういう全てではない(これをリスクというと、リスクがない人生があるようだが)が、
これらの認識をするかどうかは大きいのだ。

人間は完璧ではない。僕も完璧ではない。
不完全だから面白い。ただ、それだけだ。
 

限界点を設けるな。

のみのガラス天井。

よくない言葉だ。自分で限界を設けることは
結構やりがちだ。でも、結構あなたならやれるよね、ということを
常に言い続けている。

人を励ますレベルではないのだけど、
結構ダメもとばっかでやってる中で見えてくるものは
少しずつ浮き彫りになってくる。

それだけで十分な気づきじゃない?
 

クラウド仕事術!

クラウド的に、どこでも仕事をする。
そんな仕事術。

マルチモニター化については、
全く関係ないと思っていたがやってみると、相当使えるかもしれない。
見える領域が大きくなるとなんだか思考にも良い影響を与える気がする。

ので、それだけでもGETしただけでも儲けもんだ。
マルチモニターについては、解説は省略するが、
要するに、PC1台で2ディスプレイ(プロジェクタでもいい)を使えるもの。
株とかやっている人は、一杯みたいから普通かもね。

残業ゼロ! 時間と場所に縛られない クラウド仕事術 (アスカビジネス)残業ゼロ! 時間と場所に縛られない クラウド仕事術 (アスカビジネス)
著者:岡田 充弘
販売元:明日香出版社
発売日:2010-04-12
おすすめ度:4.0
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哲学的なことがしたくなるこの頃

アイデアの発生方法かは不明だが、
吹っ飛んだことがやりたくなることがある。
裏の裏は表というが、実はJPEGみたいに不可逆圧縮?みたいなものって、
元に戻らないから、表じゃないじゃーんという。
そもそもそれって、裏になりえないんだろうけど。

ハンドルの遊びが必要なように、
物事には実はきっちりみっちりようりも、空間が余白が、
マージンかパディングか分からないが、そういうものがあったほうがいいような
気がしている。多分だが、マルチタスクってそういう感覚に近いんだろうと思う。

現象に対して嘆くとか、そういうことって誰でも出来るけど、
実際には嘆くだけは誰でもできるし、我慢も出来る。
そこからこういう風に思うのだけど、こうしたらいいのではないかという提案が
起きるかどうかというのは大事なところだ。

ボランティア精神は悪くない。賞賛すべきだろう。
でも、ボランティアを本当にしたい人って、多分かなり限られてきて、
多分もらえるならお金とか、何か対価欲しいのかも。
逆だけど、そういう得られるものがあるからボランティアするってのは、
単なる対価の提示が相手からではなく、自発的にということなんだろうけどねー。
議論が分かりづらいけど、まあ、そんなところで。

色々やりたい春な気分で。
 

違うやりかた

それは特殊か?みたいな問いがある。
実は特殊ではないことが多い。
とはいえ、特殊な部分もある。

特殊とは、当然、比較があってこそだが、
その比較の選択肢がしょぼい数しかなければ、
多分、食べているもの、生きていることも特殊になる・・・。

そこって大事なことだ。
自分の選択肢とか適当な外観?がデザインできてないと、
結構何でも特殊化しちゃう。

特殊の正当化みたいなことになると結構まずい。
 

労働集約型モデルとか

簡単ではないけれど、ビジネスモデルは
仕組みだけど、それらを考えずに闇雲にやっていっても
結構無謀というか無理なところは多い。


例えば、今、自分が時給いくらかを考えて、
それらがどんどん下がっているということは、
結局、価値がないということになる。
これは語弊がありそうだが、今下がっているだけで
そのうち上がるというなら、また話しは違う。
投資ではないけれど、自分の価値は数値化できないというのも、
ある種の考えだからいいとしよう。というか、それはそれでいい。

でも、ある種、客観視することができなければ
見えないものに苦しむ。が、見えすぎると逆に
見えすぎるからやらないことになる。

ここらへんはジレンマがあるが、どうするかは
結構個人のえいやーっだったりする。
 

同じ土俵と、対等とか。

正論を書いてみる。
なぜならその必要があるからだ。自分ではないのだが。

そもそも、何か対等にやりましょうとか、一緒にやりましょうというのは、
かなり難易度が高い。とくに、信頼関係がないのにそれはできない。
裏切られたとか、そんなやり方は違うなど、コミュニケーションの違いから
起きるものは色々ある。

さて、対等にやれるとは、お互いの力が拮抗してたり、
何かしらそうしてしまう要素があるということだ。
対等で入りたいというのは・・・そもそも、客観視不足でしかないというのが
ほとんどだ。
それはどういうことかというと、簡単にいえば、自身または己の状況が
どういうものか分かっていないというところ。

そうすると、自分の考えを主張(提案ではない)するのはいいが、
一体、それで対等というのを求めていると全く出来ないことに
なっていくのではないかと。

うまい話なんかない。単に機会を、チャンス(良い機会という意味)が
あるのだが、結構そういうのって、響かないことは多い。
信頼関係がないからといえばそれまでだが、結構話をもっていった側としては、
気にしないことにしたいのだが、正直なところ、次持っていくことはないかもなーという
そういう否定かマイナスポイントを与えてしまうところだ。

逆だったらどうするか?
つまり、情報やネタの提案などだけど、そういうのはこういうところで
できそうで、こうだからーそーでといって、きちんとふくらませたり、
またはそこは違うなーというピントのずれなどを話せばいいことだ。
ピントのずれなどは、実は上の客観視と重なるところもあるので
一概にこうだとはいえないが、ただ一つ言えるのは、
別に動くまで説得してあなたを動かしたいのだ、ということはないということだ。

これは、自分がこの人とどうしても仕事がしたいとか、やってみたいなら、
話が別かもしれない。ただ、人の思いを無下にくじく人も、数は結構少ないかもしれない。
悪い人間がいる一方、色々な善=偽善も含む、があってとてもいいと思っている。

で、同じ土俵という言葉。久しぶりに使ったが、
こういったところで、勝負できるかどうか。戦っていけるか。
そこが大事だが、そういう感覚がなければ、きっと朽ち果てるだけだろう。
自分が負けたら、次は勝つ。まってろー。

 

ゆっくり動く

社会とかコミュニケーションっていうふわっとした言葉は
多分、レバレッジが後からかなり効いてくると思うが、
そこまで結構我慢というか、忍耐的なものが強い。
というか、少なくとも、「楽(らく)」と「楽(楽しい)」は全然違うということを
お伝えしておこう。

たまに、矛盾して、ぼーとして何かお金が入ってくればという人が
最近は会わないけど、いると思う。
でも、そもそも自由という意味が一体何かを少し考えれば
分かることなので、そういった人はスルーされてしまう。(正確には僕がスルーするだけなのだが)

一人の力できることは限られてくる。
しかし、一人が何もやらなければ何も生まれない。
一人であることにあまり負担感を感じることもないだろう。

今日が終わるとまた今日がくるわけなんだから。
ゆっくり動いていこうというのも大事。
 

大事なものが何かを失う瞬間

人は理性か感情かというと、
感情で動く。便利だからでなく、便利そう。楽しいでなく、楽しそうだ。

便利の定義をロジックでして・・・というのは、
一見良さそうだ。例えば新しい電子レンジを買うときに、
値段、機能、大きさ・・・色々あるだろう。
でも、ネットならネットの注文しやすさ、フォローなど、
店先なら、店員の情報や接客のほうが、印象に残る気がする。真実の瞬間ではないけど。

苦労して手に入れた品は、たとえ同じ品であっても、
まったく意味が違ってくる。日本縦断でたどり着いた宗谷岬と、
宗谷に住む人のそれは、全く意味が違う。
これは、人間の記憶だったり、何でもいいけど、認識が主観的に成り立ついい例でもある。

だから、大事なものとは人によって違うことも説明不要だが、
結構、人間は揺らぎやすいものだ。本人、つまり、例えば僕が思っているほど
僕は頑丈でなく、また揺らぎやすい。
そういうソバから色々あるのかもしれないが、とりあえずは、
結構、ミスするとか、失敗するとか、前提というよりも、
ありえるよねーという感覚は共有したいものだ。

例えば、困ったときはお互い様さ、みたいな感覚は、常にある。
そういうことだ。

 

コミュニケーションの難しさ

毎日がコミュニケーションの連続である。
例えば、調子悪くて(体調というより、話す気分でないとか)、
こちらからコミュニケーションを断絶したいときというのもあったりするだろう。

人によっては、その波が激しいと、ちょっと困った感じになる。
社会が云々などということはなく、そうやって急激にやってしまうと、
こちらとしては、コンスタント、つまり、常に、または常時、または一貫して、
そういうことを提供して欲しいからだ。

突発でたまに、偶発で何かできることはあるが、
それは実力ではない。
ここで簡単に説明すれば、偶然のチャンスでも、
それを活かして、次の必然のチャンス(依頼されるなど)につなげることはできる。
しかし、それは偶然できたのではなく、偶然の機会と必然の実力という方程式だ。

偶然の機会と偶然の実力は、意外に誰もが可能性がある。
とはいえ、そんなチャンスに気づかない人も多い。また、チャンスだと思わず、
動かなければ何も起きることはない。

ディスコミュニケーション。コミュニケーションが連続であるならば、
不連続、いやたまには少し一人にあって、じっくり考えるのもいいと思う。
 

仕事観

例えば、「今は仕事観が多様だ」なんていったりするけど、
そもそも、そこまで変わったか?という疑問が出てくる。

人間が矛盾する生き物だが、その矛盾を指摘されて
オドオドしてしまってはしょうがない。二枚舌。ダブルスタンダード。
それこそが人間かもしれない。これは開き直っている方だが、
実は開き直れない人もゴマンといる。

人生についても同様だ。多様だというほど、選択肢はないような気がする。
哲学的にいって、生まれて死ぬ、間に何をしようがあまり変わりはない。
僕はどちらかというとそういう考えが好きだ。
だから、適当に生きればいいなんて微塵も思わないが、
そういうように思えるか思えないか。つまり、適当に生きても死ぬんだし、
と思うか、やるだけやって死にたいね、と思えるかは、
プロセス=人生というものを楽しむ姿勢でしかない、と思っているが、どうだろうか。

さて、そういった多様とか、色々というのは、
自分が自分の人生(当たり前だ)において、色々経験しているからであって、
それらが分からない人がほとんどだ。という意味で経験が豊富というのは、
多分間違っている。誰も自分の人生しか生きれないという森博嗣の指摘は正解だ。
とはいえ、アドバイスとか、色々見たくなる、話したくなるなど出会いは色々だ。

結論的には、結構やってみるもんだというのと、
結構ダメかもねーみたいな繰り返しになると思う。
人はやる気がでないときにやる気になりたいと思い、
やる気があるときには、やる気については考察しない。
そんな、というか、かなりわがままで、とても賢い存在とは思えないから。

 

臨機応答・変問自在

著者の講義で、学生のQAをまとめたもの。
非常にユニーク。質問が講義に関連していないものを
とりあげたからだろう。

教授というと企画力がなさそうだが(偏見)、
さすが森博嗣というべきか。

端的に答えるのは、簡単なようで難しい。
何でもそうだけどね。

臨機応答・変問自在―森助教授VS理系大学生 (集英社新書)臨機応答・変問自在―森助教授VS理系大学生 (集英社新書)
著者:森 博嗣
販売元:集英社
発売日:2001-04
おすすめ度:4.0
クチコミを見る
 

アイデアをカタチにする仕事術

この本はそういう観点があるとは分かっていたが、
どちらかというと、デジハリの同一ではないが、
プロデューサの資質をつける講義というかワークというか、
それから派生している気がした。

要するに、創造力などの「あまり本気で科学的に身につけよう」と
しない部類のことをやろうとしている。
こういうのは好きかどうかというと、かなり好き。科学的だから。
それがすぐに分からなくても。

何も不思議な本ではない。
ただ、プロデュースについては、そういった資質7つの力と、
それらをまとめた・・・感で終わってしまったかもしれないーなというのが
正直なところ。

多分、アイデアをカタチにしたい人は、
この本を読んで出来ることはないと断言したい。
もちろん、その手の読者を一網打尽にする狙いはあるかもしれないが(笑)

成功者から学ぶのはいいかもしれないが、
自分の失敗のほうが、他人からよりも学べるものは多いことも、
いいなあとか思ったりする。本著と無関係だが。

アイデアをカタチにする仕事術アイデアをカタチにする仕事術
著者:吉田 就彦
販売元:東洋経済新報社
発売日:2010-02-26
おすすめ度:5.0
クチコミを見る
 

器の大きさ

多分、なんどもいってるが、
会社も何でもそうだが、自分が属するもの全てにおいて、
関連する、関係する、接続する全てにおいてといっていいが、
それらが成長するかどうかは、自分の器の大きさの
サイズにしかならない。

それは、簡単にいえば、
自分が小さい人間ならばそのような人間としか
付き合えないし、大きければ大きな人間とも付き合えるようになる。

そんなレベルの話だが、真実だと思う。 

本的な何か

がしがしやってこー。というわけで。

まず、 本的な何かということで。色々と気づきを。

イベントを本にする。これはクオリティーがあればいいってことで。いけそう。
編集者は、その編集スキルにおいて、ターゲットを本というか
違うアウトプットにすれば、映画でも、音楽でも、なんでも出来そうなスキル。
素晴らしいね。

ボランティアワークというものがあっても、ビジネスワークできちっと
安定させるのが素晴らしいというか、そういうものだねえ。と気付き。

わーと起こってきた自分の中のもの、変化を記録するのが大事かも。

企画会議をする場がないというのもあるかも。数が少ない。
これはヒントになるかな。

ディレクト。編集。プロデュース。視点の客観性。
ハイブリッドで、電子、紙も両方を使っていく。

引っ掛かり。トリガー。
違和感の大切さ。色々なことがそこにつまっている。

面白くないというベクトルでなく、無駄性。
無駄なことから生まれる圧縮はあるから。詰めればOKってことではない。

自分からこうする。自分だったらこうする。なんでもいいけど、
自分主体の観点、主観的なものが必要だろうと。
両輪が必要。好きなこと、ビジネスワーク。

そこにクリエーターがいるから、本気だということ。
これは、何かやっていることが何かを組織しているから本気というように
見えるってこともある。一杯あれば分からないけど、
そういうのってある種企画的でさえある。確信犯というか。

我々は人を編集してまとめていき、企画とする力がある。
 

世界を愛するメソッド

最近は、テレビでもなんでも、その企画について
誰が考えてどうやっているかに目がいくようになった。
これは結構レベルが高いことだと思うのだけど、
(ちなみに、そうしろと言われてできるのはアマチュア。
いわなくてもできるのがプロ。むしろ、感覚を教えるのがプロ)
それでみると、色々なことができるというのが、
単なる「現実を知らない若者の遠吠え」(笑)ではなくなってくる。

料理人でプロは、同じ味を再現できる。
しかし、アマチュアはそれができない。
材料を計るのはプロかアマかは難しい。
どちらでもいいのだと思う。ただ、例えばアクシデントや
材料の微量の調整が必要だとか、技術でなく、
再現性=ヒット率でいえば、ほとんどブレがなくコンスタントに
料理をし続けて、そして提供ができる人をプロの料理人といっていいだろう。

これは企画マンにも同じだ。アイデアマンはそれが調子悪くても
なんとかやり続けることができる人のことをいう。
だから、アマチュアが良いアイデアを出すこともある上で、
その人はそれでやっていけるとか思っていないとか、
それを出し続けることを選んでいないなら、ほとんど紙一重にしか
外からは見えないだろう。そこがポイント。
紙一重なんだけど、違いが分かるかみたいな。
それが分かるなら、すぐにプロを目指すのが面白いと思う。

世界を愛するメソッドはつまり、コンスタントに提供し続けることで
見えてくる立ち位置と役割宣言みたいなものかな。

 

はじめて語られる 企画の「虎の巻」

共感できるところが多い。

事業を行う人でなくても、企画力は必須。
が、なぜかそれを鍛えるとかそういう発想がある人が
天然記念物レベルなのは、まだまだ動きが自分に足りないことでも
あるかなーと。とはいえ、そういう人にあったからどうだってこともあるのだけど(笑)

タイミングや運もあるわけで。

ポイントは、CCCって会社が、事業会社でなく、企画会社ということ。
アウトプットが事業となるのは同一だが、
そのコンセプチャルなところ、つまりブラックボックス化されてみえないところで、
企画ありきでスタートしているところが違う。

それは、企画は吹っ飛んでいるところでポジションがあるといい、
それを理解してもらうには、分かるところでイメージしてもらって
「伝える」しかないというのは、本質的だと思う。

自分はいいと思っていても、それを伝えるのは難しい。
相手に動いてもらうにはかなり力がいる。
なんで、そういうことってしんどいやーみたいなことで辞める人がいるけど、
辞めてくれる人が多いほど自分にチャンスが回ってくるから、
がんがんこの本を読んで挫折を味わってくれるといいなと(笑)
そうすれば、チャンスが増す。

なんて不健全な読書のススメだろうかー。
とりあえず、買いですな。かっとけ!

はじめて語られる企画の「虎の巻」はじめて語られる企画の「虎の巻」
著者:増田 宗昭
販売元:毎日新聞社
発売日:2010-03-20
おすすめ度:2.5
クチコミを見る
 

思考のダイエット

これも抽象化。圧縮。

そんなところをダイエットという言葉で
表現しているような印象。良い意味で。

判断を早くするには、間違ったら元に戻る。
道に迷うときって、素直に元の道に戻る余裕があると
実は迷わずいけることが多い。逆にカンでやると、大抵終わる。
これって結構大きなコストだ。

今日から始める思考のダイエット今日から始める思考のダイエット
著者:佐野 研二郎
販売元:マガジンハウス
発売日:2010-03-25
おすすめ度:5.0
クチコミを見る
 

言葉を飛ばす

圧縮。

言葉に想いを込める。
はとばしる、パッションや熱。
見えない感情。いや激情っていうものか。
そういうものが、きちんと、クリアにみえたとき、
その人はすげー人だと(人としてすごいという意味であればいい)
思うならば、そうやって人を判断して、
見極めていくしかない。

自分がクリエイターとして何かを作るなら、
この圧縮にこだわるのだと思う。
イメージは、日本タイポ組合みたいな?二人のものは面白い。
が、あれはデザインというジャンルだろう。

圧縮は、おそらく、抽象化という観点が
もっとも有効な要素になる。
単純に効率性からの圧縮ではなく、意味性を幅をもたらせる、
選択肢を多くとれる圧縮。それは、結局抽象画だったり、
抽象的なものの幅の広さ。それをなぜか僕は学際的だと思ったりするから、
抽象物ほど、大きく可能性があると思っている。
もちろん、一般的にみて、それらは訳が分からないのだが。

実は解釈できるとは、マーケットイン的で、つまり市場とか、消費者の目線で、
解釈されなくてもいいやーみたいなところは、結構あやふやになったかも。
でも、一意性、じゃないな、恣意性というか、とにかく、
これをやるんだよね、なんでかっていうと、やりたいからなんだよね、
ってことにケチを誰もつけることができないから。

つけるのは、自分から離れたところで、つまり、
他者とのコミュニケーションにおいて発生する。
具体的にいえば、ケーキを出すならそのお客さんが払う対価というところでのコミュニケーション、
囲碁クラブが趣味なら、その囲碁クラブにいく人を誰も批判ができない。
批判できない領域は居心地が良いかもしれないし、そうではないかもしれない。
が、一つ対価を取れるという「実績」または、有効性の証明みたいなのは、
その人の価値にはなるというか、大きな価値になることは間違いない。

脱線したので戻すと、
自分以外のコミュニケーションをする時点で、
抽象物、ではなくても、自分は必ず何かしらの評価を受けることになる。
そこで、大事なのは、相手にわかってもらうように言うのは大事なのだけど、
それは、そもそも、対話できる相手がいる(相手が先かこっちが先かは分からないが)という
前提があったりするからかも。

意外に、自分から他人へとコミュニケーションをとることって、
怖いものではないだろうか。楽しいという感覚は、多分、慣れとか、
面白い人がいるかも、みたいな次の期待でもあるし、
必ず最初に不安な要素があってこそ、面白さになるような気がしている。

さて、何を言いたかったんだったかな。

 

シュミレーション機能

重要。

仮定というよりも、過程をクリアに描けるか。
それを自然性といって評価できると、
誰でもそれができる。後は、順にピースをいれていくだけ。

 

ビジネスがヘタな人

最初は誰でもうまくない。
が、ヘタな人とやっていても、うまくなることはないかもしれない。
が、そこで工夫ができてクリアできるなら話は別だ。

そこらへんの知識というか、ノウハウというか、
簡単にいえば、ビジネス的なセンスってのは、どうも、
訓練で身につけようという感じの人って結構少ない。
なぜか、ビジネスとなると「ビジネススクール」であったり、
「マーケティング」であったり、セミナーの「ノウハウ」であったりする、
のだが、そこにヒントはないことはない。

が、本質的ではない。
もし、本質的な何かを得ようとしたいなら、
自分でやってみるしかない。
そうしないと、ほとんど何も得られない。

が、それを分かる人は実は多分ここをみていないから、
これは遅刻をしていない人に遅刻をするなといっているジレンマがある(笑)

練習しないとうまくならないというロジックをそのまま当てはめることができる
良い例だと思う。というわけで、トライしない人とは一緒にいないほうがいい。
多分話はうまくいかないだろう。そして、そこで失敗したなら、
そういう人と一緒にやらなければいい。そうやって人の目を判断するしかない。

が、舐められるのはやっぱいつでもカチンとくるものだ。
絶対つぶす!

 

逆襲

リベンジ。
復讐ではないけれど、やり返すってのはあっていいと思っている。
報復でもないが。

多分、感覚的にいくと、きっと、負け戦になれると、
負け戦でも「一応金」がもらえるので、それでやっちゃうのだろう。
それはコンフォートゾーンというと思う。

貧乏か、余裕か。
中途半端な生ぬるさは結構自分は向いてないというか、
ダメだと思った。そういう人がダメということはなくて、
それはそれで結構。自分は・・・といって、人を出し抜くわけでもない。
このバランスはなかなか身につくものではないと自画自賛する。

で、結局、どうしたいか、何をしていくか、明確なものがあって、
それをいっても伝わる人間・・・はなかなかいない。
悲しいかもしれない。でも、言い続けるしかない。
見えているものが相手には見えてないのだから。

ビジョンの共有をできる人はかなり少ない。
それだからといって諦めるわけはない。成功するまでずっとやり続けるまでである。
これは気合といってもいい。精神論でもいい。
ただ、何もせずにだまってやっているわけではないのだ。


 

難しく考えない

柔軟というのは、色々出てくるってことだけど、
そういうことができるのは、頭が柔らかいというところよりも、
まずはやってみてという最後の部分をどう仕組み化しているかによる。
仕組み化とはいわなくてもいいけど。

難しく考えてしまって、実際は大したことがない、つまりは
やってみると簡単だったことというのは、
実はそういう部類のことが多いからいってるのだけど、
やってみて 諦める癖をつけたほうがいいような気がしている。

そしてやりたいことをやろうとしていると、やれるし、
それらをやると次が見えてくるというのは本当だ。
次がみえてくるって見えない間は不安で心配で、どうしようもないが、
みえるから安心して、そういった不安にどっぷり浸かろう。
もちろん、誰かがやってくれると考えている人にはそれは見えないが。

紹介する意味は、考えると深い。
しかし、それらを多分きちっと把握できるまでは時間がかかるかもしれない。
なぜ人を紹介するか。紹介のリスクコストは考えると結構大きいのにも関わらずだ。
だから、紹介をしてもらうことは圧倒的に数は減るがそういうことではないのだ。
損得や数ではなく、まずこっちからGiveというマインドがないと、
必ず次はない。もちろん、Giveでも何も起こらないことは多いが(笑)

人が動く瞬間というのがある。
その瞬間を見逃さないことだ。そうすれば、パスができる。
動いてからでもいいが、動く一歩手前でパスをするのがいいかもしれない。

 

普通のビジネス

言葉がおかしい。

ビジネスとして新規に成り立つには、
「普通」に考えられるものでは、成り立ちにくい。
人が真似できるからだ。
マネができないもので・・・というと奇抜さだけで突破しようとしやすいが、
それは単なるミスだ。失敗になりやすい。
が、失敗をしないと分からないことでもある。

社会起業とは、そういった範疇にふくまれにくいが、
ビジボラ、ホビネス、なんといってもいいが、
曖昧さが、それらを生きながらえさせてくれている感がある。
つまり、アイデンティティみたいなのが、社会にあるのではなく、
あくまで事業をする起業家ありきというのは実は弱い。
方向性は色々あるが・・・それはおいておいて、ボランティア。

ボランティアは善意の労働と訳すと怒られそうだが、
結構罪滅ぼし?的な感じもある。せめてこれだけでも。なんか
意外だが色々な人が持っていそうでもある。
が、それは、そこで終わる。発展はない。
なぜなら、個人の罪が滅ぼされることで終わるからだ。
助け合いも全く同じだ。悪いことではないし、まわる感はある。
が、そこに「助けあいの精神」の伝播というような、
外への余力、それをベクトルといったら、
そういう外へのベクトルがないと、おそらく完結する。
または、そういう人を外部から取り込み、外へ出す・・・などは考えられるけれど。

整理しよう。
簡単にいえば、色々がごっちゃになっている。
ある局面なのか、考えなのか、時代なのか。
いつの時代もそうだった・・・というならば、
外部の声はいつも支えてくれるわけではないと思っている。傲慢だが。
むしろ、間違っていることのほうがいい。
皮肉なことだが、正しいアドバイスを受けると、必ず失敗するみたいなことは、
大いにいえる。

人は結構打算的だ。変な人に騙される人は、ナニをしても、
実はうまい話があるんだけど、といって終わっちゃうだけだ。
そんなのと、一緒にして欲しくないのだが、結構人は勝手に自分の理解をするから、
自分を含めてだが、色々思ったりしているわけでして。

そういったところで、きちんとまわること、
そして面白さという関係、または座標軸で理解しちゃって、
結果的には後からそれらを理解しようかなと思ったりしている。

 

社会的なもの

感覚の違いはある。
で、あとは実績だったり、成果、結果、アウトプットの質。
が、継続できているかになる。小さい感じなら。

小さくてもきらりと光るものがあれば、結構それは響くもので。 

そこで社会ってワードを入れなくてもいい。
例えば、まだフェアトレードとか、そういったワードがのっかっているが、
普通に製品ならべてそれで売ればいいのかなーと。
そういう流れになってきているような。良ければ売れるというのは、
売り側の論理でなく、消費者の目は肥えているだけなんじゃないかと。

つまり、あえて言う必要性がないくらいに、
社会的ってワードは浸透している。
何か理由が欲しい。なんでそれを買うのか。
お徳感と、割安と、安いと激安とか微妙にだが、だいぶ違っていたりするし、
そういう細かい違いも感覚でわかっちゃうかもしれない。

で、まとめると、こうだ。
インパクト、それは小集団に影響ではなく、社会全体にインパクトを与えるもの、
それらを事業として興したい。そのために、自分一人が事業を立ち上げてわっしょいで、
やるのではなく、誰かとやる、またはアイデアは考えるからそれらを現実で
アウトプットして形になるところをやっていきたい。
結果的にだが、それがビジネスプロデュース、事業プロデュースという形に落ち着いた。
のは、かなり最近だ。考えはあったのだけど、自分が「プロデューサー」という肩書きを
つけるとは思っていなかった。とはいえ、全く違和感がない。かなりしっくりくる。
説明もしやすい。コラボや人の紹介も誘発できる。

自分が好きなのは経営者とかよりも、事業家っていわれるほうがしっくりくる。
つまり、現在の会社は一部か、または最初の一歩にしか過ぎない。
いくつもの事業を手がけていきたい。だから、アイデアと企画があれば
そしてそうやってつくりこんでいくことができれば・・・ということに仮説を立てた。

多分、多くの人は、事業的にどうとか、アイデアで飯が食えるかみたいな、
変な批判をする人は多いんだと思う。自分がやらないし、やれないからだけで、
そういう考えはちょっとなーと思うけど、それらは今回とか、
今まで色々新しくやろうとしたら、言われることで。新しく何かをやるという
感覚にかなり敏感な人は、具体化できるイメージをもっていくなあと思っている。
共感がなきゃしょうがない。次があるかもしれないくらいでOK。

そういう中の動きってことをとらえないと、ミスリーディングになる。
おそらく、時代は逆だ。このような考えが主流になっていく気配がぷんぷんしている。
そして、さらにそれらの流れが、ああ、変わったねーってと気になった頃、
やっと人々は理解してくれるんだろうなあと。

これを普通は傲慢とか、強引っていう人が多いんだ。
でも、仕方がないこともある。

で、残念なことに、僕は社会に感謝をしているという現実がある。
他人に対して何か提供をしたいという現実がある。
それらを埋めるために、事業があると思っている。手段であるのだ。
存在は、事業をするトリガー、そうだな、電気のスイッチみたいなもので、
押してくれれば明かりがついて、あなたは暗い部屋で携帯がある位置が分かるんだ。
ってことだろうと思う。

なので、社会という言葉は、おそらく、影響という人々のマスをイメージする
言葉でしかない。マスでなくてもいい。が、マスが動くことはやはりやることになるだろうなあと。

 

信頼関係

思った。
なんていうか、金がないほど、一つ一つの機微というか、
人の心のありようとかに敏感になれるのかもしれないなーとか。

貧乏みたいな経験って意外に苦学生がいなければ
分からない感じかもしれない。学生だったら。
でも、結構苦労している人は多いと思いつつも。

それはおいておいて、
信頼関係という言葉を使わなくても、
ああ、信頼してくれる人って多いんだなーと。
そんなことを思ったりする日々。さて、そんな人のために踏ん張っちゃうよ。
 

インターシップ募集します。

ブログネタ
ブログに嘘を書いてください!【エイプリルフール企画2010】 に参加中!
弊社のサイトの話で恐縮です。
募集しているみたいです。
詳細はこちらへ。
http://suzuhashi.net/

まあ、嘘ですので。
真面目にやりたいなら、真面目ですと一言いれれば、
真面目に検討しますので。
 

奇妙なこと


朝起きる。
別に体がムシになったとか、そういうことでない。

ただ、世界の中に僕があるのでなく、
僕が世界にいるのでもなく、
単にどちらでもない形で、今存在していることに、
興味をもった。

小さな人間が何を起こせるか。
大きさを知ったときに、武者震いとともに、
何かやり通したいみたいな。
涙を流して何かに感動して、今後もそこで勝負していきたいみたいな、
そういうことに、目を熱くしてしまうような。

僕は世界に属しているし、社会にも属している方でもあるけれど、
正直なところ、貢献をするという言葉は最後の最後まで使いたくない。
結果的にそうなるしかないというか、そうでないと「面白くない」という
感覚でしかない。

これを不安定といってもいいが、実は最も安定しているのは、
動かないことではない。動かないのは安定ではなく、ただの受身といっていい。
実は、ヤジロベエのように、左に動き、その分、右に動く。
だから安定なんだと。そういうことを多分教えてくれる人はいないから、
実際に自分でみて感じていくしかないんだよと。


僕は、まだまだというか、分からないことも多い。
でも、分かっていることも多い。
どちらにせよ、自分ができることは知れているけれど、
冗談でやっていることはほぼ皆無に近い。
冗談もジョークもいうが、冗談ではないのだ。ただ、それを信じている。
 
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